第41話 一夜が明けて

 次の日の朝、聖澤家の屋敷の中はまだ慌しかった。警察の人間も頻繁に出入りしている。


 直行たちは屋敷の隅っこで人目につかないように簡単な朝食をとった。


「きのう、僕つまんなかったよ。直くんどこいってたんだよお」

 置いてけぼりを食らった祐樹がご立腹だ。

「悪い悪い。ちょっと夜遊びしてた」


 父たちもどさくさに紛れて誰にも何も咎められずに済んだが、もうなるべく目撃されることなく帰りたい。

 

 三笠新聞社会部の面々も来ていて、父たちスポーツ部の出る幕ではないようだし。


 大輔は、直行に対して「後で、聞きたいことはあるけど。とりあえず家に帰ろうぜ」といって、その後大輔も真田さんも昨晩のことは聞いてこない。


 荷物をまとめて、使用人の高田さんに声をかけると、奥のほうのこじんまりとした部屋に直行たちは招かれた。


「無事で我が家に帰ってこられて、夢のようだわ」

 鏡子が立ったままで出迎える。今朝は青いセーターに白いジーンズ。疲れているようだが表情は明るかった。


「俺ら、これで帰るわ」

「縁があればまた会いましょう。昨日は大変な一日だったわね。きっと古橋さんのせいね」

「そうかもしれないですね」


「じいちゃんは、昨日の無理がたたってまだ寝込んでいるわ。腰が痛いって。でも、見送りには出てこられると思います。そういうの大事にする人だから」


 直行はマオリの様子をちらちらと気にしていた。


 彼女はうつむいている。マオリにはここを去るその前にまだやらなければならないことがあるはずだった。


 大輔がソファーに腰を下ろして溜息を一つついた。


「まだ時間はありますね」

「そうですか。じゃあお茶でも入れさせますよ」

 鏡子は使用人にお茶の準備を命じた。


「いいですね。もう少しだけお話しましょう。昨晩のこととか」

「わたし、警察の聴取で何度も同じこと聞かれていますけど、まあお望みならば」


 はて、なんだろ。父も鏡子も腹のうちを探り合っているような。


「なるべくオリジナリティのある話にしますよ。直行。お前は例えばなにか聞いておきたいことってあるか」


 大輔の人を試すような言い草に直行は多少気分を害したが、少し考えてそれから尋ねた。


「鏡子さん、捕まっていたときねずみ小僧とは何か話した?」

「うん、色々とね。あの子、年は直行くんと変わらないようだったけど、女性の話し相手するのが妙に手馴れててさ。末恐ろしいかんじだったわ。法律の話なんかもした」


「法律?」

「直行くんは、ねずみ小僧と決闘をしたのよね。怪我はしなかった?」


「うん、まあ、成り行きで。どってことなかったよ」

「強いのね」


 鏡子は品のある微笑を見せた。こんなきれいな女性に正面きって見つめられると、さすがに照れてしまう。


「警察内部に対する外部監査について定める法律。国会に起案する為の下準備が進んでいるそうよ」


「外部監査?」


「いまって、基本、警察に対しては内部の監査しかおこなわれていないのね。だからわたしの父の事件みたいなことがあったとき、それが発覚するための仕組みは形式上整えられてはいるんだけど、財前みたいな警察内に強力な人脈をもつ人間がいれば隠すことが可能なのよ。そうさせないように他の省庁とか外部の人間に監査を委託することを義務付ける為の法律」


「ねずみ小僧がその法律の話を?」

「法案可決のために世論で後押しする。それが自分たちの目的だといっていたわ」


「ふむ。あとは何か話してた?」

 大輔が運ばれてきた紅茶に口をつけながら尋ねて、小さな溜息をもう一度ついた。


「東京で今はやっているお店のこととか。わたし、学校は向こうだったから興味がなくはないので」


「それだけ?」

「どうでもいいはなしで時間をつぶしてましたね。ヘリコプターの機内は寒くてしょうがなかったわ」

 

 珍しく沈んだ顔で黙って話を聞いていた真田さんが口を挟んだ。


「ね、鏡子さん。どうして話さないのかしら? あなた、その法案のことはねずみ小僧に聞いて初めて知ったのではないですよね」


その口調が思いのほか強くて直行は戸惑いを覚えた。

「真田さん?」


「ああ、はいはい」

 

鏡子はそういって、組んでいた足を組み替えて座りなおした。気付くと直行たちは鏡子を取り囲むような陣形になっていた。精神的にも。


 マオリはこの状況が上手く飲み込めないようで、不安な落ち着かない表情でお茶に口をつける。


「そっか。五年前のこと、新聞記者ならば情報はつかんでいたのでしょうね」


「俺が確認しておきたいのは、あなたが昨日の件にどこまで関わっていたかということです」

 

 父の声にも普段とは違う強い意志が感じられた。そして父は自分でもらしくないと思ったのか。少し口調を和らげて言葉を続けた。


「別に記事にはしません。というかスポーツ部のうちらじゃできません。でもせっかく来たんだから、おみやげ代わりに聞かせてもらいたいですね。それにマオリちゃんに嘘はつかないほうがあなたも寝覚めがいいでしょ」


「関わるも何も。古橋さん、自慢じゃないですけど、わたし昨日ヘリで落っこちて死ぬところだったんですよ」


「あれは不測の事態だったんでしょ? 今回の件を成功するためにねずみ小僧はたくさんの人間に計画を話さなければならなかった。人選は慎重を期したものの、話を聞かされたなかには、反対するものもいた。そいつが発砲したんだ」


「反対するのが悪いみたいな言い方じゃん」

 直行は自分のことを言われた気がしてつい口を挟んだ。


 大輔は話を続ける。


「昨晩の協力体制があんまり大掛かり過ぎるんだよ。ヘリを準備して、町中に防水処理までされたスピーカーを三十個も設置して、警官も、騒ぎを防ぐふうでいて実はねずみ小僧のショーが円滑に行われるように見ているだけだった。福島でこんなことができる人間があなた以外にいるんですか?」


「警官が協力していたってどういうことさ?」

 直行は再び口を挟んだ。


「直行、昨日の夜俺たちが倒した連中いたじゃん。あいつら全員逃げきって誰も捕まってないんだとさ」


「誰も? あのクモ男も?」


「ねずみ小僧ももちろん捕まってない。御用だ、御用だって騒いでいるだけで本気で捕まえる気なんかなかったのさ。今出入りしている警官たちだって、そうだと思う」




「困りましたね」

 鏡子はそういうがその微笑みはちっとも困っているように見えない。


「警察の挙動に不自然なところがあったというのは、言われてみればそうかもしれません。昨日の準備がとても大掛かりだったことも確かでしょう。でもわたししかできないからわたしが犯人というのは少し変ですよ。消去法で犯人にされたんじゃ、たまったもんじゃないわ」


「ふむ」


「分かっていただけましたか」

「いや、駄目ですね。こんな状態で帰ったら、これから何を信じていいのか分からなくなる。これから行動する為の指針がないと。各々にね」


 鏡子は首をかしげて微笑んだ。その笑みの中には冷たいものと親愛が共に在った。


 そのとき直行が口を開いた。

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