第40話 乱闘

 四人の男たち。

 ねずみ小僧の手のものが救援に来たのだろうか、みんなやたら体が大きい。


 パオから大輔と真田さんが降りてきて直行たち四人の前に立ち、機動隊のまがい物と向かい合った父が後ろを振り返り「馬だ」と呟き戸惑いつつも鏡子の無事を確認する。


「友三さん、あんたは鏡子さん連れて逃げてくれ」

「任せたぞ新聞屋」


 二人を乗せた馬は軽快な足音を残して闇の中に走り去っていった。


「おや、我が息子直行じゃん。友達の果樹園ってここだったのか?」

 白々しい。


「さあ、ケンカだ、ケンカだ」

 真田さんがうれしそうに身構えた。


 相手の男たちは何も言わず間合いを詰めてきた。


 直行が竹刀を袋から取り出したときには、最初の一人が大きな打撃音とともに崩れ落ちようとしていた。


 大輔の上段蹴り。鋭い。直行もかわせないかもしれないほどに。


 後続の二人が真田さんを取り押さえようとした。


 真田さんは低い姿勢で、山猫のごとく敵に向かって飛び込む。


 懐に入り相手の襟に手をかけると、体全体をくるりとひねった。内股だ。


 真田さんの右足が後ろに高く蹴りあがり相手は宙に舞う。そして一人目がまだ浮かんでいるうちに、真田さんはもう一人の両足に飛び掛り、きれいなもろ手刈りで転がした。


 一瞬だった。傍目からは二人同時にふっとんだようにさえ見えた。とんでもない技量だ。

 

 最後の四人目も、直行が一瞬目を離したすきに地面に転がっていて、父がおまけの正拳突きを顔面に叩き込むと動かなくなった。


 直行はまた暴れ損ねてしまった。


 木刀をそそくさと袋にしまい、端で体を強張らせて見ていたマオリに「変な大人だ」と囁いた。


「古橋くん、クモ男が!」

 

 真田さんの声に直行も振り向くと、そこにはおぼつかない足取りでこちらに向って歩いてくるクモ男の姿があった。


 怪我をしているようだ。黄色い頭巾に血が滲んでいる。


「ああ、痛てーなあくそ。痛てーよ」


 苛立たしげに頭巾を投げ捨てる。クモ男の素顔が晒された。


 青白い顔のその男は不気味に笑った。どこか体の具合が悪いのではというくらい顔色が悪い。


「よう、また会ったな、あんたら」


「え、誰?」

 真田さんが大輔の顔を覗き込む。


「知ってる人?」

「いや知らん」


 大輔は直行とマオリを伺う。

「見たことない」

「わたしも知らないです」


 気まずい沈黙が流れたので、直行が代表して言った。

「あなたは誰ですか?」


「誰ですかって・・・・・・。俺、あんたら全員にあったことがあるよ」


「えーと、どこで?」


「夜中の公園で、お前らに会ったじゃん。今朝だって聖澤の屋敷でケンカ騒ぎ起こした時に俺、いたじゃん」


 クモ男は一生懸命に説明する。


 直行は言われてなんとなくだが思い出した。素振りをしていたときに、いつもの人とは違うこんな感じの警官に懐中電灯の光を照らされたことが、そういえばあったかも知れない。


「顔、ここでわざわざ見せることなかったんじゃ・・・・・・」


 真田さんの言葉にクモ男は悲しそうにうなだれた。


 それから無言で、背負っていたリュックの中を探った。


 出てきたのは黒いトンファー。両の手に持って、陰鬱な表情で身構えた。


「おっ、やる気だな」


 大輔が一歩前に出て構える。


「古橋くん、任せていい?」


「あっちの連中が起きないか見張っててくれよ」

「OK」


「マオリ、離れちゃだめだよ」

 直行はもう一度木刀を取り出す。


「直くん、正義の味方みたい」

 マオリが微笑む。

「違うと思うよ」


 大輔が踏み込んだ。


 左足で下段蹴りと見せかけて右の上段蹴りを放った。

大きな音、しかしクモ男は倒れない。


 フェイントには引っかからず左右のトンファーを交差させて、大輔の重い蹴りを受け止めた。


 トンファーの隙間から覗くクモ男の顔を見て、直行はぞっとした。


 笑っている。さっきまでの世の全てをはかなむごとき表情とはまるで違う、満面の笑み。


「なんだよこいつ」


 大輔も戸惑っている。半歩下がり、間髪いれず左の蹴り、続けて手刀。


 どちらも当たらない。トンファーに完全に止められる。


 そして攻撃を受け止めるたびにクモ男の笑顔は、その晴れやかさを不気味に増していく。


 クモ男がふいに反撃に転じる。


 トンファーの一撃を大輔は腕で受け止めた。


「うわ」

 大輔の顔が苦痛に歪む。上手く受け止めたように見えたが、ダメージを負ってしまったようだ。


「親父!」

 直行は思わず叫んでいた。


 クモ男は風貌と裏腹にかなり強い。追撃が来る前に大輔は大きく下がった。


「しょうがない」


 直行は大輔の横に並ぶ。


「直行、お前は出てくるな」

「二人いっぺんにいこうぜ、もたもたしてたら、人が集まってもっとめんどくさいことになる」


「よっ、がんばれ親子」

 真田さんがはやし立てる。


 大輔はそっちを振り返って何か言いたそうだったが、クモ男が再び襲い掛かってきたので向き直って応戦した。


 大輔が一撃、二撃をかわしたところで直行が割って入って、木刀でトンファーをしっかり受け止めた。


「やれ、親父!」

 言われて蹴りをうつ大輔。しかし一泊遅い。もう片方のトンファーで止められてしまう。


「直行、今だ!」

 こんどは直行が切りかかるがこれもタイミングが悪く、クモ男はさほど苦もなくこれをかわした。


「うっわ、連携悪っ」

 真田さんがあきれている。


 ええい、くそ。二人は同時に攻撃。クモ男は両手のトンファーで、木刀と拳を受け止めた。


 二人はそのまま力押ししようとするがクモ男は幸せそうな笑顔でこれをこらえる。


 最後は辺りにゴーンという大きな音が響いて決着がついた。


 笑顔のまま倒れるクモ男。その後ろにはそこらに転がっていた一斗缶を両手でもつマオリが、申し訳なさそうに立っていた。


「マオリ、えらい」

「やっちゃった。どうしよう直くん」

「大丈夫、死んでない死んでない」


 遠くにパトカーの赤いランプたちが見えてきた。

 

 後頭部を抑えて悶えるクモ男を残して、立ち去ることにした。


 ねずみ小僧の行方もさすがに警察に任せるべきだろう。もうすでに逃げおおせているような気もするが。



 足下のクモ男に両手を合わせて拝んでいるマオリに、直行はバイクに乗るよう言った。


「え、でも」


 マオリは、パトカーに慌てている大輔と真田さんを見たが直行は構わず彼女を乗せて、アクセルを全開に吹かして走り出した。


「このまま聖澤の屋敷まで帰ろう」


 直行たちの後ろでは色々騒ぎが起こっているようだった。


 さっき倒した男たちの暴れる声。警官の怒声。馬のいななきまで聞こえる。


 直行がバイクを走らせながら夜空を見上げると、たくさんの星たちが二人を見下ろして瞬いていた。横浜のそれとは随分違って見える。


「そうだ。マオリ、天文台に行けなかったね」

「仕方ないよ。またいつか来るわ。今日はこれで十分」


 峠の方角に向かう国道は交通量が少なかった。走っていると風が冷たかったけれど、マオリが両手でしっかり直行に捕まっていて、その部分はあったかさを感じる。


 一面の闇の中にバイクの音が響いた。星を見上げながらマオリが歌う。


「ぬーすーんーだバイクで、はーしーりーだすー♪」

「バカ」


 聖澤の屋敷の明かりが近づいてくる。


 自分は今日、最善を尽くせたのだろうか。


 直行は空の星々か、もしくは背中のマオリに尋ねてみたくなったが、思いなおしてやめた。


 なんにも言わないでただ走り続けた。

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