第39話 追跡
突然の大きな音に人々の歓声が止み、足が止まる。
浮かれた夢から急に覚まされたようにぼんやりとあたりを伺っている。
一万円札たちが、場の空気を読み損ねて、なおもひらひらと舞っていた。
もう一度地上から同じ破裂音。
悲鳴が上がった。そして空中のヘリコプターが爆発音とともに体勢を崩すと、また悲鳴が上がった。
「嘘だろ。何考えてるんだ」
信じられない。警察が発砲した。
さらわれた鏡子さんがそこに乗っていることを知っているのに。
なにかの破片が地上に落下した。誰かに当たったようで、また悲鳴が巻き起こる。
夜空にうかぶヘリコプターはふらふらとさまよい出した。もはや平衡を維持できない。プロペラの回転がぎこちないのが分かる。煙も少しだが噴出している。
「鏡子さんが!」直行は堪らず駆け出して、ヘリを追った。
ヘリは駅の真上を通過して西口方面へと移動する。もはや、飛んでいる、とは言いがたい状態。
追いつけるとは思えなかったが、走り続ける直行。
人混みをようやく抜けたところで、足が止まった。
目の前にはバイクに乗った男たちが三人。手には例の如く金属バット。
息の荒い直行を、無表情で眺めている。
アクセルを勢いよく響かせ、直行めがけて突っ込んできた。
視界の片隅に未だなんとか空に在り続けるヘリコプターを確認しながら、木刀を構える。
バイクで走りながらバットを振り回すなどというのは、見た目は雄々しいが、こっちが落ち着いていればそう当たるものではない。
まっすぐ自分に向ってくるバイクを、直行は直前で小さく俊敏にステップしてかわした。
そしてすれ違いざまに相手のハンドルを握っているほうの手を木刀で叩くと、それだけで大きくバランスを崩して、バイクはけたたましい音を立てて横転した。
乗っていた男も道路を滑って転がる。
静かに転んでくれ。警察が気付いちゃうだろって。
残りの二台も直行はあっさりと片付けた。
「直くん、大丈夫?」
やっと追いついたマオリが息も切れ切れで苦しそうだ。
直行は「うん、たいしたことなかった」と淡々といいながら、転がっているバイクを品定めして、そのうちの一台を起こした。
クリーム色のべスパ。ひょいと跨る。
「マオリ、はやく乗って」
「運転できるの?」
「やったことある」
「ヘルメットないよ」
「仕方ないじゃん。いやならここで待ってろよ」
渋るマオリを促して、後ろに座らせる。そしてアクセルを吹かしてヘリを追いかけた。
「ちゃんと捕まれって、落ちたら痛いぞ」
「スピード出さないで。こわいよ」
市内は混乱の中にあって、おかしな連中は一杯いた。
テレビ局の人間。警察。ヘリを追いかけるものたちもたくさんいた。
中学生と小学生がバイクにノーヘルで二人乗りというのは、その中でも際立つ存在だったが、二人はお構い無しにヘリを追いかけた。
闇の中にかすかに音がする。まだ飛んでいるのだ。
「もう少し先に行けば果樹園がいっぱいあるあたりだ。何とか不時着しろよ!」
直行は信号もなにも全部無視してベスパをかっ飛ばしながら、ヘリに向って叫んだ。
空中をゆっくり蛇行するヘリと徐々に距離が縮まってきた。高度も下がってきたので白いワンピースの鏡子の姿が見えた。
「鏡子さーん!」
マオリが、届くはずはなかったが力の限りの声で叫んだ。
ヘリの進路が大きく曲がる。直行もそれを追いかけて、両側が果樹園の狭い道に入った。
ベスパのエンジンの音は張り裂けそうに甲高い。かなりのスピードが出ている。でもどうなっても構わない。とにかく全速力で追いかける。
バイクの後ろから、そのときはるかに早い速度で大きな何かがやってきて、二人に並んだ。
「え? えぇえー?」
マオリが素っ頓狂な声で驚く。
直行も驚いた。
猛スピードでヘリを追うそれはどうみても馬だった。大きなサラブレッド。
そしてその上に跨って手綱を操っているのは、どうみても友三じいさん。
「よう、がんばっとるなガキんちょ」
馬上で不敵に笑う友三じいさん。御年八十六歳。
バイクの二人はぽかんと口を開けて何も答えようがない。
友三じいさんは雄たけびを上げてバイクを抜き去っていく。目の前にあった果樹園の柵を豪快に飛び越えて、たちまちヘリの真下あたりまでたどり着いた。
ヘリはもう限界だった。鏡子と黄色い頭巾のクモ男の顔が直行にもはっきり見えた。
「鏡子、飛び降りろ!」
馬上の友三じいさんが叫んだ。
「じいちゃん!」
「わしを信じろ。飛べ、鏡子!」
直行とマオリが見たのは、現実の出来事だったのか。
鏡子は飛んだ。長いポニーテールが舞う。
祖父を心から信頼して、ヘリから飛びおりた。
友三じいさんは両手を広げる。
マオリの悲鳴。直行の叫び。
鏡子の体は風になびき、瞬間本当に空を飛んだかのようだった。
八十六歳の小柄な王子様は姫を力強く受け止め、抱きしめた。
馬は衝撃でよれたがどうにか踏ん張る。
ヘリはその上を通り過ぎ、それから十秒ほどさまよったのち、すべるように地上に落ちた。暗闇の中ですごい轟音と、木やなにやらが折れる音がした。
鏡子を後ろにすばやく座らせて、友三じいさんが手綱を引き馬を止めた。
直行は柵の空いている場所を見つけて果樹園の敷地に入り、馬の横にバイクを停めた。
マオリが二人に駆け寄る。
「鏡子さん、鏡子さん!」
鏡子は友三じいさんの背中にしっかりしがみついて、顔を埋めていた。
「じいちゃん、怖っかねかったよう」
「よしよし、もう大丈夫だ」
無事なようだ。良かった。
車の音が聞こえてきた。直行たちが来た道を二台の車が争うようにこっちに向ってくる。
黒のワンボックスカーと、もう一台は水色のパオ。
「直くん、お父さんたちに見つかったらまずくない?」
「うん、でもどうにもなんないだろこれ」
二台は本当にケンカをしていた。黒いワンボックスが車幅を寄せてくるのを、パオは小さな車体を生かしてすばやくかわした。
直行たちの十五メートル手前の柵のところで二台は急停車。
黒いワンボックスからは、機動隊の制服に似ているようでちょっと違う、見るからにことを穏便に済ませる気のなさそうな風体の男たちが四人降りてきた。
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