第38話 直行vsねずみ小僧

 ねずみ小僧は福島駅前アーケードの屋根の上に立っている。その頭巾は黒いものに変わっていた。


 直行は下から見上げていた。やっと会えた一方的な文通相手のその姿を。


 ねずみ小僧の地声は初めて聞く。年は直行と同じくらいの少年だと思う。


 間近で見ると、背は直行より小さいがいかにも俊敏そうな体つきをしている。


 向こうも、直行の姿をつぶさに観察しているようだった。


「ねずみ小僧。誘拐犯が、罪のない僕らとかいっても説得力ないよ」


 マオリが直行の少し後ろで、二人の対峙を見つめている。ねずみ小僧は彼女の姿に気付いた


「忠告したはずだよ直行。彼女を、糸井マオリを守ろうとすることに意味はない」


「ねずみ小僧。世間の人たちがどういおうと、俺はお前のやりかたを認めない」


「むしろ、直行だけには認めて欲しいんだけどね。君のような仲間が欲しかったのは本当なんだ」


 ねずみ小僧は金を拾い集める狂騒の呈の民衆たちを指し示す。

「見てよ、彼らを」


 なおも舞い振るお札。その一枚をねずみ小僧は手に取った。


「こんな芝居地味たことをしたって、あいつらにどれだけ言うことが伝わっているのか分かったもんじゃない。どいつもこいつも浅ましい。そうは思わないか、直行。こんなものが一体なんだっていうんだ!」


「格好良くないとは思うけど、俺にはまだそれを笑う資格がないよ。親のおかげで、いままで生活する金に困ったことなんてないんだから」


 直行はそういいながら、手にしていた布袋の紐をほどき木刀を取り出した。


 ねずみ小僧も腰の後ろに指していたものを抜いた。特殊警棒。


 直行が叫ぶ。


「鏡子さん返せ。鏡子さんやセントジュリエットが自分の力で稼いだ金を、お前が偉そうにばら撒くな。マオリのお父さんをこれ以上さらし者にするな!」


「自分が目的の為に他人を傷つけていることは自覚してる。その罪は一生背負うつもりだ。いま降りるよ。いくぞ、直行」


 二人は身構える。マオリは怖かっただろうが、直行の背中を目を逸らさずに見つめていた。


 闇に舞い降りつづけるお札は桜の花びらが散るのにも似て、不思議な美しさを醸し出していた。


 ねずみ小僧は跳んだ。直行めがけて襲い掛かってきた。


 無駄のないコンパクトなフォームから特殊警棒の一撃。鋭い。


 特殊警棒による打撃は見た目よりもずっと重いと聞いたことがあったので、直行はとっさに斜め後ろに下がりながら木刀を横にして、その攻撃を後ろに逸らした。


 二人は向き直ってすばやく身構える。間髪いれずねずみ小僧の第二撃がやってきた。これも受け流す。


 二度、三度と、繰り返しても直行の体に攻撃は当たらない。ねずみ小僧の手が止まった。


 これではらちがあかないと思ったのだろう。少なからず動揺があるようだった。


「そんなに驚くなよねずみ小僧。お前が練習する機会をくれたんじゃん」


「ずいぶん守りが固いな」


 ねずみ小僧は呟く。彼の呼吸はいまだ整っているのが、頭巾越しでも見て取れる。

 体つきをみて直行が感じた通り、運動能力はかなり高いようだ。


 しかし、剣道をやっているようではなさそうだし、何より実戦経験がおかげさまで、どうやら直行のほうがずっと豊富だった。


 再びねずみ小僧は斬りかかってきた。


 攻撃の手を緩めない。当たりはしないがかわしてもかわしても、ステップを踏んで切り返し次の一撃を放ってくる。反撃ができない。


 止めて、そして打つ、じゃ遅い。直行は思った。防御の流れでそのまま攻撃に移らなければ。


 言うのは簡単だけど今まで直行が相手にしてきたやんちゃ風な者たちとはスピードが全然違う。


 構える木刀の切っ先が、直行と一緒に考えごとをしているように揺れていた。


 ねずみ小僧の更なる突進。直行は右斜め後ろに歩を運ぶ。木刀と特殊警棒が重なる。


 今までは衝撃が極力少ないような受け止め方をしていたが、すこし角度を変えて直行は木刀を当ててみた。


 手に響く衝撃。しかしそれを筋力で受け止めようとせず、逆にその瞬間直行は腕の力を全て抜いた。


 相手の力で木刀を握った両手が弾じかれる。その力を直行は円運動に変えた。防御がそのまま攻撃の初期動作となった。


 木刀はきれいな弧を描いてねずみ小僧の背中を捉えた。


「くっ!」


 崩れ落ちるねずみ小僧。倒れたところを直行は更にねらって詰め寄ったが、相手は必死に後ろへ飛びすさってそれを逃れた。


 ねずみ小僧は特殊警棒を構えなおす。木刀が当たる瞬間に彼は背中をひねって直撃を避けたが、しかし大きなダメージを負ったのは間違いない。


 良かったなあ、今の。直行は自分が放った技に感動していた。そんな場合ではないというのに。


「体重を乗せるタイミングをもう少し早くすれば、次は決められるかな。どうだろ、ねずみ小僧?」


「知るかよ」

 ねずみ小僧は一歩、二歩と後ずさりして、距離をとりながら言った。


「直行。このままやって、負けるかもしれないし、俺が勝つかもしれない。話がちがうじゃないか。試合では空回りして負けてばかりだって聞いていたのに」

「その話をお前にしたやつ、ぶん殴るからここに連れてこい」


「問題は俺が負ける可能性があるということだ。それは困る。なにがあろうと、こんな途中で捕まってしまうわけにいかないんだよ」


「おまえ逃げる気じゃないだろうな? 俺に裁きを与えるんだろ? 自分のいったことに責任を持てよ」


「分かってる。でもごめん、直行」


 ねずみ小僧は、細い路地に向って駆け出した。直行はふざけんな、と言ってそれを追いかける。


 遠ざかっていく黒頭巾を精一杯追ったが、足は向こうが早かった。何個か目の角を曲がったときに遂にその姿を見失ってしまった。


「せめて鏡子さん置いてけ、ばかたれ!」


 直行ははき捨てるようにそういって、マオリを一人にする危険を考えて、すぐに引き返した。


「直くん」

「逃がした。悪い」


「そう」


 無事に戻って来た直行を見て、マオリの顔に安堵の表情が浮かぶ。

 

 人々の騒ぎは、未だ収まらない。


 その中心地でそれに加わらず突っ立っているのは、色んなひとにぶつかって、あぶなくてしょうがないので、二人はやむなくそこから離れた。

「ああ、親父だ」


 人混みの向こう側に父と真田さんの姿を見つけた。あっちはあっちで成すすべなく空を見上げている。


 直行の目の前に風に揺られて、一万円札が一枚落ちてきた。

反射的に手を出してそれを掴む。


 両手で広げて福沢諭吉の顔を眺めていると、直行は空しさがこみ上げてきた。


「俺、何しに来たんだろ。ねずみ小僧は結局目的を全部果たしたじゃないか。空回りだ、また」


「でも、ねずみ小僧をひっぱたいてくれて、わたし嬉しかったよ」


 マオリは笑っていた。


 ま、とりあえずいいか。


 マオリのその微笑みを見ることの出来た直行はほんの少し笑って、一万円札をひょいっと放り捨てた。


 そのとき大きな、鈍い破裂音がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る