第37話 正義を叫ぶ少年

 福島駅前東口の騒がしさは常軌を逸していた。


 広場は群集で埋め尽くされ、警察官も大勢いる。


 警察はこの場から人々を立ち去らせたいのだが、人数が余りに多すぎてどうにもならない。


 テレビカメラもたくさん来ている。


 そして、こういうのもコスプレって言うのだろうか。ねずみ小僧と同じような頭巾姿のものまでいる。カップルで色違いの頭巾をかぶり、カメラに向ってピース。最悪だ。


「ひどい」

 二人が途方に暮れていると、遠くから何か人のざわめきとは別の物音が聞こえてきた。


 その音がどんどん大きくなったかと思うと、駅の上空を一機のヘリコプターが轟音を響かせて通り過ぎていった。


 わっと歓声が上がる。

 皆が手をふり、指笛を吹いてその機影を見送る。


 ヘリコプターからはスポットライトの明かりが一条の筋となって、まるでヒーローが下々の人間たちに応えるようにさまよう。現金受け渡し場所の鉄塔へと向ったのだ。


  福島テレビの鉄塔はさきほど競馬場からの帰り道に見かけた。競馬場と駅の中間あたりにあって、ここから徒歩だと十五分くらいかかると思う。


「直くん、鉄塔で捕まえられないのかな」

「難しいんじゃないかな。骨組みの鉄塔じゃ人間が隠れられないだろうし、もっと時間があれば警察だってなにか特殊な対策をうてるかもしれないけど」


 直行は少し歩き回って、辺り全体を見渡せるところを探した。適当な場所を見つけて二人並んで腰掛ける。


 福島駅前にはデパートやビジネスホテル、それからシネコンなど、大きな建物がいくつかはあるが、全体的に薄暗い印象を受ける。閉店してそれっきりのテナントが結構あるようだ。景気が良さそうには見えない。


「それが現在のこの国の姿なのです、かあ」

「えっ何?」

 

 直行はマオリの問いかけには答えず、なおも増え続ける群集を見つめた。彼らは救いを求めるように空を見上げていた。


 競馬場にいた、あのおじさん。


 警備員に、昔なつかしいとらわれの宇宙人の如く両脇を抱えられて連れて行かれた彼ももしかしたらここにきているのだろうか。


 ヘリコプターの音は遠くでまだ聞こえ続けている。何が起こっているかは音からうかがい知ることは出来ない。


 直行たちの座る少しはなれたところにパトカーが一台止まっていた。中には制服の警官が二人乗っていて、どうにも御しようのないこの状況にお手上げの状態だった。


 さっき暴れた件を咎められる危険を承知で、直行がパトカーの側にいたのは、空いた窓からもれ聞こえてくる無線の内容が目当てだった。


 駅前の時計が八時五分を指したとき、無線から緊迫した声が響いてきた。


『犯人のヘリコプターは現金の入ったバッグを積み込んで逃走!』


「やっぱり駄目だったか」

 直行はすっと立ち上がった。


「ねずみ小僧が、ただここでお金をばら撒いてそれで逃げちゃうっていうのなら、俺に出来ることなんてなんにもない。でも」


 そこで言葉をつぐんだ。マオリの顔を見て、迷いながらも続きを話した。


「あいつらの目的は、財前誠一を滅ぼすことだから。世の中の人たちなんて、どんな事件だって、自分の身に関係がなければそのうち勝手に忘れちゃうものだけど、財前の件をそうはさせないことが、何度でも何度でも蒸し返すのが目的だから。そのためにこんな騒ぎを起こしたんだ。ねずみ小僧はきっと人々の目に付く場所に、近くに現れる」


「わたしも滅びなければならないの?」


 まっすぐ見つめるマオリの眼差しに、直行は答える言葉を持たなかった。正しいのがどちらなのか。彼だってずっと迷っていた。


 パトカーからはさらに声が聞こえる。


『聖澤鏡子さんはヘリコプターに乗せられている模様です!』


 ヘリの音がたちまち近づいてきた。広場の真上で止まる。


 歓声の中、ヘリからのスポットライトが群集たちをひと眺めする。


 ヘリから何かが出てきた。

 公園にあるブランコの、それよりは幅が広くて安定した板状のもの。


 それに乗って、紫の頭巾をかぶったねずみ小僧がゆっくりと降りてきた。


「何様だ」

 直行は忌々しくて仕方がない。


 ねずみ小僧はポケットから札束を取り出すと大げさな手振りでそれを放り投げた。


「おー来た来た!」


 周りの者たちが喜んでそれを取りにいく。あわてて転ぶものがいる。それを踏みつけるものがいる。


 警察がスピーカーで、金を返却するように呼びかけているが、全く意味を成さない。


「これまずいよ。直くん。怪我人がいっぱい出るよ」


 パニック状態の群集におびえを感じながらマオリが直行の傍らで呟く。


『みんな気をつけろよ』


 大音量でボイスチェンジャーを通した甲高い声が街中に流れた。


 空中のねずみ小僧がマイク片手に叫んだのだ。音は、やたらあちこちから聞こえてきたようだった。


『聖澤鏡子さんにはすまないことをしたと思っています。結果として、彼女の大事なお金を僕が奪うことになってしまった。でも彼女でなければならない理由があるんです。どうか聞いてください』


「あいつ無線で聞こえるスピーカーをたくさん仕掛けておいたんだ。あーあ、ほんとに演説始める気だよ」

 直行たちの近くに数台のパトカーが駆けつける。鉄塔からこちらに合流した者たちだと思う。父たちも既にどこかでこの光景を見ているのだろう。


『聖澤さん、そして警視庁副総監、財前誠一。この名前を聞いて五年前のあの事件を思い出す人は、きっと少なくないはずです。現職の警察官による殺人事件。被害者はいまこのヘリコプターに乗っている鏡子さんの父、聖澤庄助さんでした』

 

 群集はねずみ小僧の言葉に耳を傾ける。ざわめきは続いていたし、ときたま「金くれー」などと、とても情けない野次が飛んだりしているが、これから四億円をばら撒いていてくれる相手の言葉だから、たいがいのひとは素直に聞く。


『財前は身内かわいさにこの事件の真相を偽ろうとしました。信じられますか? 日本の警察官は殺人を犯しても仲間に守ってもらえるのです。そして、鏡子さんのよき父だった庄助さんは、事故扱い、へたすれば自殺として扱われるところだったといわれてます。そんな愚かなことをした人間が、はっきりと罰されることもなくいまも権力のてっぺんにいる』

 

 ねずみ小僧は札束をもう一掴み手にして空へと放った。


『こんな馬鹿な話があるかあ!』


 金が虚しく空を舞い、落ちてくる。


『警察の腐敗はもはや限界に来ている! 現行の制度では、この国の治安は保たれることが困難であることは明らかだ! しかし僕らは屈しない。義のなきものが安穏と暮らし、罪のない僕らが生活に窮するような世界などあってはならないんだ!』


 ねずみ小僧の感情の高まりきった絶叫を合図にヘリコプターから大量のお金が降りだした。まいているのは黄色い頭巾のクモ男のようだ。


 各局のテレビカメラによって演説の一部始終は東京ドームのときのように生中継されていて、またいい視聴率を稼ぐことだろう。


『正しい人に生きる力を! 明日を歩む為の糧を!』


 ねずみ小僧の更なる叫びを合図にヘリコプターはゆっくりと上空を旋回する。そして一万円札を広場中にムラなく、みんなに行き渡るように撒き散らしていく。


 人々は両手を広げて走り回る。喜びの歓声と悲鳴。けたたましいカメラのフラッシュ。彼らは踊り狂っているようにも見える。


 お札は駅前のアーケードの上にも舞い落ち、よじ登ってせわしなく拾い集めるツワモノがいた。


 金を追いかけているうちにぶつかったのか。それとも取ったとおもったら横から奪いとられたのか。怒声を上げてケンカを始めてしまっているものも一人や二人ではない。


 醜い。


 これが自分の生きる世界の、人間の本当の姿なのだろうか。


 ブランコにねずみ小僧の姿はなくなっていた。近くの建物に飛び移ったのだ。


 警察は彼が降り立ったあたりに向ったが、人々は誰も気に停めていなかった。金に目もくれずにいた古橋直行以外は。


 あたりにはねずみ小僧紛いの頭巾をかぶっているものがそこらにいた。こういうことをされると、本物が紛れ込んだ時に探しづらい。


 ましてや、いつのまにか本物が頭巾の色を変えたりすれば、もう分かりやしない。


 直行は人混みを掻き分けて探し続けた。そしてやがて二人は出会う。


「来ているのは気付いていたよ、直行」

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