第36話 福島駅前の騒乱

 聖澤家の使用人高田さんは運転手と車をすぐに手配してくれて、直行とマオリは黒塗りの立派な車で福島駅まで送ってもらえることになった。


 その途中、直行は運転手にたのんで寄り道をしてもらった。

 手に入れなければならないものがあったからだ。武器だ。


 今回の旅にさすがに愛用の竹刀は持ってこられなかった。だから現地調達をしなければならない。お土産屋で売っている木刀。福島市内でもどこかしらでは売っているはずだと思った。


 そして実際ほどなく、直行は木刀を手に入れることができた。


 木刀は竹刀よりも重量はあるが、部活で筋力アップのために結構振ったことがあるので扱えると思う。それに竹刀では、金属バットなどを相手にすることを考えると耐久性が心もとない。


 屋敷を出るときにマオリが買ったセントジュリエットのぬいぐるみを触ってきた。そうすることでセントジュリエットの強い心を分けてもらえるような、そんな気がした。


 福島駅前には七時半ころに到着した。駅の前まで車で行ってもらうつもりだったのだが、道路がひどい渋滞だったので仕方なく西口の手前で降ろしてもらった。歩道もたくさんの人でごった返している。


「数千人とかいそうだなこれ」

 若者、中年、服装が粗末なひとたち。様々な種類の人間が東口へと向う地下道に殺到していた。福島の市民以外のひとたちも話を聞きつけて相当数やってきているのだと思う。


 みんな異様な興奮状態だった。直行たちの横を歩く若い男女二人もうれしそうに話す。


「四億円でしょ。がんばれば一人十万円は拾えるわよね」

「定額給付金なんかより、よっぽど割がいいなあ」


 なるほど、これはマオリじゃなくても不愉快なものだ。


 直行とマオリも狭い地下道を歩く。道の両脇には、温泉やテレビ番組の広告がずらっと並んでいる。人々で詰まっていてなかなか進むことができない。


 直行は、いつもは竹刀を入れている薄緑色の布袋にさっき買った木刀を納めて、それを右肩に背負っていた。


 マオリは直行のすこし後ろをついて歩いてきている。その足取りは、とぼとぼ、と表現して差し支えのないほど、元気がないものだった。


 直行はそんな彼女の様子を気にしていて、そのため、いつのまにか人ごみの中、自分たち二人の周りを囲んで歩く者たちがいることに気付くのが遅れた。三人。


 以前、直行と忍を襲ったようなやんちゃ風な少年たち。どうやらねずみ小僧も兵力を現地調達したようだ。


 同じやんちゃ風でも横浜とは髪の染まり具合や来ているダウンジャケットのセンスに微妙に違いが感じられる。地域差というやつだ。


 マオリをつれてきたことはさっそく裏目に出てしまっただろうか。


 一人が、壁にどんと手をついて直行の行く手をふさいだ。


「金拾ったらさあ、俺らに分けてくんない?」

「こんな狭いところでやる気かよ」


「は? 何いってんのお前」

「金なら、もらえるんじゃないの? それとも勝手に好きなだけ拾えとかそういう話?」


 直行はそういいながらマオリに手で、下がれ、下がれ、と合図した。敵のやんちゃ風は三人とも二人の前方を塞いでいるので、後ろの人混みに彼女を紛れさせておけば被害を及ぼさずに済むと思う。


 そのとき突然直行の腹に重い衝撃が走った。相手の膝蹴り。


 直行はその痛みにしゃがみこんでしまいそうになったが、かろうじてこらえた。


 そして木刀を袋にはいったままで一閃して、相手のあごを大きく跳ね上げた。


 地下道に誰かの耳障りな悲鳴が響き、渋滞していた人ごみの中にぱっとスペースができた。前後には人の壁ができあがってしまって皆こちらを見ている。なんだなんだと大騒ぎ。


「げほっ、ほらこうなるに決まってんのに、少しは考えろよな」


 この状況はお互いに戦いづらいし、逃げづらい。直行は蹴られた腹を気にしながら、袋から木刀を取り出した。もういちど誰かの悲鳴が上がる。


 いま直行が攻撃を加えた一人はもう動くことができなそうだ。あと二人。


 直行はゆったりと木刀を構える。腹は痛むがそれが筋肉の力みにつながらないようにしなければならない。


 ふわふわと切っ先を揺らす。集中が高まるにつれ、人々のざわめきが耳に届かなくなるのを彼は感じていた。


 相手は素手で殴りかかってくるだろうか。

 しかし、直行が竹刀の類を持っていると厄介であることは事前に伝わっているはずだ。


 直行は極力慎重に間合いを取っていたが、敵の右手がズボンのポケットに入った瞬間それを見逃さず、一か八か前に出て相手の鎖骨を切りつけた。


 彼の攻撃をまともに受けて、相手は倒れこんだ。


 石畳の上をナイフが転がり、高い音が地下道に響く。やっぱり刃物を持っていた。


 最後にのこった一人もナイフを取り出した。


 直行は初めて刃物を持った敵と対峙して怖かったが、相手の顔もかなり引きつっている。


 刃物を出すというのはそういうことだ。これから自分が相手を殺してしまうかもしれないという恐怖に耐えられるものなんてそういるわけがない。


 敵は叫び声を上げて向ってきたが、威勢だけで動きが硬かった。


 直行はこころの中で呟く。

 やわらかく、曲線的に、されど最短距離で。


 そして相手の攻撃を冷静に裁いて、面打ちで仕留めた。


 フルスイングではなく相手の突進にカウンターを合わせるように当てた。それによって強烈なダメージを与えた。


 少年は頭を抑えてうずくまり、その手の隙間から血が流れるのが見えた。


 周囲の誰かが「警察呼べ」と叫んでいる。


 直行は慌てた。今日は警察がそこらにいるはずだ。


 すぐに木刀を袋にしまいマオリの手を引くと、そこから一番近くにあった支道、駅ビルの地下入り口へと走りこんだ。


 こちらも混んでいた。


 もともと騒がしかったことが幸いし、駅ビルの中の人たちに地下道での乱闘は気づかれていないようで、二人はそ知らぬ顔で通り抜けて、駅の東口にたどり着くことが出来た。


 直行は強く握っていたマオリの手を離そうとしたが、彼女がいまの騒ぎで顔色が悪くなっていることに気付いて、もう一度、できるだけやさしく握りなおした。


「俺、ねずみ小僧に個人的な恨みを買っちゃってるんだよ。だからどのみちあいつをなんとかしないと、平和に暮らしようが無いんだ」


「直くん手配されたりしないかな。逃走した少年は黒いジャージの上に白いパーカーって」

 

「されるかもね。一緒に逃走した少女はピンクのダウンジャケットの下に白と紫のストライプのセーター。毛糸の白い帽子を着用、とか言って」


 マオリは久しぶりに笑った。


「直くん、手のマメすごいね。いっぱい練習してたもんね」

「え?」


「やだな、ほんとに気付いてなかったの? わたし直くんに公園で会ったことあるんだよ」

「公園で?」


 直行は思い出そうとしたが記憶にない。

首を傾げる直行に、マオリは溜息をついて「がっかりだ」と呟き、握っていた手を離した。

 

 本当に思い出せないのだからそういわれても困る。

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