第35話 ねずみ小僧の要求
福島競馬の最終レースは中止となった。
鏡子をさらったヘリコプターは競馬場から西の方角、吾妻山の向うへと消えていった。
警察は目撃情報をもとにその行方を追ったが、相手からの次の連絡はすぐにあった。
ヘリコプターが、その通り道に手紙をたくさん落としていったのだ。
『聖澤鏡子さんは大事にお預りしています。
今夜八時、福島テレビの鉄塔に四億円を持ってきてください。
カバンに詰めた状態で最上部に置くこと。置いたらおりること。鉄塔に一人でも 人影があれば、それは交渉の決裂を意味します。
ただし、受け取ったお金はすぐ返します。
その足で、福島駅東口の上空から全てばら撒くので、みなさんお誘い合わせの上、来てみて下さい。
鏡子さんはそのあとで間違いなく返します。
まってるよ』
鏡子を乗せたヘリコプターが飛び立った後、直行たちは競馬場中を探したが、糸井晴信の姿はなかった。そして財前誠一も。
聖澤の屋敷に戻ると大騒ぎだった。警察の関係者もたくさんいる。
「考えてみりゃそうだよな」
直行は、マオリとロビーの長椅子に座って大人たちの様子を眺めていた。
服装は先ほど動きやすい格好に着替えてある。これからのことに備えて。
「セントジュリエットは、そりゃいい馬なんだろうけど、聖澤の人たちが一番大事にしているものっていったら、どうみても鏡子さんのことだ」
父たちは友三じいさんと奥の部屋にこもっている。対策を練っているのだと思う。
直行は昨夜の壮行会の時、友三じいさんと鏡子が騒いでいたときの、それを見つめていた人々の楽しそうな顔を思い出していた。
「直くんは友達のところには行かないの? ……それどころじゃないか」
マオリは元気がない。色々あったから仕方がない。
父の姿を見つけて、そして見失ったこと。それに鏡子から彼女の父聖澤庄助のことを聞かされたことも、彼女に大きな動揺を与えてしまっていることだろう。
直行は、彼にはめずらしいことに、この子には本当のことを言ってしまおうという気になった。
「旅行っていったのは嘘だよ。俺も親父たちと同じ、ねずみ小僧を追いかけてここに来たんだ」
「うん、そうかもなって思ってたわ」
「へえ、ばれてたんだ。ま、あんまり上手な嘘ではないもんな」
「お父さん、痩せてた」
あれで痩せたんだ。結構太っているように見えたけど。
「わたしに気付かなかったのかな? 気付いたけど、会いたくなかったのかな?」
そんなことない、と気休めの言葉をかけることは直行だってたやすく出来たが、それがなんになるというのか。
財前と糸井、あの二人は何故現れたのだろう。
ねずみ小僧の犯行予告が今日の日付を示していたことは、日本中の人々が知っている。そこにわざわざ現れた。
それとも、自分たちはなにか話の順番を勘違いしているのだろうか?
直行は椅子から立ち上がった。
「俺、行くよ。ここからは親父たちと別行動だ。マオリは親父に聞かれたら、俺は勝手に友達のところへ行ったと伝えてくれる?」
「行って、どうするの?」
「鏡子さんを助ける。ねずみ小僧がお札をばらまいたら喜ぶ人のほうが多いんだろうけど、俺はそれをとめる」
「直くんのやっていることは、わたしとお母さんに嫌がらせをしている人たちと、そんなに違わないような気がする」
マオリは座ったままで、大人びた眼差しで直行を見上げている。
「……何それ」
「競馬場にねずみ小僧が現れたとき、まわりの人たちの様子を見たよね。みんな、騒ぎが起きてなんだか嬉しそうだった。そりゃそうよね。関係ないんだもの。あのひとたちは観客で、興味がなくなれば離れて、忘れることができるんだもの。直くんはその人たちと同じように見えたの。三人で競馬場の中を歩き回ったとき、ねずみ小僧がどこからくるかずっと考えていたんでしょ? あなたは楽しそうだった」
彼女は唇をかんでうつむく。
あのとき、直行にも観客の声は聞こえていた。ねずみ小僧が財前の名を呼んだことで彼の姿に気付いた者もいて、大声で叫んでいた。
『お前みたいのがいるから、日本はいつまでたっても良くならないんだ。死んじまえ!』
言った人間は、さぞ気分が良かったことだろう。正義の代弁者として、世間を騒がす大物にひと言もの申してやったのだから。
直行はそれほど気に留めなかったが、マオリからすれば骨身を焼けた刃で刻まれるような思いをしただろう。
そして、言ってやりたかったのだと思う。その言葉をお前にそっくりそのまま返す、と。
「楽しそうに見えたんだったら、ごめんな。気がまわらなかったよ、馬鹿だからさ。でも、俺行くから」
手紙のこと。忍のこと。マオリは話せばきっと理解してくれるようなきがする。直行はそれでもやっぱり全部は言葉にしたくなかった。自分でも難儀な性格だと思う。
「マオリも来る? 危ない目にあわせちゃうかもしれないけど。でも、じっと待っているのがいやだからここに来たんだろ?」
マオリはしばらく考えて、それから頷いた。
二人が部屋を覗くと中では大人たちが重苦しい空気を醸し出していた。
友三じいさんは険しい顔で床にあぐらで座り込み、拳を握り締めている。悔しくてしょうがないのだろう。
真田さんも椅子に反対向きで座って物憂げな表情で窓の外を見ている。父もその横に立って何かを考え込んでいる。
直行の横を通って高田さんが小走りで部屋の中に入っていった。
「四億円は準備できました」
「お、早い」
父の口調はこんなときでもどこか緊張感に欠ける。
高田さんはまたすぐに廊下に出てきた。そこを捕まえて、自分たちを送ってくれるようにお願いした。そのあとから、父たちも緊迫した足取りで出てきた。
友三じいさんの大声が響く。
「わしはここで待っていろだと? 馬鹿なことをいうな。鏡子はわしが助けなければならんのだ!」
周囲の人間がなだめる。
「危険ですよ。状況は逐一ここで分かるようにしますから」
「ふざけおって」
じいさんの足がもつれた。血圧が上がりすぎたのだ。
「友三さん、無理だよ」
直行の言葉に友三じいさんが鬼のような形相で睨みつける。
「ガキが。お前もわしに孫を助けられぬというのか。庄助ばかりか、鏡子まで失うのを指を咥えてみてろというのか」
結局数人がかりで、友三じいさんは部屋に押し戻された。
「だって、無理だよ。年齢考えろよ」
「直行。人はこんなふざけた真似されたら頭に来るもんだぜ、八十六歳だろうが、中学生だろうがな」
黙って見ていた父が、そう言って歩き去った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます