第21話 水色のパオ

 古橋さんを追いかけて、マオリも茶色の靴を履いて玄関の外へと出た。

 母も見送りに出てくる。


 門の前には水色の車が停めてあった。そんなに大きくない3ドアタイプ。なんだか姿かたちがとても個性的な車だった。まんまるのフロントランプが、まるでくまの縫いぐるみのようだ。


 なんでもかんでもかわいいと形容する昨今の女子中高生の語彙の少なさにはマオリも疑問を呈していて、自分の世代になったらそれにかわる多彩な表現を生み出さなければと日ごろ思っている彼女だったが、それでもこれは可愛いと言わざるを得ない。


 ハザードランプが点滅していて、助手席には男の子が乗っている。


 その子はこちらを見向きもせず両手を頭の後ろに組んで正面方向をじっとみていた。


 後部ハッチは上部と下部が別々に開くこれまたみたことのないような構造をしていて、古橋さんはマオリの旅行カバンをそこに詰め込んでくれた。


 中には晩餐会用の服のほかに防寒具も入っているので本当に大きくて、トランクの中で場所をとってしまっている。


 古橋親子の荷物と思しきカバンはコンパクトだ。男の子が降りて、古橋さんが助手席を前に倒してマオリを後部座席に手招きする。至れり尽くせりだ。


 三人が車に乗り込むと、手を振る母を残して水色の車は動き出した。


 住宅街を抜けて、横浜青葉のインターチェンジを目指した。


 車内も水色で、コンポや時計は白くてまるっこいデザイン。ごく小さい音でラジオを流している。


「悪いな。お母さんを一人で残していくのは心配だろ?」


 母は心労のせいで体調を崩している。夜もあまり眠ることができていない。旅立つ娘を笑顔で見送ってくれたが、古橋さんは見抜いていたようだ。


「最近ぼうっとしていることが多いんです。心配だけど、このままただ待っていても状況がよくなりそうもないので、何かしないと」

 

 マオリは話しながらバックミラーで、前の座席に座る古橋さんの息子をちらちらと見ていた。


 彼は窓の外を見るばかりで一言も口を聞かない。マオリのところを一瞥もしようとしない。黒いダッフルコートの下には濃い青のトレーナーを着ている。


「おいこら直行。なんか喋れ。こういうときはアメリカ人の如く流暢に自己紹介をするもんだろうが」


 古橋さんが助手席の息子に声をかけた。


 実はマオリは、古橋さんが名前を呼ぶ前からこの男の子を見たことがあることに気付いていた。


 やっぱり『直行』だ。深夜の公園で竹刀を振っていたあの人。


 古橋さんにいわれても、直行くんは体を半分くらいこちらに向けて、どうも、とひとこと発しただけでまた向き直ってしまった。目も合わせない。


 アメリカ人みたいな挨拶ってどんなだっけ? あれか。

『マオリよ』

『直行だ』

 硬く握手。


 それはマオリだって嫌だ。嫌だけどまともな挨拶はしたかった。


 マオリが何か言う機を逸したまま、車は東名高速に乗って東京方面へと向った。

直行くんはこちらを見もしないのだから、マオリに気付きようがないのだろう。古橋さんは、直行くんが一切の反応を示さないのであきらめてマオリに色々話を振ってきた。


「そのセーターの柄って、あれでしょ?」


 マオリが今着ているのは白と紫の横縞のセーターだが、それが父の影響であろうことを指摘された。父は学生時代ラグビーをやっていた。その母校のユニフォームにそっくりなのだ。


「そうです。デパートでこれを見つけたときに、お父さんが紫紺だ、紫紺だって盛り上がっちゃって」

「縞々にそんなにこだわるのは明治OBと阪神ファンくらいだ」


「あ、お父さん阪神も大好きですよ」

「縞々つながり?」

「だと思います」


「阪神の宮沢さんとは、仕事以外でもたまに会うときあるよ」

「わ、それお父さん凄いうらやましがりますよ。宮沢さんのこと神様みたいに尊敬してるんです」


「握手させてやるから出てこいって呼びかけてみるか」

「それで出てこられたら、わたしとお母さん立場ないですって」


 父のこともあえて明るく話してくれることがなんだか嬉しい。


 その後も二人の間ではそれなりに会話が弾み出したが直行くんは一向に混ざろうとしない。


 ただマオリがうわさで聞いた、若草台中学のサッカー部員たち数名が少し前にケンカで誰かにやられて怪我をした話をしているときは、若干の反応を見せた。古橋さんもそれには気付いたようで、乗じて話を振った。


「栗原くんの経過は良好だってな」

「うん、医者に言われたよりも早く退院できそうだって」


「友達が入院したの?」

 マオリは思い切って話に割り込んだ。けど直行くんは「そう」とだけ返事をしてまた思春期バリヤーを張ってしまった。マオリのことを一瞬だけ見たが、どんな感想を持ったのかは分からない。


「おいおい」

 直行くんのあんまりな対応に、古橋さんの顔に力ない笑みが浮かんで消えた。


 この時点でマオリは直行くんと意思の疎通を図ることをあきらめた。


 こいつ駄目。

 小学生の自分よりもむしろその振る舞いは子供っぽく見える。


 福島までの道すがら、どうせならお互い楽しくできればいいと思っていたのに。いいわよ。お父さんの方と仲良くするから。


 水色の車は快調に東名を走る。ちいさい車だからエンジンの音は結構甲高い。白くて細いハンドルを指でとんとん叩きながら古橋さんが後ろのマオリに声をかけた。


「用賀で一旦降りるよ。待ち合わせしてるんだ。二人増えるからね」

「あ、そうですか」


 マオリはまた考え込む。二人って誰? なんでそんなぞろぞろと。


 直行くんの友達だろうか。扱いづらそうな男の子がさらに増えたらどうしよう。


 彼女の心配をよそに水色の車は横道に入り、料金所へと降りる。


 古橋さんが窓を開けてお金を払った。環八通りの道沿いにある野球場のあたりで車はウインカーを出した。


 マオリが窓から見ると「二人」がいた。女の人と小さい男の子。二人してヒッチハイクのように親指を立ててこっちを見ている。


「通り過ぎちまおうか」

 古橋さんが笑いながら車を停めた。直行くんが外におりて、自分で助手席を手際よく倒して前に押し出す。その背中に小さな男の子は飛びついた。


「直くん!」

「祐樹―」


 直行くんも振り返って、男の子を抱きしめて、お互いに両手で背中をばしばし叩く。直行くんが笑っている。小さい男の子と同じくらい、無邪気に、嬉しそうに。


 ちょっと、ちょっと、さっきまでの仏頂面はなんだったのか。


「直くん、ひっさしぶりい」

 女の人はそういってにっこり笑い、直行くんの胸を拳でぽんと叩いた。


「真田さん、こんちわっす」

 男の子に見せたほどではないが親しげな笑顔。


「おーい、さっさと乗れー」

 運転席に座ったままの古橋さんの声で、外にいた三人はそそくさと車に乗り込む。


 マオリは後部座席の右側に詰める。空いたところに小さい男の子が子犬のようにちょこちょこと入ってきた。「パオー、パオー」とはしゃいでいる。


 マオリが、パオーって何さ? と思って「ゾウさん?」と尋ねると、男の子は首を横に振って、それからマオリを興味深そうに見つめる。


「パオってね。この車の名前よ、マオリちゃん」

 後から入ってきた女の人が荷物を椅子越しに後ろに放り込む。


 二人分にしては小さいチェック柄のカバンと、多分カメラが入っているのだと思われる黒い、革のケース。


「三笠新聞の真田鈴です。よろしくね」

 

 古橋さんと同じ、新聞記者。彼女は迷彩柄のパーカーを纏っている。小柄で、リスみたいに瞳がくるくるしていて。



 青いパオは首都高に乗りなおして、東北自動車道との繋ぎ目である川口ジャンクションを目指した。人数が五人になったことで、パオのエンジン音はよりがんばっている感じになった。

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