第五章 福島へ

第20話 マオリの運命がそこで待っている

 十一月の庭先には、柊の木が白い可愛らしい花を咲かせている。


 マオリは、花もそうだが、そのぎざぎざした深緑色の葉っぱが愛嬌を感じさせて好きだった。


 花壇にはパンジーの黄色と茶色の花が、これから冬に向かいともすればくすみがちになる風景に鮮やかな彩りを添えていた。


 福島の聖澤家に行く際の服装のチョイスは母と二人でかなり迷った。


 なにしろこれから行こうとしている場所は、話に聞いていると随分ときらびやかな世界なのだ。明治時代の鹿鳴館を思い起こさせるような社交の場が、現代においてもあるところにはあるのだということをまず知らなかった。


 映画などで見る古い時代のそんな場面では、マオリくらいの年頃の女の子がしている格好といえば、着物か、でなければ赤や緑のワンピースで頭には大きめのリボン、といったようなものが思いつく。


 しかし今は平成の世だ。行ってみたら全員がカジュアルな格好をしていて、とんでもない浮き方をしてしまったらどうする?


 それは周りに合わせるといったことなかれな消極的な発想ではなくて、個性を発揮するにしてもその集団の傾向特性を見極めて、それに対して自分の立ち位置を明確にするのでなければ美しくない。


 福島の人たちに、あらあら横浜のお嬢さんやっちゃったね、などと思われたら女がすたる。


 遊びに行くんじゃないんだぞ、などというのは的外れな指摘である。


 そんなことを言う人は明治、大正の女性たちが羽飾りや肩の膨らんだドレスで着飾っていたのは、男性にもてたい為、虚栄心を満たしたいが為、日ごろのうさを晴らしたいが為、それらがすべてだったとでも思っているのだろう。


 検討の結果、二パターン準備した。結婚披露宴のようなものしか結局想像ができなかったのだが、白バージョンと黄色バージョンの服装。これを現場の状況に応じて柔軟に使い分ける。


 黄緑色の大きな旅行カバンにそれらを詰め込んだとき玄関のチャイムがなった。時間ぴったりに三笠新聞の古橋さんはやってきた。


「はあい」

 母がドアを開けて出迎える。その声の調子には緊張が混じって聞こえる。


「あ、どうもです」

 対照的にのんびりした口調で挨拶して、古橋さんは入ってきた。


 母は上がるように勧める。古橋さんはいえいえと手を振ってお断りするが、母に押し切られて、結局申し訳なさそうに靴を脱いでリビングへと招かれた。


 母がお茶を準備している間、マオリは古橋さんと向かい合って座った。


「古橋です。よろしく」

「よろしくお願いします」


 このまえ古橋さんが家にやってきて母と話したときにはマオリはいなかった。


 初めて顔を合わす古橋さんは「大新聞の記者で、義賊ねずみ小僧の事件について組織上は部外者であるけど独自に取材を進める切れ者、だと多分思うんだけどその風貌も語り口もいまいち緊張感に欠ける」という母の言っていた印象そのものの人だった。


 くたびれたベージュ色のコートを簡単に畳んで隣のソファーに置き、母の入れた紅茶を美味しそうにすすっている。黒くて薄手のタートルネックセーターも特に高いものには見えなかった。


 これで腹に一物ある人だったら、実はこのとぼけた様子は相手をあざむく仮の姿なのだとか言われた日にはとてもかなう相手ではない。


 母は話しやすそうでいい人だと思うといっていた。マオリは母のその言葉を信じることにした。



「わたしは向こうで何をすればいいんですか?」


「別にこれといって。世間話につきあってあげれば、まあ、いいんじゃないかなあ」

「そうなんですか」


「丁度、晩餐会みたいのは開かれるそうだから、それに出席して欲しいっては言われているけど、別にうちらが主賓じゃないから」


 ばんさんかい? 出た、鹿鳴館だ。


「みんなどんな格好をするんですか?」

「さあ?」


「ちなみに古橋さんは?」

 マオリがそう聞くと古橋さんはへたったセーターを指差した。当然だろうにというような顔をして。嘘でしょ?


「大丈夫だよ、こんなもんで」

 そんなはずがあるのだろうか。彼に対するマオリの信頼感は早くも揺らぎ始めていた。


 母が横に座る。古橋さんが尋ねた。

「ここ最近はなにもないですか?」

 母は顔が曇る。


「無言電話が何度かありました。それと」

「それと?」

「玄関の前に八つ裂きにされた人形が。赤ん坊位の大きさで、果物ナイフが心臓の場所に刺さっていました。真っ赤なペンキにまみれていて、その脇には『これは事故です、殺人ではありません』と書かれたメモ書きが落ちていて」


「警察には届けましたか」

「はい、でもあまり熱心に話を聞いてはもらえませんでした」


「深入りしたくないんでしょう。それだけ色んなものを残していったのならば犯人の特定はできるはずなんですが、警察からしてみれば、大事にしてことの詳細を明らかにするとどうしてもあの事件に話がつながってしまい、世間の関心がそのまま自分たちに向かってくるのが面倒なんです。でもいまはあなたたちにとってもその方がいいと思います」


「主人について、なにか分かったことがあれば教えていただきたいのですが」

「晴信さんは八月十七日の朝に藤が丘の駅で目撃されていますが、新しい情報として、そのあと渋谷でタクシーに乗ったことが分かりました」

「渋谷ですか」


 父の勤めていた工場は西鶴間なので、反対方向の電車に乗ったということだ。


「運転手の話だと都内の病院で降りたはずなんですが、その病院に聞いても晴信さんを見たという人がいない。受診の記録もなければ、誰かをお見舞いしたようでもない」


「主人は持病はなかったはずです。血糖値は高かったですけど」

「そうみたいですね。今のところそこで足取りは途絶えていますが、警察もうちの社会部の連中も力を入れて動いているようですから、情報はまたすぐ出てきますよ」


 古橋さんは、多分ね、というかわりに首をほんの少しかしげた。


「じゃあ、そろそろ行きます。奥さんごちそうさまでした。日曜のそんなに遅くならないうちに、帰ってこられるはずです」

「マオリを宜しくお願いします。古橋さん」


「悪いことはそんなに続くもんじゃない。大丈夫ですよ奥さん。よし、マオリちゃん荷物をもつよ。車ん中で俺の息子が待ちくたびれてる」


 息子? 古橋さんに旅行バックを渡しながら、その唐突に提示された新しい情報にマオリは戸惑った。


「何歳ですか? そのひと」

「十四」

 うわあ、一番めんどくさそうだ。


「息子がちょうどあっちに友達と旅行でさ。途中まで乗せていくことにした。息子の旅費を俺の出張費でまかなえるから、女房も喜んでる」


 こっちは戦争に向うような悲壮な覚悟で今日に臨んでいるというのになんとのんきな。古橋さん切れ者説がますます揺らいだ。

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