第18話 戦闘

 もう後には引けないようだ。


 竹刀の重さを確かめるように右肩の布袋を背負いなおす。


 直行のその仕草をみて、相手の四人は、金属バットを握りなおした。お互い無意識のうちに、半歩後ろにじりっと下がる。


 このときまた雨が降り出したのだが、直行はそれに気付かない。


 すり足で後ろに大きく下がった直行は、袋の紐をさっとほどきながら竹刀を抜いた。手に力みはあったが上手いことスムーズにいった。ここで噛んだら、カッコ悪いうえに、一気に攻め立てられるところだった。


 正眼の構え。切っ先を揺らす。


 先輩や顧問に指摘されたことがある。お前は不思議な間合いで竹刀を揺らすよなと。それは直行にとって調子のバロメーターだ。


 試合になってしまうとなかなか練習どおりいかず、硬くて一本調子なものとなってしまうそれは、この追い詰められた状況で、不規則な、なんだか楽しげだと評されたこともある独自のリズムを刻んでいた。


 へえ、ここでこれが出るんだ。

 直行が自分に感心していると、相手の一人がバットを振り上げ、斜めに打ち込んできた。


 うわ、本当に来た。


 目に映るその非現実的な光景。反応が刹那遅れてヒヤリとしたが、後ろに下がりながら相手のバットを横からはたくようにしてさばくことが出来た。


 手のひらに竹刀とはまるで違う重い手応えが残る。その感触は直行に、これが練習でも試合でもないことを改めて告げた。


 相手の獲物のほうが格段に重いからまともに竹刀で受け止めるのは無理だな。膝の柔らかさを意識しながら、相手との間合いを保つ。


 四人はにじり寄って直行を取り囲む形に持っていこうとするが、相手の足取りに同調して反応する直行はそれを許さない。


 なんだか、動きやすいような。ああ、そりゃそうか。防具を着けていないんだものな。


 最初の一撃をかわせた直行は、普段の対峙との感覚の違いに気付く余裕が出てきた。


 四人がなにか武道の心得のあるものだったら簡単につめ寄られてしまうだろうが、彼らの足の運びは拙かった。数に任せて強気になってはいるが、見た目ほどケンカ慣れはしていないようだ。バットの握りもなんだかおかしい。


 そうは言っても状況は悪いのだが、直行の中で結論が一つ出た。

 こいつら一人ひとりは自分より弱い。


 背の大きな一人が無造作に踏み込んできた。バットを片手で振り回す。直行は更に下がってこれをかわす。


 背の高い少年はさぞ腕の筋力に自信があるのだろうが、そんな振り方をしても無駄だらけな動きになるだけで、ただでさえ竹刀よりはるかに重い金属バットなのだからスイングは遅い。


 さすがにこれでは、小学校のときから剣道をやっている直行にはいくらやっても当たらない。


 大振りなスイング終わりに少年はバランスを崩して、直行の目の前に相手の顔が丸出しになった。あ、これいけるな。そう思ったときには直行の面打ちが相手の鼻のあたりをまともに捉えていた。


 防具を打つのとは違う、鈍い音と、変な感触。


「うぐうっ」

 少年は顔を手で押さえて、後ろに崩れそうになりながら間合いから下がった。


 他の三人の体が強張る。ガードレールに手を掛けて肩膝をつく少年の顔からは鼻血がかなりの量出ているのが見て取れた。


 やっちゃった。できれば竹刀で相手を牽制するだけにして、隙あらば逃げ出したかったのだが、あまりに隙だらけなので反射的に打ち込んでしまった。


 サッカーに例えるのが好きな忍ならば、触るだけでいい、ごっつぁんゴール、とでも言うだろう。


 忍。


 二人並んで楽しそうに歩いていった忍と広子。


 その背中を思い出して直行はぎくりとなった。あっちにも手が伸びているのではないか。


 仲間の血をみて逆上した一人が突進してきた。いっぺんに来られる方がもちろん嫌だったので、これは助かった。


 金属バットを背中がのけぞるほど振り上げる。いつだったか直行は練習試合のとき、これに近い感じで突っ込んでいってあっさり負けたことがあった。思い出させるんじゃないよ。


 直行はあのとき自分がされたのと同じように、右斜め前に踏み込みながら相手の胴を打ち抜いた。うめき声を上げて、脇腹を押さえて地面に転がる。痛そうだ。


 直行は相手のアバラにひびくらいは入れるつもりで打ち込んだ。だから、恐らくそうなっているだろう。


 急いでんだよ、悪いけど。


 あと二人。

 数的有利が瞬く間になくなり顔色が変わっている。まだ一人多いのだが、それを活用する冷静な判断はもはやできない。


 一人はニット帽に長い茶髪、もう一人は逆立てた短髪で耳にピアスをつけている。直行は二人の人相をよく眺めておいた。


 意を決したニット帽が一歩前に出るのと同時に、直行はすり足で三歩踏み込んだ。ニット帽は金属バットで直行の胸めがけて突きを打ってきた。


 そのとき直行には一本の風の道のようなものが見えて、その流れに身を任せる。


 左に移動しながら、相手の突きを竹刀の上を滑らせる程度に触れて後ろに逸らす。そしてそのまま逆胴の一撃。


 ニット帽の横をすり抜けながら、胴打ちのフォロースルーを使ってそのまま残った最後の一人の手元に小手を決める。はたき落とされる金属バット。


 最後の面打ちがピアスの眉間を捉えたのはバットが地面に落ちるよりも先だった。


 打撃音が三回、リズム良く闇に響いた。


 直行は歩道をふさいで倒れもがいている四人に向き直り、なおも竹刀を構える。


 弾む息を、ふう、と長い息吹きで押さえつけて、四人にもう戦う意思のないことを確認するとガードレールを飛び越え駆け出した。


 竹刀に柄をはめながら忍の家の前を通り過ぎて、なおも走り続ける。青葉台の大通りに出る手前に人影が見えた。


 直行は声の限り叫ぶ。

「忍―っ!」


 忍と広子は、さっき直行が相手をしていたのと同じような風体のものたちに取り囲まれていた。やはりバットを持っている。人数は三人。


 広子は忍の背後に隠れて、二人は壁を背にしている。直行は側に駆け寄り、敵に向って竹刀を構えた。


「直行、待ってた」

 忍の額には血が滲んでいる。他にもあちこち痛めているようだ。


「広子は大丈夫?」

「うん」

 青い顔の広子が頷く。忍が守り続けたのだろう。どこも怪我はない。


 直行は忍に「さすが」と囁いた。


「直行のほうにも来たのか」

 忍の問いに直行が竹刀の切っ先を揺らしながら「なんとかなった」とだけ答える。

 

 街灯に照らし出される三人の少年たちを見渡す。さっきのように上手く行くかは分からないが、直行に恐れはなかった。氷のような冷たい怒りだけが心にはあった


「直行、俺にやらせろ」

「そう?」

 直行は忍を横目で見つめてから「じゃ頼むわ」と構えを解いた。


 相手の三人は直行が来た時点で動揺していた。別働隊の四人はここに来る様子はない。この平凡そうな少年に本当にやられてしまったというのか? 


 一番ひるんでいるように見えた一人に忍が掴みかかり、金属バットをあっさり奪った。


 ほかの二人は「あ、馬鹿」という顔になり、直行も「駄目じゃん」と呟いた。


 先ほどまで相手の攻撃に耐えながら、忍はよほど頭に来ていたのだろう。金属バットをぶんすかと振り回し、たちまち形勢をひっくり返した。


 ちゃんと太ももとか、すねとか、大事になりにくい箇所を狙ってはいるが、倒れた相手に必ずおまけの一撃を加える念の入り用である。


 直行は竹刀で自分の肩をとんとんと叩きながら、朝校門で遅刻する生徒を待ち受けている体育教師のような姿勢で、その光景を眺めていた。


 忍が三人を完膚無きまで叩きのめしたあとで一応聞いてみた。

「誰に頼まれた」


 しかし答えは予想した通り、要領を得ないものだった。誰も依頼主の名前は知らず、もちろん顔を見たものもいない。


 直行のときと同じで、他人の携帯電話からの呼びかけによる依頼だった。多分いい金額をもらっているのだと思う。返り討ちにあってしまったことで金額が変動するのかどうかまでは分からない。


 小雨は強まるでもなく、止むでもなく降り続けている


「気をつけて帰ってよね。一人になっても大丈夫かな?」

 顔色の戻った広子が心配する。

「平気だろ」

 直行は竹刀を元通り布袋にしまいこんだ。


「あ、でもこの道を引き返して帰ると、さっきの場所をまた通るのか。まだ倒れてんのかな? あいつら」


「遠回りしろって、直行」

「んー、でもな、公園で少し素振りして帰りたいんだよね」

「さっき、いっぱい振ったんでしょうが!」

 広子があきれている。


「いや、やっぱやっていくわ」

 あんなに体が動いたことって、このところなかった。感覚の消えないうちにもっと練習がしたい。

「そうか。本当に気をつけろよ、直行」

「うん」

 忍はもう少し広子の側にいてやるつもりのようだ。広子はさぞかし怖かっただろう。気の強い彼女のあんなにおびえた顔を見るのは初めてだった。見たくなかった。自分のせいだ。

 

 俺のせいで、ごめんな。


 言ったら忍が怒るのは分かっていたので、直行はその言葉を胸の内に収めた。戻り道で、さっきの計七人の暴漢たちは既に姿を消していて、直行は何事もなく公園で素振りをして、家に帰り着くことが出来た。


 それから一週間後のこと。


 忍が若草台中学との練習試合の最中に相手選手と激しく接触して、そのまま動かなくなった。頭を強打していて、救急車で病院に運び込まれた。意識不明だった。

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