第17話 刺客

「俺、邪魔じゃね?」

 忍の部屋で三人で過ごしていた金曜日の夜。


 忍が飲み物を取りに場を外したときに直行は広子に聞いてみた。


 直行は床に、ジーンズを履いた気楽な格好の広子は横長のソファーに寝転んでいる。窓の外では先ほどから小雨が降りだした。


「ご心配なく。ちゃんと二人っきりの時間はしっかりこっそり確保しておりますから」

「聞いた俺が馬鹿ということか」


「メリットもあんのよ。直行がいると夜中までしぃちゃんの部屋に居やすい」


 忍がカップに入ったコーヒーを三つ、お盆に載せて戻ってきた。

「しかし平和だなあ、おい」


 窓際に置かれた白いラジオからはDJを努めるお笑いコンビの笑い声と突っ込みが軽快に流れている。確かにこの状態を表す言葉は平和以外の何者でもないだろう。


 ここしばらく、白い封筒のお手紙も届かない。ニュースでもねずみ小僧に関する話題は沈静化していて、替わりに警視庁の副総監がどうしたとかいうニュースがよく流れていた。


 今も小型の液晶テレビでやっている。


 負けっぱなしは癪だったが、なにもないで済むのならそのほうがいい。直行は、そう自分を納得させていた。


「直行、こいつのニュースはちゃんと見ておいたほうがいいぜ」

 忍がテレビの音量を上げた。


 直行はどうみても別世界の出来事にしか見えないそれをぼんやりと眺めた。

「ねずみ小僧は、俺たちよりもこのおっさんに用があるんだろうか」


 ゆっくりとした時間が部屋に流れた。忍と広子はくっついて、しとしとと話し込んでいる。直行は離れたところに横になってクッキーをかじりながらラジオのおしゃべりのほうを聞いていた。


 急に広子がこっちに向き直って話を振ってきた。

「直行は好きな子、いないの? わたし、力になれるかもよ」

 

 直行はのっそりと起き上がって、二人をみた。

「何の話してんのお前ら。俺のことはほっとけよ」


「だってさあ、ここにもう一人いたらもっと楽しいかなと思って。ねえ、しいちゃんはほんとになにも聞いてないの?」

「聞いてなくはない。けど本人が言いたくないってならな」


「忍がいってんのはあれだろ、片岡先輩のことだろ」

「そう」


「おっと、具体的な名前が出てきたじゃないの。話してよ直行」

 広子がはしゃぐ。


「女子剣道部の先輩だよ。小学校のとき通ってた剣道道場でもいっしょにやってて、まあ、よく話すほうだった」

「ほうほう」


「たまに帰りが一緒になることもあった。部活のときは先輩調の話し方なんだけど、二人だと、砕けたって言うか案外子供っぽかったりした」


 自分はいまどんな顔して話しているのだろう。目の前では広子がにやにやしている。おそらくこれと真逆の表情をしているのだと思う。


「そんで直行サン。その状況から一歩進展させるご予定はあったりするのでしょうか?」


「えっとね。この夏、片岡先輩、部活を引退したじゃん。で、ほぼそれと同時に、去年卒業していった剣道部の先輩と付き合い始めたらしい。忍はその先輩知ってるよ。俺があいつ嫌いってさんざん言ってたから」


 忍が、あいつかよ、と呻いた。広子はうきうきの絶頂から叩き落されて、ぽかんとしている。


「恋愛の相談を受けていたつもりだったのに、非常に重たい話として完結してしまった。なによこの聞きたくなかった感」

「だからほっとけと言ったのに。なあ、忍、広子」

 

 改まってそういう直行に、二人は背筋を伸ばして、なんでしょうか、と答える。

「幸せ?」

「はい、おかげさまで」


 恐縮して正座する忍と広子を前にして、直行はビスケットを一枚手にして、ぼりぼりとかじった。


 彼は今の状態でも十分楽しくて、これ以上を望むのは贅沢だと負け惜しみでなく本当にそう思っていた。直行は生まれつきそういうところのある人間だった。良くも悪くも。


 帰る頃に、雨は少しまだ降ってはいたが別に気にならない程度だったので、傘を貸すといってくれた忍の母の言葉にお断りをして直行は家を出た。


 忍も広子を送るために一緒に家を出て、相合傘で反対方向へと歩いていった。


 遅くなったついでに、いつもの公園に寄っていこう。


 今日は最初からそのつもりで背中には竹刀の入った布袋を背負っているし、動きやすいように黒のジャージを着てきた。

 更に表は寒いので、その上から白地に黒で模様の入ったパーカーを羽織っている。


 広子にはその服装のセンスについて厳しく糾弾されたが知ったことではない。あの二人は会うたびに違う服を着ていていつも感心してしまう。


 公園の横を沿う歩道のところにきたときに向うから人影が見えた。四人。なにやらやんちゃな格好をしている。


 ニット棒に革ジャンにだぶだぶのズボン、夜なのにサングラス。素敵に手入れされた眉がこの距離でもよくわかる。自分もこんな格好をすれば、広子に怒られずに済むのだろう。


 こういう類の連中が駅前でたむろしているのは見かけることがある。無意味に関わるつもりはないので視線を合わさないようにしている。


 直行はケンカが好きではない。色んな事情があって、話の流れで、してしまったことはあるが、後からとてもとても後悔する。


 狭い歩道をさえぎって彼らは直行をじっと見ている。


 車が一台、何も意に介さないように通り過ぎていった。とりあえず公園に入るのはやめよう。


 それにしても彼らの手には金属バットのようなものが握られているように見えるのだが、これは気のせいだろうか? 


 四人はこちらに向って歩を進めた。歩きながら誰もこっちを見ていない。うわあ、かえって怖い。


 いっそなりふり構わず走って逃げようかとも考えたが、直行はふと思い当たる。


 こいつらは誰でもいいから通りすがった人間に暴力を振るうためにここで待ち受けていたのだろうか。


 違う。俺を待っていたんだ。

 

 誰が仕向けたのかは明らかだった。


 やはり何事もなく直行たちに平穏な生活をさせてくれるような甘い相手ではなかったのだ。


 しかしねずみ小僧本人はこの中にいないと思う。直行は彼の素顔を知らないが、それでもこんなにちんけなご面相の相手ではあろうはずがないと、確信をもっていうことができた。


「見てんじゃねえよ」

 一番背の高い男がそう切り出した。年は直行と同じくらいに見えた。


 凝視はしないように心がけていた直行だったが、そう言われるとついじっくり見てしまう。


 直行は、どこか他人事のようにこの状況について考えた。


 やあ、まいったなこれ。


 ただ面白くないのは、こいつらをあごで使って直行を始末するように指示して、今このとき安全などこかで様子を伺っているか、へたすると風呂でも入ってのんびりしているかもしれないねずみ小僧のことだった。


 あいつは自分などでは敵わない相手かもしれない。だけどこんな下っ端にやられてしまうのはいくらなんでもごめんだ。


 そしていつもの彼からするとちょっと考えられない感情を四人の少年たちに直行は抱いた。これは自分とあいつのケンカなのだ。


「お前らに関係あるのかよ」


 気付くと直行は四人に向ってそういっていた。言葉が勝手に飛び出していった感じだ。


「なんだお前?」


 四人は気色ばんだ。言ってしまったものは仕方がない。

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