第16話 なにもできなかった

『まってよ直行、僕は本当に』


 直行はねずみ小僧からの電話を一方的に切ると溜息をついた。


 それから思い出したように女子高生のほうを振り返り、「ありがとうございました」と携帯電話を返した。


 多少の説明をしてあげるべきなのだろうなとは思ったが、ぺこりと頭を下げて結局何も言わずそのままコンビニを出た。


 女の子たちは、何か声をかけたそうにしながら、その背中を見送った。

 

 実に不思議だ。なんでこんなことに。でもあいつが悪いんだ。人が試合に負けてイラついているときに駄目を押すような話をしてくれて。


 ねずみ小僧に対して威勢よく啖呵をきった直行だったが、東京ドームでの件は残念ながら彼の敗北だった。


 ねずみ小僧はまんまとその目的を遂げたのだ。


 当日、一番安い立ち見席のチケットを買って、直行と忍は東京ドームの中に入った。


 緊張感はあったが隣に普段通りの忍がいると、醜態を晒すわけにも行かなかった。


 ねずみ小僧の話では、彼は飛行船を操縦する極小さな特製のコントローラーを持っていて、どこかから操作することになっていた。


 球場の中を二人はぐるぐると歩き回り、怪しい人間を探し出そうとした。しかし何せ向こうは自分たちの顔を知っているようだが、こちらは分からない。


 何かを手元でいじっているものを見つけて、もしやと思い覗き込むと単なる携帯電話やDSだったりした。


 途中で父が自分たちと同じように観客席を歩き回っているのを見つけ、あわてて人の影に隠れた。自分はここにいるはずではないのだ。ここで見つかったらねずみ小僧の思惑通りになってしまうかもしれない。


 忍を呼び止めて直行は父を指差し、あいつに気取られるなと注意する。


 父はしきりにあたりを気にしている。その隣には、直行も何度か会ったことがある真田さんという女性記者がいた。背の小さな彼女もきょろきょろとしている。


 直行は野球が好きでも嫌いでもなくて、どちらかと言えば忍によく話を聞かされる影響で、サッカーのほうが詳しかった。それでも阪神宮沢選手のでっかいホームランを見たときには、物凄い歓声の中で少なからず心が震えた。


 そして八回表、クモ男の登場。


 忍とは少し前から別行動をしていてどこにいるか分からない。


 三機の飛行船が舞い上がったとき、直行は一人で球場の外へと向かった。


 クモ男がそれにぶら下がって脱出を図ると言うことは聞いていたので、先回りするつもりだった。しかし、球場を野次馬が取り囲むよりも先に飛び出したにも関わらず見つからない。   


 そして、球場正面に来た時に白い屋根の上に人影を見つけた。


 不思議な光景だった。


 計ったように周囲には誰の姿もなくて、何万もの人間を包みこんでいる白いドームの光を受けて彼はそこに立っていた。


 そして彼は直行に気付き振り返った。紫の頭巾。屋根をことも無げに歩いていく。


 直行、君に俺を止めることなんて出来ないよ。


 その淀みのない足取りが直行にそう告げていた。


 直行は結局なにも手出しが出来はしなかった。自分の無力さが口惜しかった。全てを見透かしたように高みから自分を見下ろすねずみ小僧が憎かった。


 彼の姿が消えていく。地上に視線を移すと、自分のほかにもう一人、姿が見えた。それは父だった。


 数日後、チャンピオンフラッグが見つかり、老人介護施設に懸賞金が支払われ、ねずみ小僧のしたことは善行であると世間にもてはやされた。


「いやはや、これはこれは」

 いつものコンビニで、直行と忍は時間をつぶしていた。


 忍はアイスと一緒にスポーツ新聞を買った。その一面には、クモ男の写真が載っていた。忍は自嘲気味の笑みを浮かべてその写真を見ている。


「たいしたもんだな、ねずみ小僧。俺たち、なんにも出来なかった」


 直行はテーブルの足をどんと蹴りつけた。


 店員が顔を出してひと睨みするが知ったことではない。正面に座る忍は何も言わず新聞のページをめくっている。


 直行は新聞を見つめながら「わりい」と謝ると、忍が「いいよ。俺も腹が立ってる」と応えた。


 今日も相変わらず、必要以上にいい天気だ。とても外に出て行く気がしない。


「親父さんは何も言ってこないのか?」

「うん。気付かなかったのかな、俺だって」


 一緒にテレビを見ているときに丁度よくねずみ小僧のニュースが流れた時があって、そのとき直行はさすがに観念したのだが、父からは何の言葉もなかった。不気味だった。


「直行は、ねずみ小僧に裁かれることになるのか?」

「そうらしいよ。こっちからまずは攻め込んでみたけどかすりもしない空振りで終わって、次はむこうの番だそうだ。でもまあ忍は大丈夫じゃないか? 安心しろ」


「怒るぜ、直行」


 忍はその言葉には本当に機嫌を損ねたようで、そんな忍の表情を見て直行は笑みを浮かべる。


「でも油断はしないでくれよ忍。お前が狙われる可能性、なくはないんだからな。それとさ、相手の狙う範囲がどこまで含まれるのかは結構本気で心配している」

 言わんとすることは忍にも理解できていた。広子のことだ。


「顔が分からないって言うのは厳しいよな。防戦しかできない」

「でもさ、俺、家に閉じこもって震えているつもりなんてないから。忙しいんだよ。また試合があるし」


 直行は、ほぼ毎晩公園にいって素振りを続けていて、もはや、見回りをしているお巡りさんと顔なじみになってしまったほどだ。


「サッカー部は、昨日も勝った」


 忍は自慢する。彼は一年の頃からゴールキーパーとしてレギュラーだった。


「新チームになってから、負けてない。それどころか一点も取られていない」

「お前ら、今年、もしかして強い?」


「元々、うちは守備には自信があったけどな。最近攻撃が上手くはまるようになってきた。前線に去年のレギュラーが多く残っていて、連携力が上がってきたのが大きい。そしたら面白いもんで全然失点しなくなった。攻撃は最大の防御ってあれほんとだぜ」


 攻撃は最大の防御。直行は頷く。自分たちがねずみ小僧に仕掛けることができる攻撃とはなんだろう。


「あ、でも俺今日の稽古で、一方的に攻め続けてめちゃくちゃに打ちまくったら、最後は逆にあっさりと一本とられたぞ」


「限度がある。サッカーでも、ボールを持たされる、って状態があるから」

「持たされる?」


「こっちがボールキープ率で勝っていて、押しているように見えても、実はそれが相手のペースなんだ。イタリアが得意としている手だ」


「強豪国じゃん。弱いチームが亀みたく閉じこもるのと、どこがちがうんだ」

「ただでさえ守備が堅いチームが意思統一された組織的な守備で固めたら、相手は攻めても攻めても、惜しい場面すら作れない。磐石の形で跳ね返される。そしてそれだけじゃない。守備から攻撃への素早い連動。攻撃のための守備。守備につながる攻撃。相手は攻めてても守ってても常にハイレベルなプレッシャーを心身ともに受け続ける。そしてイタリアは最後に試合を決めるための、一撃必殺の攻撃パターンを持っている」


「日本代表では、それはできないのかね?」

「日本は、『得点はセットプレーで取る』って割り切っているチームだろ。優れたフリーキッカーと、的になる強力なセンターバックがいるからそのほうが勝ち目がある。日本代表がゴール前でボールを持ちすぎる傾向があるのは、ファールを取りたい意識が強くあるからであって、日本人の性質が消極的だからってだけじゃないんだよ、実は」


「テレビの解説者は、流れの中からの得点がないとだめっていってるぜ」

「それは、そういう派手で分かりやすいシーンがないと視聴率が取れないから」


「くだらね」

「その通り」


 それからしばらくのあいだ、幸いにも直行たちの周りでは何も起きなかった。


 九月にはお互いの部活の新人戦があり直行はぱっとした成績を残すことができなかった。

 

 個人戦は二回戦で敗退、団体戦も地区大会止まり。


 一方、忍のサッカー部は大躍進。強豪ひしめく神奈川県で、県大会のベスト8まで進出した。


 直行は雪辱を期して、ますます稽古にのめりこみ、忍は、全国大会への出場を絵空事ではない明確な目標として捉え始めていた。

 

 元々一緒にいることの多かった直行と忍は極力単独行動をしないよう警戒を怠らなかった。忍は広子のことにも注意を払い、秋も深まる頃には、自然と三人でいることが増えていった。

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