第14話 直行と忍

 母の作ってくれた弁当と唐草模様の布袋に包まれた竹刀を持って、次の日の朝早く直行は家を出た。上は白いTシャツ、下はオレンジ色の学校指定のジャージという格好。


 父はまだ寝ていた。


 彼の通う柿の木中学へは歩いて五分もかからない。昨晩はあれから近所の公園で少し素振りをした。


 練習試合は先週もあったが、そのときの団体戦で、チームは勝利したものの、次鋒の直行はあと少しのところで相手に小手を奪われて敗れてしまっていた。


 今日は勝ちたい。なんとしてでも。


 学校には集合時間の十分前についた。一年生部員はほぼ全員揃っていて、体育館の前で地面に道具を置いて雑談をしている。


 直行が通りかかるとぱっとこちらを振り返り、座り込んでいたものは立ち上がり、口々に直行に向かって挨拶をした。直行も無言で会釈して返した。


 体育館横の用具室に入る。入ったとたんに毎日かいでいる、剣道の防具特有のにおいが立ち込める。二年生部員が半分ほど来ていて自分の防具の確認などをしていた。


 用具室を部室のような形で使用できるのは上級生の特権だったが、わざわざこんな臭いところに押し込められることが本当に特権と言えるのかどうかは、直行にはいまいち分からなかった。


 仲間に一声かけて早々に風通しのよい表に出て行こうとするとき、袋の中の胴と小手の隙間から白い封筒が覗いているのが見えた。


 そのまま何事もないかのように表に出た直行は、地面に袋を置くと中の封筒を何気なく抜き取り、それを制服のズボンのポケットに入れて、男子トイレへと向かった。


 トイレで封筒を開けて、確認するまでもなくそれがねずみ小僧からの手紙で、昨日のニュースについて触れている文面を読んでから小声で「何がまた連絡するからね、だ」とつぶやいて、みんなのところへと戻った。


 坊主頭の顧問教師が腹の底に響く声で、全員そろったかあ、と叫んでいた。


 対戦相手の学校に到着して練習試合が始まったのは九時を廻ったころだった。


 体育館の床に防具をまとって正座する直行の眼前では先鋒戦が始まっている。双方の部員が試合場を取り囲んで、選手に大声で声援を送る。


 直行は頭に手ぬぐいを巻いて、面は膝の上に置き、竹刀は自分の左側において無言で、試合場の反対側で正座している自分の相手をずっと凝視していた。


 自分よりは少し背が小さいそいつをどんな選手なのだろうと想像しながら睨みつけた。あまりに露骨に睨み続けていた為に相手だってさすがに気付いて、先鋒戦が相手の勝利で終わるまでの三分弱の間、ずっとにらみ合うことになってしまった。


 そのせいで、普段それほどやんちゃな部類ではない直行だったが、すっかり頭に血が昇ってしまった。


 試合開始と同時に竹刀を持った両手を体につけた状態で相手とおもいっきり激突した。腹の底に衝撃が響く。腕で相手を押しのけ、面を打とうと竹刀を振り上げた。


 それは後から指摘されてみれば、いつもいつも注意されているそこまで高く上げる必要のないフォームで、直行が振り下ろすその前にがら空きの胴に相手の一撃が綺麗に入った。


「胴一本。そこまで!」


 また今日も直行は負けてしまった。あっけなく、あっというまに。


 試合が終わり剣道部の面々が学校に戻ったのは、二時になる少し前だった。


 直行はくたくただった。自分の出番自体はすぐ終わってしまったが、ふがいないその試合振りに怒った顧問に、みんなが試合をやっているそのはじっこでの素振りを命じられた。かなり長い間素振りをしていた。


 途中からは同じようにまずい試合をしてしまった副将の選手が、直行と並んで悲しげな顔をして素振りをしていた。


 団体戦は柿の木中学のコテンパンな敗北であった。


 その後、コートを二つに分けて個人戦を行い、途中に昼食休憩を挟んで直行も二試合やったが一分け、一敗だった。


「直行、焦り過ぎだって。いつもと動きが全然ちがうんだもん。あれじゃ勝てねーよ」

「んー、そうか」


 重い動きで道具をしまう直行にチームメイトが声を掛ける。


 それは自分でも十分自覚している。遊び半分でやっていた小学生時代はそんなことなかったのだが、自分なりに精一杯剣道に取り組んでみようと決めた中学生になってからフォームを気にしすぎたり、平常心を失ったりとどうも力が発揮できないことが多くなってしまった。


 帰るときにグランドの方を見ると、サッカー部も練習を終わったところのようだ。このまま家に帰っても、負けを引きずったまま昼寝するくらいしか予定のない直行は、忍に会っていくことにした。


「あれ、忍は?」

 サッカー部の面々が木陰の下で座って雑談している中へ入っていった直行は、みんなを見回した。忍の姿が見えない。練習に来ていないのだろうか、あのサッカー馬鹿が。


 昨日の件が頭をよぎったが、トイレにでも行ってたらしくすぐ忍は戻ってきた。


「おっ、剣道部も終わりか。試合勝ったか?」

 直行は苦笑して首を横に振った。


「忍、コンビニ寄ってこ」

 二人でいつも行くコンビニに向かった。


 横を歩く忍は直行とだいたい同じ身長で、肩幅は直行が少し大きい。


 長めの坊主頭は、もみ上げや生え際に細かく注文をつけ美容院で仕上げてもらったもので、本人は『愛され坊主』と称している。


 上はサッカー用品メーカーのロゴが小さく入った黒いTシャツに、下は直行と同じオレンジのジャージを履いている。


 直行も日に焼けているほうだが、サッカー部の忍と並んで歩くと、まだ白く見える。


 休日はたまに首飾りなどを身につけていて外見はちゃらく見えるほうで、実際なかなかにちゃらい忍であったが、学業の成績は直行よりはるかに良かったりするのだからやってられない。


 中里広子が言っていたケンカの件は事実だった。以前の忍はいまよりも気が荒かった。あるとき直行に対しても向ってきて、それでまあ、確かに直行が勝ったのだ。


「携帯、戻ってきた?」

「ああ、うん。というか盗まれたことに気付かなかった」

「何だそれ」


「俺が部活やってる間に盗んで、終わる頃には戻されてたみたいだ。広子に言われて、着信履歴を見て、それでああそうだったんだって」

「なんとのんきな」


「それでなんか分かったの? 広子もまるで話が見えないでいるみたいだったけど」

 分かったことがほんの少しあって、まだまだ分からないことばかりだった。


 これらを彼に話したものかどうか。直行は迷った。そして、極力話さないことにした。


 自分でもばかげた話だと思っていることを説明することへの煩わしさもあったし、忍を巻き込むのもいやだった。どうやらこれは直行の問題なのだ。



「よく分からないんだよ。俺は何もするつもりはないし、これから何も起こらなければいいなとは思っているけど」

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