第13話 ニュース映像の違和感
直行の住むマンションは藤が丘の駅から徒歩で約10分、坂道を上って降りたその先の交差点の角にある。この辺では、安い部類だそうだが、直行には自分の個室も与えられていたし、親子三人で住むのになんの不自由もなかった。
直行の父は新聞記者だ。彼の学生時代は野球に空手と部活一色で、いまは運動部に属していて、一年中いろんなスポーツの試合会場や選手が練習をしているグランドなどを訪ね歩いている。
経歴や仕事を見れば紛う事なき体育会系に属する人間なのだろうけれど、本人を見ているとどうもそういうふうには見えない。家にいることはあまりないが、たまの休日には映画を観にいくことが多い。それも一人でだ。
直行は別にいいのだけど、母のことはもう少し構ってあげればいいのにと思うことはある。それと図書館にも直々通っているようだ。そっちにはごく稀に母がついていくことがあるようだけど、基本的にはやはり一人だ。
直行とねずみ小僧が携帯電話で話したその夜、父は休暇の日で、珍しく夕食を三人一緒に食べた。
「直行、ごはんよ」
母の呼ぶ声で、直行が自分の部屋のふすまを開けてのっそり出てくると、母がテーブルにチキンカツとキャベツの盛られた皿をきびきびとした動作で並べているところだった。
冷蔵庫のところに父がしゃがんでいて、瓶ビールを取り出した。それから父は、戸棚からガラスのコップを二つ手にしてテーブルに置いた。
直行は父と入れ違いに、戸棚から自分のコップと、それから冷蔵庫の中から麦茶の入ったプラスチックの容器を取った。
父は、母が席に着くとコップ二つにビールを注いで、一つを母に渡した。二人はお互いのコップをかちんと合わせて、ビールを一口飲んだ。
父は「うん、俺は今日も強く、したたかに生きた」と言って、母は「うん、わたしは今日も清く、しなやかに、そして美しく生きた」と言った。そして二人とも深くため息をついた。
直行は小さな声で、いただきます、と言ってから味噌汁とご飯を一口ずつ口にして、それからチキンカツに小瓶に入ったソースをたらたらと掛けた。
親ふたりはとりあえず飲むつもりで、ご飯の茶碗を手にしているのは直行だけだった。
直行の背中のリビングに置かれているテレビは音を小さく絞った状態で、七時のニュースを流していた。向かいに座る父と左となりに座る母は、漬け物と、前日の残りの野菜の煮物に箸をつけながら、近所の母の友人の家で飼い犬に子供が産まれた話をしていた。
「飼いたいとまでは思わないんだけどね、犬の赤ちゃんのあのかわいさは破壊力があるわよ」
「飼いたきゃ飼ってもいいよ。俺はたまにしか世話できないけど」
「わたしもパートがあるから厳しいのよねえ」
父と直行の間に挟まれると小さく見える母は、とはいっても標準的な身長の女性だ。白いTシャツに、紺の半ズボンという格好で肩が隠れるくらいの髪を今日は短いポニーテールにして束ねている。
「直行、明日は七時に家を出るのよね」
「うん、そう」
明日は二つ隣の中学に乗り込んで練習試合をやる。そのためいつもより集合が早い。新チームになってから直行は団体戦の次鋒を務めていた。
直行がテレビの小さな音に耳を傾けると首相がアジア各国を廻っているニュースを伝えている。警察の記者会見は本当にあるのだろうか?
背を向けながらも気になる。母は、いつもどおり生返事しか返ってこないことが分かっていても、尚もにこにこして直行に話しかけてくる。
「のぼるさんから今日連絡あって、こっちに着くのは昼前になるって」
「ふうん」
直行はそっけなく答えた。夏休みなので、来週、静岡に住む父方の親戚が遊びに来る事になっていた。その親戚一家には小さな子供が二人いて、昨年の夏に会った時よりも着実に大きくなっていることだろう。その子達と遊ぶのは少し楽しみだ。
「俺は顔出せないけど頼むな、琴美」
「うん」
空になったコップに母がビールを注ぐ。父はそれを一口飲んだ。
「その日は東京ドームで巨人阪神戦の取材だ」
直行はワカメの味噌汁をすすって、それからチキンカツの最後の一切れを口に放り込んだ。残しておいた一番大きな一切れ。父はテレビのニュースをじっと見つめている。
そっか。ちょうどその日だったか。ねずみ小僧は手紙で、その試合中にチャンピオンフラッグを奪うと宣言していた。口の中のチキンカツを麦茶で流し込みながら、昼間、中里広子の携帯電話で聞いた甲高い声を思い出していた。
そのときだった。
『小針副総監はこの問題について、対応は適切なものであるとの見解を示しました』
直行は、副総監、という言葉が聞こえてとっさに振り返った。
「お、どうした?」
父の声に直行は何も答えない。
画面では、野党の大物政治家の秘書が政治献金の取り扱いに関して問題があって逮捕されたニュースが流れていた。野党からは微罪であり、逮捕までするのは過剰であるとの抗議をしたらしい。副総監が大勢の報道陣を前にして苦みばしった表情で対応の正当性を説明している。
「あれ、柏木じゃん」
「柏木って、大和新聞のキングオブ馬鹿? スポーツ部でしょ、何で?」
父と母が画面に知っている顔を見つけて話している。直行はひたすら画面の細部に注目していた。
「手ぶらだな、こいつ。何かの手伝いに借り出されたのかな。隣の警備員ににらまれてやがる。捕まってしまえ」
父が話しているのは、会見場の端っこに小さく写ってる少し場違いなピンクのワイシャツを着た軽薄そうな男のことらしく、確かにその隣の顔色のえらく悪い警備員が彼のことをじっと凝視し続けている。
直行は振り返った体勢のままでテレビの画面をにらみつける。記者会見のシーンは三十秒ほどで終わった。アナウンサーが言葉を付け加えて、次のニュースへ切り替わった。
あまり手のひらを返したようにテレビから関心を失うのも不自然だと思った直行は、もう少しだけテレビの方を向いていた。その体勢で、今見た映像を思い返し、振り返って再び味噌汁をすすりながらも、映像に思いを巡らし続けていた。
直行は九時のニュースでもう一回そのニュースが流れるのをまち、映像を見た。それから十時のニュースでも三度同じニュースを確認した。
やっぱりそうだ。
語る副総監の斜め上の壁にはデジタルの時計が掛けられていて時間は八時十一分を指し示していた。
しかし画面の片隅に出ていた小さめのテロップでは、警視庁、本日午前十時、と表記されていたのだ。
天下の警視庁の時計が狂っていることだってないとは言い切れないけど、直行はこの現象に何者かの意思を感じた。
東京ドームに翻る旗を奪うと予告した、その巨人阪神戦が行われるのは、オールスター戦開けの八月十一日だった。
それから時計の上の部分になぜか乗っかっているものがあった。それは小さなキーホルダーのようなもので、ねずみの人形だった。
直行は冷凍庫を開けて、何度見てもアイスがないことを確かめると、四角いただの氷を一個口に含んで、元の場所に座って、視線はテレビを向いていたが気もそぞろで考え込んでいた。
そんなに大いばりするような出来事があったわけではないが、実際今見たものを仕立て上げることがどれだけ困難なことか。
いつのまにかニュースは終わっていて、熱闘甲子園が始まっていて大会初日の様子を伝えていた。あのねずみの人形、ミッ〇ーマウスの偽物のようだった。
ねずみ、偽物。
直行は自分の部屋に戻り、ベッドに寝っころがってそう呟いた。
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