第12話 怪しい声の電話
着うたは直行のではない。
直行はまだ携帯を持っていなくて、それで別に困っていない。
「あ、しぃちゃんだ」
ポソっとそう呟き、彼女は手にした赤い携帯を一瞥してから電話に出た。少し表情が和らいで見える。
ああ、そうだそうだ。しぃちゃんとはこの子の彼氏で直行の友人である、栗原忍のことだ。それとこの子の名前も直行はやっと思い出した。中里広子だ。
「え? あの、もしもし誰ですか?」
丁度いいタイミングで電話をしてきた忍に、この場をとりなしてもらおうと思ったのだが様子が変だ。
「ねえ、答えなさいよ。どうしてあんたがしぃちゃんの携帯を持っているの? え、電話を替われですって?」
彼女は電話の相手の言葉を聞きながら直行を伺う。
「あなたと話したいって」
程よく整えられた眉を少ししかめながら、彼女は直行に携帯電話を差し出した。緑色のクリスタルのストラップがぷらんと垂れ下がっている。家の冷凍庫にアイスが残ってたかどうかを思い返しながら、直行はそれを受け取った。
「もしもし」
『古橋直行、呼び出したりして悪いね。中里さんも機嫌悪いみたいだ』
予想外に高い声が聞こえてきたので、直行は一瞬面食らった。ボイスチェンジャーを使って話しているようだ。プライバシーの保護の為、音声は変えております、というテレビで流れるテロップを思い出した。
「手紙の送り主? あんなの俺に送ってどうしようってのさ」
話しながら広子をちらりと見ると、彼女は不安そうな顔をしていた。
『いたずらじゃないよ。書いてあることは全部俺の本心だ』
淡々と話す声。口調から相手の年を推し量ろうとするが、大人びた子供にも、子供じみた大人にも聞こえる。
「じゃあ、ほんとにニュースでやってるあれ、やるつもりなの?」
『うん。手伝ってくれよ』
「忍はそこにいる? いるなら替わってよ」
『電話は借りてるだけだよ。話が終わったらちゃんと返す。そんなちゃちな盗みをしたってしょうがない』
「自分がいまやっていることが、ちゃちくないと思っているんだ?」
『この国に失われた義を取り戻す。そう書いただろ?』
「やってることはいたずらファックスをあちこちに送ってるだけじゃん。手間はそれなりにかかってるんだろうけど。プロ野球の優勝旗を盗んで、それで義がどうのこうのっていうのもおかしいし、大体そんなこと本当に出来ると思ってんの?」
話しているうちにどんどん腹が立ってきた。自分は思っているよりも相手に対して怒りを感じていたらしい。
『できるよ。それを証明したら手伝う?』
「何だよ、証明って」
『そうだなあ』
そこで電話の相手が押し黙った。何かを思案しているようでもあり、そんなふうを装うことで直行になにか心理的圧力をかけているようでもあった。
『今夜のさ』
ボイスチェンジャーの声は再び語り出した。
『テレビのニュース番組。なんでもいいから見てみてよ。警視庁の記者会見のニュースがあるはずなんだ。そのときに画面をよおく見ててみな。僕の力の証明ってやつをしてやるから』
今度は直行が言葉を失った。電話の主は、日本中に流れる映像の中で、自分に向けて何かをするという。
『忘れずに見てよ? そのうちこんなふうでなくちゃんと会って話そ。じゃ、またね』
電話が切れた。
直行は小さく舌打ちをして、携帯の通話時間を表示するディスプレイを見つめた。五分三十秒。そんなに短かったっけ?
そしてふと、携帯を返して欲しいものの、険しい顔の直行に声を掛けるのを躊躇しているらしい広子に気付いて、直行は出来うる限りの余裕ある表情で「どうも」と携帯を手渡した。
「忍に連絡とったほうがいいと思う。大丈夫なはずだけど」
「わたしこれから家まで行ってみるわ」
「うん、そうしな。携帯は返すって言ってた」
「今の誰だったの?」
世間を賑わすねずみ小僧。
「知らないよ。ただのおかしな奴だろ」
「わたし初め、てっきりヴィンちゃんから電話が来たんだと思って、敬語使っちゃったわよ。ああ、くそ、怒鳴りつけてやればよかった」
神奈川県民と、他県の一部の人間にしか伝わらないようなことを広子は言った。ヴィンちゃんとは神奈川のローカル放送でやっている音楽番組に出てくる縫いぐるみのことで、さっきの電話のようにボイスチェンジャーを通した声で番組を仕切っている。声の主はメタボに苦しむおっさんらしい。
広子は足早に、忍の家へと向かう。あいつはサッカー部だが、練習はそろそろ終わっているはずの時間だ。
駐車場の傾斜を降りきったところで広子は振り返った。その目と声には、来たときよりはだいぶ親しみがこもっている。
「そっか。そういえばあなたのこと見たことあるかも。しぃちゃんが中学生になってから一対一のケンカで負けた唯一の相手って、確か君だよね。古橋直行くん」
「どうだっけな。そんな言い方されるのは迷惑だよ。悪いけどさ」
「ふうん、そうなの? すごいことだと思うけどな。分かった、もう言わない。じゃ、またね」
手を振り去っていく広子に、直行は返事をせずに右手を上げて応えた。
じゃ、またね。
顔も分からない誰かと、今日まで一度も口を聞いたことのなかった少女がそういって去っていき、後には直行だけが残された。また、があるのかよ。
直行は日常が乱されていくのを感じていた。自分の家に見知らぬ他人二人に上がり込まれて、家人にお構い無しに勝手に楽しくくつろがれているような気分だった。
直行が考え事をしながら家に帰り着き冷凍庫を開けると、そこに確かに残っていたはずのアイスが無くなっている。
彼らに食べられてしまったとしか思えなかった。
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