第四章 古橋直行

第11話 義賊ねずみ小僧からの手紙

 このまえは驚いたでしょ? 悪かったね。

 

 それでさ、考えてくれただろうか?

 この国に失われた義を取り戻すことの必要性は、君もきっと感じてくれていることと思う。

 

 僕はそれをどこかの誰かに託すことの許されない立場なんだ。

 力を貸してくれ。場所と時間を書いておく。君の意思を確認したい。どうか来て欲しい。

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 先日は来てくれてありがとう。


 映像は見てくれた?


 これで僕の言うことを信じてもらえたかな。


 一方的に勝手なことをいう僕の態度に不遜な部分があることは認める。しかし、それだけの能力を僕は有していると自負している。


 また連絡をするからね。

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 君の意思は分かったよ。


 でもそれによって僕の行動が変わることはない。些細な部分での変更はあるけど、最終的に到達する場所は何一つ変わらない。

 

 ただ残念なことに、僕にはやらなければならないことが一つ増えてしまった。


 僕の協力者しか知っていてはいけないことを、君は既にいくつか知ってしまった。


 だから僕はどちらかを選ばなければならない。君に、この件を一切忘れてくれるよう懇切丁寧にお願いするか、もしくは僕が自らの手で君を裁くことのどちらかをだ。

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 甘く見すぎていたんだね。僕は君の事を甘く見すぎていたんだ。


 改めて君の助力が得られないことがどれほどの損失か、身にしみて感じているよ。

 

 そうそう、次の標的が決まったんだ。明日、情報を各所にまたばら撒くつもりだけど、今回も君に一番最初に教えてあげるよ。


 君にはそれだけの礼を尽くすべきだと、僕は本心から思っている。

 

 この前も言ったかと思うが、君の行いによって僕の行動とその結末が変わることは何一つないのだと言うことを僕はきちんと示さなければならないんだ。

 

 正直言うと、今ね、意外と悪くない気分だよ。

 

 僕は聖澤の宝を戴く。

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 古橋直行にねずみ小僧から最初の手紙が届いたのは八月。 

 夏休みに彼が部活のために中学校に来ていて、練習が終わって帰るときのことだった。


 俺のこの上がりきった脈拍をどうしてくれる。


 そのとき直行は、自分をこれからとても面倒なことに巻き込んでいくことになるその始まりの手紙の内容を詳しく考える前に、とりあえずそう思った。


 剣道部の練習が終わり更衣室に戻ってきて、自分のカバンの中に白い封筒を見つけたとき彼はとても動揺した。


 周りで着替えをしているほかの部員に心の乱れを悟られないように昨日のテレビの話に加わっていたが、もう心中はそんなことはどうでもよかった。一刻でも早く封筒の中身を確認したかった。


 てっきり誰か女子からの手紙だと思ってしまった十四歳の健康な男子である彼を、いったい誰が責められようか。


 冷静に考えてみれば、中学生くらいの年頃の女の子がその類の手紙を書く場合は、もう少しかわいい便箋に『直行くんへ』とでも、これまたかわいらしい文字で書くのが普通だろう。


 直行に届いた真っ白な封筒には何も書かれていなかった。しかし、きっとそういう子だっているのだろうと、判断力の著しく鈍った直行はちっとも疑わなかった。


 直行がいつも行動を共にしている違う部活の友人とコンビニでだべっている時も、いつもは店員に白い目で見られてもアイスや菓子パンや、フライドチキンをパクつきながら極限まで粘ろうとする彼が、手紙のことを気にするあまり、なあもう帰らねえ? を連発して不審な目で見られた。


 家に帰って、母親にぼそっと小さくただいまと言って、自分の部屋に駆け込む。


 封筒をハサミで切って手紙に目を通した。


 そこにあったのは彼が期待したいかにも女の子が書くような小さくて整った文字ではなく、パソコンで書いてプリントアウトしたものと思われる、明朝体の味気ない文字だった。


 あれ? 何だ。何だこれ? 『失われた義』がどうしたって? それが俺に何の関係あるのさ。いたずらにしたってなんだか見当外れだな。


 東京ドームに掲げられたチャンピオンフラッグを盗むとか、気になることが書かれてはいたが、しばらく眺めて直行は溜息をつきながら机の引き出しに手紙を押し込んで、その日はそれっきり忘れた。


 次の日のニュースで、あちこちに怪文書が送られたことを伝えているのを見ても、怪文書のいたずらって流行ってんのか? という程度でいたが、その文面が画面に流れて、自分に送られてきた内容と同じであることを知って彼は驚いた。


 思わず母に言ってしまいそうになり、そこで自分が思春期であることを思い出してなんとか踏みとどまった。


 これは一体どういうことだろうか。


 こうしてテレビで流れているのを見る限りだと、なんだか興味を惹かれる面白そうな事件ではあるが、どうしてその騒ぎのなかに自分が含まれているのだろうか。


 直行はニュースが終わると、昨日引き出しにしまった手紙をもう一度読んでみた。そこで彼は自分に送られてきた手紙にはニュースで流れたものと違う文言が付け加えられていることに気付く。


 君が彼女に手を差し伸べることは意味のないことであり、してはいけないことだと僕は思う。理解してほしい。


 どういうことだろう。言っていることもわからないし、自分にだけそれを伝える理由がまるで思いつかない。


 もしこの手紙が、本当に自分に向けてのものだとすると。

 直行はそう仮定して少し考えてみた。


 単純に、言葉通りにその意味を捉えて、この手紙の主は自分にプロ野球の優勝旗を盗む手伝いをしろと言っている。

 ねずみ小僧と名乗る何者かがそれを為すつもりでいて、日本中にその意思を伝えた。


 考えてみてもこれが現実に自分の身に起こっていることとは信じ難い。こ


 自分は旗を盗むだろうか? 盗むとしたら一体どうやって? その方法をしばし考え込んで、それからそんなことをしている自分がおかしくなった。誰がするかそんなこと。


 やはり何かのまちがいだろう。彼は手紙をしまうと部活へと向かい、その後はいつもの日常を過ごしていたのだが、それは数日のうちに破られた。


 再びカバンの中に白い封筒。部活が終わった後。こんどは動揺することはなかったが、そこはかとない不気味さを感じた。誰なんだよほんとに。


 校舎の影で中身を確認する。この前と同じ、なんだか気取った上から目線の文章。時間と場所が指定してあって、直行にそこに来いという。

 行ってみるか?


 誰もいないかもしれない。

 本当にねずみ小僧(姿形のイメージがまったく沸かない)がちょこんと自分を待っていたら滑稽極まる。

 

 危険はあったが、もしものときは逃げればいいだけの話だ。ちょっと行ってみてもいいか。


 指定された場所は、直行の住むマンションのよくよく近くだ。時間は直行が剣道部の練習を終えて、家に帰って一休みしてから出て丁度いいくらい。ご丁寧なことだ。


 直行は呼び出しにのこのこと誘い出されてみることにした。


 説明する手間を省くことが出来るのであれば、こういうときについてきてくれる仲間に心当たりはあるのだが、ねずみ小僧がどうのこうのと熱心に語る自分の姿が想像するだけでもおかしくて、仕方なく直行は一人で指定された場所へと向かった。


 その場所は特に変哲もない駐車場だった。


 住宅地の真ん中にあって、四方を家に囲まれている。少し高台になっていて地面は砂利だ。粗末な木の看板で番号は入っているが、特にラインで区切られたりはしていない。今までたまに通りかかってもまじまじと気に留めることもなかったが、タイヤやエンジンが抜き取られた外車が一台、隅っこに止められている。


 駐車場に時間の五分前に到着した直行はとりあえずあたりを見渡して、誰もいないことを確認した。それから、もし何者かがわらわらと出てきた時にはどこから逃げるかも取り敢えずの算段を立てた。


 しまったな。直行は今更ながら思い至った。竹刀を持ってくればよかった。制服のまま、学校からまっすぐ来た風を装えば、竹刀が入った布袋をもっていても不自然ではない。


 直行の剣道の腕前は、小学校からやっているにしては部の中でも突出して強いわけではなく特に最近は伸び悩んでいるのだが、竹刀があればちょっとした威嚇にはなっただろう。


 しかし実際のところ、生来のんきな直行は手ぶらで、格好も上は白と水色の横にストライプになっているTシャツと、下はポケットの四つほどついたベージュ色の生地の半ズボンというコンビニに涼みにいくとしか思えないような格好でこの場に立っていた。


 暑いな、くそ。


 この場所は日陰がなくて、一番気温が上がりきっているこの時間帯は真っ白な光を放つ太陽に晒されて、ただ突っ立っているだけでもいやになった。


 あたりには誰もいない。どこかで子供が遊んでいるのであろう甲高い笑い声がたまにかすかに聞こえる。


 スポーツ用品店で買った安価なデジタルの腕時計に目をやると、約束の時間は過ぎていた。


 10分は待ってみよう。あとは帰って麦茶飲んで昼寝しよう。直行がそんなふうに考えて、更に数分待っていると直行の背中の方角から歩道を歩いてくる者があった。


 気配に気付いた直行が振り返ると、女子が一人、あたりの様子をいぶかしげに伺いながらこちらに向かってきていて、直行と目が合うと二秒凝視したのち目を逸らした。


 それっきり直行のことは見ずに、さっき直行がしたのと同じように辺りを見回して、それから駐車場の中へとゆったりした足取りで気だるげに登ってきた。


 同じ中学の子だ。顔は知っていたが、こんなふうにちゃんと向かい合うのは初めてだ。


 黒地のTシャツ、左手に細いブレスレットが二本、クリーム色の半ズボンを履いている。髪は短く、少しだけ茶色に染めているようだ。色が白くてきれいな子だった。


 その女子はこの状況が不服なようで、沈んだ視線で直行を品定めするように見ていて、しばらくして強めの口調で言った。

「なんの用なの? 告白? まさかケンカ売るつもりじゃないわよね。どちらにしてもこんなところに呼び出されるのは迷惑なんだけど」

「違うよ。俺も呼び出されたんだ」

「誰によ?」

「多分そっちと同じ相手に」

 

 そのとき携帯の着うたが鳴った。

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