九枚目:人生は思い通りにはいかない(3)

 家に帰った僕はステラを床に寝かせて、アリマさんと二人きりで家の近くにあるカフェに行った。ずたぼろの服で外を歩き回れないため、簡単に上着だけ着替えて出た。僕たちは店内の一番奥まった場に三方を壁に囲まれた小さなテーブル席に座り、漆喰しっくいの壁の表面を照らす柔らかな照明の下で、暖かいコーヒーとココアを頼んだ。カフェ内には他に来客もなく、小さく流れるジャズの四ビートのリズムと只今お湯を注いだコーヒー豆の匂いが人の温もりの代わりに漂った。

 「ステラに関して僕に何か話したいことでもありますか?」

 注文を終えた僕は迷わず話の本題に持ち出した。

 「そうですね。誤解を解く必要もありますから順番通りに話しますね」アリマさんが頭を軽く下げて礼を言う。「まずは、ガーデンズ学園でカカシから姉さまを助けてくれてありがとうございました。炭咲さんのおかげで姉さまの行方を把握できました」

 腕を組んだまま一つ大きな息をしてアリマさんの顔を見つめた。虎ノ門の時と態度がだいぶ変わっている。どうやら、ガーデンズ学園で起きたテロの真相をつかめたようだ。こひなさんから聞く時間はなかったと思うが、と思うのの、皆が眠った夜明けに誰かと電話したことを思い出した。

 「事故が起きた現場にいる間に、バベルの関係者から樹の一族については話を聞いた覚えはありますか?」

 僕は顎に手を当てて言った。「特にないと思います。人を収穫しゅうかくするとか、罪人扱いしたことは覚えています」

 「樹の一族の正体については聞いてない、とのことですね?」アリマさんは僕の反応を見て次の話に進んだ。「樹の一族は、巨樹から産まれた後孫まつえいでありながら、今は絶滅ぜつめつした過去の存在を言います。一族に関して記載されている文献ぶんけんでは巨樹のお呼びを直接聞いたと伝わっていますが、実際はどんなトゲを持っているかも分かりません」

 「少なくても、僕は樹の一族ではない」

 「もう一つ質問してもよろしいでしょうか?」アリマさんは礼儀正しい仕草でショートケーキをフォークで刺して口に入れた。「樹の一族と関係ある研究所に勤めたご家族や知人がいますか?具体的に言わなくてもいいです。いる、いないだけで大丈夫です」

 僕はその質問に押しやって、複雑な感情で再び自分の考えに思い耽った。「特に樹の一族について知っている人はいないと思い——」

 ます、と言う間に先日の病院で香月さんと同僚が交わした会話の内容を思い出した。研究会に香月さんが参加していた。なお、あの二人は母親を昔から知っている口振りだった。

 僕が知っている母親は専業主婦で、病院の仕事は全く知らない人である。なのにあの二人は母親を知っていた。しかも、僕の存在まで上からの目線で見通していた。何かが間違った、と僕は、自分の覚えている過去の記憶に少しうたがいが芽生めばえた。

 「その反応だと誰かいるんですね。最初にお会いした時は緑埜社長かと思いましたが、あの人が本格的に活動した時期は緑埜家に入ってからでした」

 アリマさんの話は僕に混乱を与えた。「待ってください。まだ僕はあの質問に答えていないです」

 アリマさんがコーヒーを啜りながら目を瞑った。「目が左上に向かっています。何かを隠したい時はせめて、自分の目くらい意識してください」

 「いや、そんな筈がないです。あいつが、あいつが実験をしたから僕の家族は亡くなったのです」

 話が盛り上がる途中に注文した飲み物を店員さんがテーブルまで持ってきてくれた。頼んでない小さいイチゴショートがあったから聞いてみると、二十二日に訪問した一番目のお客様にあげるサービスだそうだ。クリームケーキが苦手だった僕は、アリマさんに全部あげて熱いマグカップだけ自分の前に運んだ。

 「各務コーポレーションは十年前からダイアモンドクラブのメンバー同士で共同研究を行いました。大きな目標は、巨樹の遺伝子情報DNAからトゲの発芽を誘導ゆうどうする治療剤を作ることでした」アリマさんはコーヒーを一口飲んで話を続けた。

 「共同研究を始めて三年目になる三月の夜、研究に参加したメンバーの一人が、巨樹の冬芽ふつめからとあるサンプルを抽出ちゅうしゅつしました。通称、『青薔薇アオバナ』と名付けられた『あれ』は現代人には発芽しない樹の一族のトゲだと定義して、どんな特徴を持っているか確認する段階に進めました」

 研究内容の概要がいようを聞き、あいつの書斎で読んだ昔の研究資料を思い出した。英語で書いてあるから内容までは覚えてないけど、何者かの細胞のイラストが描かれてある書類だった。

 「問題は、アオバナが発芽する条件にありました。巨樹から取り出したアオバナとは、動物の体内に接木する段階で拒否反応を起こしました。豚、ネズミ、猿、最後にイルカなど。あらゆる手段を尽くしてみましたが、結果はいつも陰性ネガティブ。研究が先に進まない日々が続く中で、私たちは意外なところからアオバナの発芽する条件を知りました」

 僕は黙々とアリマさんの話に耳を開いて聞いた。各務家の話だと思った内容が段々と僕が知らない秘密と繋がり、今までの真実が偽りに逆転しそうな気がした。

 「アオバナが反応を起こす唯一な生物は、人の血でした。しかも、生きた人間が体内に持つ血液ではないとアオバナの発芽は最後まで続かなかったです。不思議なことに、その条件を知った研究員が自ら実験体を志望しました」

 「…その研究員は、誰でした?」僕はかたずを飲んで有馬さんを見守った。

 「残念ながら、当時の研究資料には名前など表記されていません。ただ——」アリマさんが言葉尻を濁して僕の安危を心配してくれた。「初めの実験には、体が不自由な幼いわらべで行われたと記録されていました」

 アリマさんから聞いた真実は、僕を唖然あぜんたらしめた。話の中に出る幼い子供は、体が不自由だと言われているから僕ではない可能性が高かった。しかしそれでも僕があの実験に無関係だとは断言もできなかった。

 「実験は大成功で終わり、何人かの候補者を集めて第二と第三の実験を実行しました。姉さまは、その実験で生まれた子供の中で一人です」

 「カカシが僕たちを狙った理由も、樹の一族の遺伝子情報が体の中にいるからですか?」

 「具体的にどんな理由で襲ったかは本人から聞くしかないです。今までガーデンズ学園でいなくなった受験生に関しても、バベルから公式的に声明を発表した前例は、今年の共通テストを除いてありませんでした」

 「今回は違ったってことですか?」

 「そうですね。おそらく、テロと言うイレギュラーな出来事が起きて一般の人々にも知らされたから、今まで通りにはできなかったんでしょうね」アリマさんはティーカップをソーサーの上に置いて、続きの話を言った。「証拠はありませんが、ガーデンズ学園の側は、毎年の共通テストが行われる当日に合わせて、受験生の中で七年前に収穫できなかった樹の一族のわらべを、バベルの方に提供したと思われます」

 僕がカカシと戦ったことがバタフライ効果により、噂を事件になれるキッカケを作った模様だ。

 「アリマさんの話だと他にも樹の一族になったこどもがいるようですが、実験に直接加担かたんした大人がいれば連絡先を教えてもらえますか?必ず、確認が必要なことがあります」

 「残念ながら、今のダイアモンドクラブのメンバーは二代目で、先代のメンバーは全員、七年前に庭師と言うバベルの関係者に焼き殺されました」

 「え?一人も残さず全員ですか?」

 「はい、信じ難い話ですが、嘘ではありません。研究者とそれを指示したメンバーは皆、庭師の炎に焼かれ、灰になりました」

 僕は、もやもやとする頭の中を引き剥がしてくれる人がいなくなって残念だと思いながら、一部分の仮説については解消ができて満足した。切り分けがつかない話は、香月さんとあいつに訊いて分かるだろう、と自分なりに今までの話を頭の中でまとめた。

 「僕からも一つ質問があります」と今更になって根本的な話を相手に投げた「一度捨てたステラを、再び本家に連れて行こうとする底意そこいは何ですか?」

 「下心したこころのことをずいぶん難しい言葉で言いますね」アリマさんは苦いコーヒーを一気に飲み干してイチゴを口に入れた。「子供にとって大事な存在は誰だと思いますか?」

 「僕の質問に変な質問で言い返さないでください。真面目に答えないつもりなら、この場でTGCの知り合いに連絡してステラをお願いする手も考えています」

 「何故ですか?単に炭咲さんは姉さまの代理保護者で、私は実の妹です。家族である私が、身内の姉さまを連れて行くことに理由が必要ですか?」

 「良い親は、子供を捨てたりしないでしょう、普通。子供のためであれば、何があっても、親として子供を見守るできでは?捨てた理由は知りたくないですが、先ずは子供を大事にしないと、また同じことが起きないと保証ができないと思います」

 「へえ」と、それだけ言い出してアリマさんは、しばらく口を噤んで話をじっとした。

 自分のにもないお節介せっかいでアリマさんを怒らせてしまったと思った。しかし眼の前にいる相手の顔を見た途端、アリマさんに対する不信をつのらせた。

 微笑む、ただそれだけだった。つとめて微笑んでいたが、ある意味では、その努力もアンバランスな感じを与えるものだった。それは、不幸な日々を送っている孤独こどくな少女の微笑みにも見えた。

 「失礼、前置きが長くなりました」

 彼女はありふれた答えばかりをして、最後の一口だけ残ったケーキの破片をフォークにのせて僕に差し出した。「炭咲さん、姉さまの世話係せわがかりではなくて、本当の父親になってくれませんか?」

 あまりだしぬけの誘いに僕は自分の耳を疑った。アリマさんは、たった今しがた言った言葉など、あたかも言わなかったごとく、平静な顔をしてカフェ内を眺めていた。

 「今すぐに答えなくてもいいです。五日目の朝まで決めていただければと思います」

 「正気、ですか?」

 「と、言いますと?」

 「会話の流れ的にステラを各務家に連れ戻すから、僕を説得するのではなかったですか?」

 「私は契約の話を提案した時点で、炭咲さんに姉さまをよろしくお願いすると決めていました」

 「いや、いや、いや、おかしいです。絶対、おかしいです」

 「まだ契約が終了するまで後二日くらい残りましたが、その間に姉さまに良い父親の姿を見せてください」

 「僕の意見も聞いてください。冗談でも程があります」僕は手を広げてやたらに横に振った。「バイトでもあるまいし、一日二日で僕が実の父親を超える父親になれないです。子育てのためにも一人暮らしの男の子よりは、経済的に安定している各務家の方が、ステラにとって何不自由なく暮らせると思います」

 「炭咲さん、私が冗談で姉さまをあなた様にお願いする人に見えますか?しかも、良いなるために父親から求められる部分は、子供を大事にする心構えだと炭咲さんが自分の口から言いましたよね。あれは、単なるてた言葉でした?」

 「いや、いくら何でもいきなりそれは——」

 語り終えたアリマさんは、一層顔の線を固くして、少しきつく感じられる眼を窓の方から僕へ向けた。あいつの会社で見たアリマさんの人形と悉く似ている。それくらい軽い雰囲気は一ミリもしなかった。

 「私は姉さまの家族である前に、一人いちにんまえの起業家です。炭咲さんであれば、姉さまを任せても問題ないと判断した根拠こんきょと理由を考えてお願いしています。姉さまには、炭咲あなたさまが必要です」

 「もちろん、アリマさんの判断は尊重します。が、これは一生涯いっしょうがい、本当にステラの人生にあたって重要な分岐点ターニングポイントです。僕は一生涯の間、六年以上を親と離れて生活し、今でもあいつからの支援を断って一人で暮らしています。そのような僕が、父親らしきステラの面倒を見ることがありえると思いますか?」

 「逆に聞きたいですが、父親らしい人物って具体的に誰のことをおっしゃっていますか?」

 「それは当然、子供に優しくて経済的にも安定した大人おとなのことです」

 「であれば、炭咲さんの家の背景や貧しい境遇きょうぐうが安定的に変わる場合は、姉さまの父親になれる資格を持てるとの話でしょうか」

 「僕からは目を離れてください。僕は、親の役割は初めてのただの十五歳の子供です。期待されても困ります」

 「何も期待していません。だから私から炭咲さんにお願いをしているのです」アリマさんが差し出したケーキを僕の口の中に入れ込んでにこりと笑った。「立場的に考えれば、最近になって姉さまの面倒を見た炭咲さんと歳を取るだけとった大人が父親になった時に経験する内容の間に、大きく差分はないでしょう。大人だって、父親パパ母親ママになることは初めてです。炭咲さんは、パパになれる時期チャンスが他の人より早く訪れただけです。それを掴むか掴まないかは、炭咲さん次第だと思います」

 アリマさんはそれを最後にフォークをテーブルの上に置いた。

 「どうか、炭咲さんが考えたできない理由や条件は掘っておいて、本当に姉さまのために必要であるかを考えてください。どうか、引き続きよろしくお願いします」

 ここまでの話を聞いて僕は口を閉ざした。説得力があるからではない。ステラのために僕を説得させようとするアリマさんの様子をいぶかしく思いつつも、言い返す言葉が頭の中で浮かばなかったからである。本人より家族のステラを大切にする想いが強くて、ことわつらくなった。

 「姉さまの本当の親になってくれませんか?」

 アリマさんからの言葉が、隠然いんぜんたるうちに、耳元でとどまった。親は、たいして僕の人生に不要な存在にすぎない、と信じていた。実際、あいつから経済的支援がなくても、自力でバイトを探し、一人暮らしのために必要な生活費を稼いでいる。まるで、最初から僕は独りだったように、不便でも不充分な人生だと思ったことはなかった。

 あいつの手で荒い人生を送った僕に、己の身を守れることは簡単にできる。あいつに散々振り回され、苦労した人生に慣れているからだ。

 ただし、ステラのパパになれるかの話は、また違う問題を呼び起こす。家族の安全を挟み込む場合には、正直な話、僕が判断を間違った時のプレッシャーが人を狂わせる。ステラには、僕が歩いた道を同じく経験させたくない。ステラには、なるべく幸せな毎日を送らせたい。人生の主役が僕からステラに変わる時、僕の人生は、何かが物足りない人生になった。

 仮にステラが僕の娘になった後を想定しても、心配のタネはまだ残っている。果たして、ステラが僕の見苦しい一面を見ても、僕が嫌いにならずに僕をパパと呼んでくれるのか。家族になってから、互いを傷つけるほどの大喧嘩をしてもずっとそばにいられるのか。

 僕はマグカップのココアが冷めるまで、じっと考えた。

 「炭咲さん、何か甘い物でも頼みますか?」

 僕は何気なく脳が望むことを口に発した。「オレオクッキーミルクでお願いします」

 「承知しました。オレオクッキーミルクですね」

 それから僕はアリマさんと一時間ほどカフェ内で明日の予定について話を交わして、久々に料理材料を買って家に帰った。ステラは未だに何も知らずに居間で眠っている。スヤスヤと天使の寝顔につやのある髪が白い頬にかかって、小さな耳は枕に隠されて見えなかった。明日は午前中に水族館に行く予定だから、そろそろ昼寝はやめさせた方がいいと思いつつ、寝ている顔があまりにも可愛くてもう少しだけ寝かせることにした。

 その間に僕は、時間的にはまだ早いが、晩飯の準備を始めた。フライパンを予め洗い出し、ネギ一本をまな板の上に置いて包丁で小さめに切った。今日の晩飯はネギ油を使った鶏唐揚げだ。一ヶ月に一回、贅沢ぜいたくな気分を味わいたい日にしか作らないけど、一人暮らしを始めた頃に初めて中華屋さんで学んだ料理が鶏唐揚げである。他の料理は下手でもこれだけは自信があった。

 洗ったフライパンに火をつけ、油をかけると、後から寝起きでむずかるステラの声がきこえてきた。

 「パパ、ウルちゃい」

 僕はごめんなさいと謝り、料理が終わるまで我慢してくれることを頼んだ。

 「料理?パパ、何作るの?」とステラが眠たい目を擦って言った。

 鶏唐揚げと答えると、今度は期待に満ちた表情で僕のところにきて料理をする姿を見上げた。ついでにアリマさんは念の為にもステラが怪我を負わないように隣で僕たちを見守っている。なんだかんだ言って、家族想おもいが漂う家族になり始めた、と僕は密かに独り言で呟いて電子レンジにパックご飯を温めた。

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