雨越し

2.雨越し


今日の予報は、久しぶりの雨だった。

久方ぶりの湿気が、髪の毛を支配する。

ボサボサになりながら玄関を出た僕は、またバス停へと駆け出した。

跳ね返る水の飛沫は、池を渡っているみたいだった。


「カサさん。」

カサと言われたのは僕だった。ちなみにそんな名前はしてない。日を、雨を重ねていくうちに呼ばれ始めたのが、この名前だった。

「雫さん、おはようございます。」

彼女は、雫さんと呼ぶことにしている。

今日も雫さんが、タオルで髪を拭いてくれる。この暖かい匂いを感じると、今日は雨の日なんだって、実感できるような気がした。

彼女と始まった、この不器用な関係は、あの日から4回目になった。

はじめは何を話せばいいか分からなかった。だから、お互い天気の話をしていたと思う。ここから空が見えるのに。

それからお互い趣味の話とか。最近あったこと。プチニュース。驚いたこと。好きな雨雲の話なんかをした。

自己紹介はしなかった。必要なかった。

相手を知ってしまえば、崩れてしまうと思った。でも、違う制服を着ているのは確かで、それだけで、十分だった。

「今日は一段と雨が強いですね。」

髪を拭いてくれている彼女に、僕はぽつりと呟いた。視線は彼女に向いていないけど、彼女も僕に向けていなかった。

「そうですね。」

返事は質素なものだった。でも、彼女の柔らかな声が、僕を包んでくれた。

雨がクラシックを演奏するかのように、ぱらぱらと落ちていく。

土。木の葉。鳥。彼らはまるで、楽器の一部みたいに思えた。

ずっとこの空気を、探していた気がする。

「雫さんは、一本後のバスなんですよね。」

彼女が少し間をおいて、こくりと頷いた。どうやら僕らは、一つ違うバスに乗っているらしい。だから、僕のバスがくるまでの間、こうして彼女と話している。

雨が一層強くなった。雨のフィルターを通して見える高層ビルの群集は、晴れの日と違って、どこか寂しさを感じさせる。全てモザイクで覆い隠されているかのように、雨が周りの景色を遮っている。

彼女が僕の髪を拭くのをやめて、改めて僕に向き直った。

視線を合わせると、彼女の頬が茜色になっていくのが分かる。

なんだか恥ずかしくなって、僕は目をそらした。

それからいつものようにベンチに座って、そして他愛もない話をする。

ほどなくしてバスが来て、僕は飛沫を払って乗り込む。

バスが閉まる。

雨越しに、彼女の姿が浮かぶ。

彼女は僕に手を振っていたので、僕も彼女へと手を振り返した。

姿が見えなくなるまで手を振って、そして向き直る。


雨越しに、太陽が見えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る