第7話 山奥

 山を登り始めると木々がまるで人を嫌うかのように生い茂っている。昼だというのに太陽の光を遮り薄暗い。きちんと管理されている森と異なり、間伐を適宜行っていない深い森は想像よりも暗く人を不安にさせる。

 がたんと車が揺れる。


「この道はこの先にある施設にしかつながっていないからあまりきちんと整備されていないのよね……」


「森も、凄いですね……」


「怖いわよね、夜なんて絶対に来ちゃ駄目よ。そもそも一人で来ちゃ駄目」


「そうですね、私の考えが甘かったって今思っています」


「今日は河田って人は来ないのよね?」


「はい、今日は1日中会議で拘束されるって」


「結構香澄ちゃんって人の懐の入り込むの上手いわよね、市役所の掃除のおばちゃんとあっという間に仲良くなるって……」


「年上の方にはなぜか可愛がってもらえるんです」


「まぁ、その容姿で素直で真面目なのはポイント高いわよね。

 良かったわね、仕事始まってもその特性は役に立つわよ」


「そうなんですか?」


「少なくとも、見た目や態度で変に警戒されたりするよりは遥かにいいわ」


「そういうところも気をつけなきゃいけないんですね獣医師って」


「動物の病院と言っても、相手をするのは飼い主様っていう人間だから……

 動物だけ診て成功するのはよっぽど突き抜けてないと難しいわよ」


「そうなんですね……」


「あ、見えてきたわよ」


 相変わらず薄暗い道の先に進入禁止のぼろぼろになった車止めが置かれている。

 その先には高い壁とくる人間を拒むように佇む大きな扉が見える。


「もともとは何かの研究所だったらしいけど夜逃げみたいな形で放置されて、悪い人たちのたまり場になっちゃって、市が管理するようになったらしいわよ」


「凄く、嫌な感じがしますね」


「ほんと、早く潰しちゃえばいいんだろうけど、それにもいろんな問題があるみたいでね。薄暗いし……」


「水の音……あれ、排水……?」


 使われていない設備から水が流れている、瑞沢は違和感を覚えた。


「山の上の方に湧き水でもあるのかしらね?」


「……消毒液の匂い……それに、生臭い」


 くんくんと花澤は周囲の匂いを嗅ぐが、生臭さどころか消毒薬の匂いさえも感じない。森と土の匂い以外を感じることはなかった。


「そう?」


「間違いない、ここが、ここが虐待の現場です」


「本当なの?」


「わかるんです、おぞましいことが、この中で行われている……助けないと……」


 ゆっくりと扉に近づいていく瑞沢の腕を花澤が掴む。


「駄目よ、約束したでしょ、これ以上は駄目」


「でも……」


「それに、今傷ついた動物を見つけても何も出来ない。ちゃんと準備をしてから当たるべきよ。変に火をつけちゃった私も悪いから、こうなったら付き合うわ。でも、ちゃんと準備をしなければ駄目、医療器具もだし、もしものときの対策もちゃんとして、勝算のない勝負は駄目。ここは絶対に譲らないわ」


「わかりました。では、準備をしに戻りましょう」


「そうね……しょうがない、頼るか」


 それから花澤は車に戻りスマホを確かめる。


「もう少し戻らないと電波がないわね。

 午後の診察を頼むのと、助っ人を呼ぶわ」


「助っ人?」


「そう、こういう時に頼れる人がいるの」


「すみません、お願いします」


「乗りかかった船だわ、やってやろうじゃない!

 私だってこの街で動物虐待事件なんて起きてほしくないし!」


 二人は一度病院へと帰ることにした。後ろ髪を引かれる思いで瑞沢は遠ざかっていく建物を眺めていた。


 病院にもどり、カバンに医療用具を押し込んでいるとチャイムが鳴る。

 花沢たちが対応する前に扉が開き、長身の男が入ってくる。


「ちわー、急に無茶振りするなって院長からの伝言役です」


「あらー、それでもエースのみっちゃんを送ってくれるなんて、今度ビール奢ってやろっと」


 花澤とその男はなれた感じで軽口を交わす。

 男もカバンから白衣を取り出すと身につけ、午後の診療の準備に入ろうとして、瑞沢を見かけて目を見開く。


「あの、はじめまして」


「ざーさん先生こちらの見目麗しい娘は?」


 だらしない口調が急にカッコつけた言い回しへと変化する。


「うちで実習中の学生の瑞沢香澄ちゃん。そっちにはあげないわよ」


「はじめまして、松田 美智まつだ みち、獣医師です。独身です」


 ささっと瑞沢に近づきその手を取ろうとする松田の前に花澤がカルテをねじ込む。


「手を出したら殺すわよ」


「あ、ど、どうも」


 勢いに瑞沢も少したじろいでしまう。


「かー、ざーさん先生、彼女いつまで居るの?

 歓迎会しよっ歓迎会! うちのボスに全部出させるから!」


「いやよ、あいつ絶対に囲いに来るじゃない。香澄ちゃんはうちの大切な客人なんですー」


鶏笑とりしょう貸し切りしましょう! どうですか?」


「また勝手に……でも、いいわね、最近いけてないから……いや、だめだめ、彼女は忙しいの。はい。午後よろしくね」


「ちぇー……でも諦めないから! 絶対に諦めないからぁ!」


「さーて、もう一人の騒がしいのが外についたし、行きますかぁ!」


「は、はい。じゃ、じゃあ、お願いします……?」


「任せといて香澄ちゃん、帰りにまたあえるかな? 楽しみにしてるよ?」


 投げキッスする松田に困惑する瑞沢の腕を花澤は掴んで外に出た。


「ねーさん!! お声がけ嬉しいっっす!!」


 外に出ると更に元気な声が響いた。

 ソコには小柄な若い女の子が立っていた。

 どう見ても瑞沢よりも若く見える。

 迷彩柄のズボンにブーツ、それに大きめなカバンを背負っている。

 髪は明るく、見た目の第一印象はギャル。だ。


「みうでーす! 菅原 美優すがわら みうよろしくー!」


「あ、はい、よろしくお願いします!」


「うっわ、本当にめっちゃかわいー! すげーきれー!」


「ほら、みう! あんまグイグイ行かない。

 さ、車に乗って、詳しくは車で話すわ」


「ラジャー了解っす! よろしくね香澄さんっ!」


 あっけにとられている瑞沢の手を菅原はぎゅっと握ってブンブンと振り回すのであった。




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