第3話 夜

「美味しい」


「でしょ?」


 テーブルに並べられた色とりどりの料理は全て瑞沢を満足させた。

 エビチリはエビがぷりっぷりで辛味もちょうどよく、海老の旨味を十二分に引き出していた。青椒肉絲は野菜がシャキシャキで、炒飯もパラパラでありながらしっとりと味わい深く、特に餃子は野菜多めでありながら肉汁をたっぷり含み、その旨味が口の中に広がる間違いない絶品だった。それをよく冷えたビールで流し込むと、緊張した状態で必死に動いたことで隠れていた疲労感や空腹感を気持ちよく流してくれた。


「ぷはーーーっ、この一口のために働いてるのよね!」


「千佳さんって……いや、止めときます」


「今、いくつなんですか? って聞こうとしたでしょ?

 私は永遠の二十歳……と18歳よ。スナックに入り浸ってる孤独な女」


「孤独なんですか?」


「ぜーんぜん。毎日楽しく過ごさせてもらってるわ」


 美味しい料理に美味しいお酒、二人は自然と態度がくだけて笑顔がこぼれていた。


「スナックって女性一人でも楽しいんですか?」


「楽しいわよー、なんだろ、あの大学の時友達の家でだらだらして、何をするわけでもないのに楽しい感じ?」


「……私、あまり友達、いなくて」


「じゃあこれから友達作ればいいのよー、気楽よー本当に適当なおっさんも多いから。ただ腹の底から笑いたいときとかにぴったりよ。

 でも、香澄ちゃんはちょっと可愛すぎるし魅力的すぎるから皆がおかしくなっちゃうかもねー」


「そ、そんなこと無いかと……いつも皆に真面目過ぎてつまらないって言われてしまうし……」


「あー、自覚できないでここまで来ちゃったパターンだから漫画喫茶とか言い出しちゃうのかぁ……危ういわねぇ」


「皆、楽しそうにしてる場所とか、しらけさせちゃうの悪いんで……いつも当番とかやってたり、そういう感じなんで」


「でも動物の世話をしているのも別になんの不満も無いんでしょ?」


「はい……」


「そういう生き方もいいんじゃい? 職業獣医師ってより、生き方獣医師。嫌いじゃないわよ」


「まだ、卵ですけど」


「いいのいいの、獣医なんて免許持ってるかもってないかでしか無いから、免許持ってたってクソみたいなやつだって居るわよ。それよりも何倍も香澄ちゃんの方が立派よ。私は、まー、それぞれ、それなりって感じかな?」


「千佳さんはちゃんとバランスが取れているんですね……そういうの、全然うまく出来なくて」


「いいのよ、自分で好きなように生きれば、別に他人のために生きてるわけじゃないんだから!」


 花澤の言葉は、今まで瑞沢が聞いてきた、普通の人たちの普通な生き方の正解とはかけ離れているように感じたが、それが、とても心地よかった。


 二人の話は盛り上がった。しばらくして落ち着くと監視用のモニターに映された手当をした猫の話題になっていく。


「あの子、なんであんな状態だったんでしょうね……」


「……自然に起きたこととは考えにくいわね。えっとね、このあたり、最近虐待を疑う事件が、続いてるの。もしかしたら、その一環なのかも……」


「え、そうなんですね……」


「だんだん、その手口が残酷になってきていて、注意喚起されているんだけど、この子がいま一番ひどいわ。でも、田中さんが轢かなくてよかった。あの人も猫可愛がってるから、ショック受けたでしょうから、ありがとうね助けてくれて」


「いえいえいえ、こちらこそありがとうございました」


「不思議よね、お母様を追って来たらこういう動物を助けて、そういう縁があるのかしらね」


「母親……」


 瑞沢は写真を取り出す。


「確かに面影はあるわね」


 古い写真だが、そこに映る女性が瑞沢と縁があることが分かる程度には似ていた。


「母は、この街で……どう生きていたのか……」


「ふぁーーー、眠くなっちゃった。

 私は院長室で寝るから、ここは自由に使ってね?

 また、明日ー」


「は、はい。お世話になります」


 すやすやと眠る猫の姿を見て、瑞沢はその日の疲れを流すようにシャワーを浴びて、なれないベッドですぐに眠りについた……


 翌朝、猫が眠るICU集中治療室の前には瑞沢の姿があった。少し遅れて花澤が現れる。普段着とは打って変わってシンプルな寝間着だが、逆に花澤の豊かな体を強調してしまっていて、瑞沢は少し恥ずかしくなってしまった。


「おはようございます」


「あら、早いわね」


「ええ、心配で」


「そっか、うーんと、うん、大丈夫そうね。安定している」


「意識、戻りますかね」


「そうねぇ、午前中に戻らなければ、胃瘻か鼻カテを考えないと、栄養状態よくないから……」


「あっ」


 薄っすらと目を開ける猫、瑞沢たちの姿を扉越しに見つけると、ボロボロの体を引きずりながら部屋の端へと逃げていく。

 その痛々しい姿に、瑞沢の目頭は熱くなった。


「そうよね……」


 花澤は悲しそうにため息をついて、棚から胃腸に優しいフードを取り出しぬるま湯でゆるくしていく。


「まずは白湯的なもの、食べてくれるといいんだけど」


 中に皿をいれると猫は部屋の隅で健気にシャーシャーとかすれた声を上げる。

 扉を閉め、しばらくするとほのかに香る食事の匂いに鼻を動かし、次の瞬間。


「食べた」


 ペチャペチャと狂ったように皿の中の液体を舐め始めた。


「お腹、空いてたんだね……」


 瑞沢の瞳に、涙があふれる。


「大丈夫、この子はもう。食べる子は強いから」


 花澤もその光景を見て、胸をなでおろすのであった。




 



 

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