エアコンと亡き妻の遺言 3

「それで、部品はあったんか」


 家永さんのエアコンの修理について話すと、父は怪訝な顔になった。


 家永さんのところから灯しやに戻った夜。親子三人揃った夕食だ。今日のメニューは鮎の塩焼きとじゃがいもと蕗の煮物。

 鮎はひとつ山向こうの川で、祖父の代から灯しやのお客さんである江村さんからいただいたものだった。

 鮎と煮物のほかにコタツテーブルの上に並んだのは、ワカメの味噌汁と、母が漬けた茄の漬物。そしてビールだった。


「部品はあったよ。届くまでちょっと時間がかかるけどね」

「ようわからん客やなあ。修理代が嵩んでもいいから直せとはなあ」

「死ぬ間際に、奥さんに言われたらしいんよ」

「なんて?」

 母が話に入ってきた。

「十年はエアコンを買い替えないでって」

 父も母も、ぽかんとした顔になった。こういうのを、鳩が豆鉄砲を食らったようなというんだろう。


 言ってみて、美鈴自身も、あらためて変だなあと思った。こんなことを、臨終のセリフに選ぶのは変だ。

 何か特別な品というならわかる。だが、物は、ごく普通のエアコンだ。メーカーだって、日本でいちばん売れている、どこの家庭にも一台はありそうなエアコン。大切にしたい意味が不明だ。 


「そういえばやな」

 父がビールを一口飲んでから、遠くを見るような目になった。

「この前、井筒屋の息子のところのリフォームをしたときな」

 井筒屋は町では割合新しい旅館で、町のほかの旅館とは一線を画した経営の仕方をしている。客室は四つしかなく、そのひと部屋ひと部屋に、シェフがつき、フランス料理が振舞われるという。美鈴は行ったことがないが、町では有名な旅館だ。

 その井筒屋の息子が、最近自宅をリフォームした。


「あの家はなあ、親夫婦が、都会から呼び寄せた息子夫婦を住まわせるために建てたんやが。難しいもんでな。親の好みと息子夫婦の好みが合わんかった」

「そりゃそうや。年寄りと若い人ではセンスが違うんやから」

 したり顔で、母が応えた。

 母が灯しやに嫁に来たとき、店も、寝泊りする二階も、舅姑の使っていた内装そのままだった。ようやく母の希望を入れて改装されたのは、美鈴が中学になった頃だ。

「若いもんが使い易いように変えるんは構わん。だけどもな、新品やで。新品のものを全部外して別のもんを付けるっていうんは」

「もったいないわなあ」

「そうなんや。こっちとしては、新しい製品を買ってもらえるんやから、文句は言えん。文句言ったら、罰が当たる。けどもなあ、うちはともかく、ほかの業者らが納得できん表情やった。きれいなままの壁紙を剥がして、また貼り直しや。床もええ材質のフローリングを貼ってあったもんを、なんや、白っぽい色に変えてしもうてな」

 

 あの仕事の最中、なんだか父は浮かない顔をしていた。こんな理由があったとは知らなかった。

「まだ使えるもんを捨てられるとな。なんや、仕事をしたわしらのことまで使い捨てにされたようでかなわんな」

 ひとつの現場には、職種のちがう仲間の職人が集まる。父といっしょに仕事をする職人たちは、ベテラン揃いだ。その分、年齢は高い。

「大きな商売にはならんけどな。買った家電を大事に使ってくれるんは、有難いことや。修理は大切な仕事やで」

「だけどさ、エアコンを買い替えないでなんていう遺言があるんかしらん」

 言いながら、自分のコップにビールを継ぎ足していると、


「あんた、まだ飲むの?」

と、母に睨まれた。

「女のくせに、うわばみやなんて、みっともええことやないんよ」

「わかっとります」

 神妙な口調で返したものの、飲み足りないときは、自分の部屋で飲み直す。


 こんなところも、かわいくないんだろうな。


 酔いの勢いにまかせて男の人に口説かれた経験のない美鈴は、別れた夫の昌也に言われた言葉が、今も胸の底に残っている。

――美鈴には隙がない。

 言われたときは、なんだか申し訳ないように思ったけれど、別れて一年ちょっとたった今では、アルコールで作った隙など欲しくないと思う。


「ほら、片付け、手伝ってよ」

 母に急き立てられて、美鈴は立ち上がった。

 

 

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