エアコンと亡き妻の遺言 2

 エアコンの送風口から風が出ないのは、内部にあるファンが破損していることが明らかになった。しかもファンを調べている途中で、まだわずかだか、壁に染みている水漏れも発見。

 

 いったん軍手をはずし、美鈴は背後に立つ家永さんを振り返った。


「ファンの交換が必要です。それと、水漏れもしていていますから、外のホースを見てみたいです。このホースが出ている先は」

 エアコンのすぐ横に、壁に穴が開けられ、ホースが入れ込まれている。

「ベランダに出てると思いますけどね」

 美鈴は案内されて、ベランダへ出た。


 広いベランダだ。川がすぐ下を流れ、そのおかげで遮るものがなく、眺望は抜群だ。

 ただし、ここにも様々な物が氾濫している。バーベキューセットや屋外用テーブルセットは仕方ないにしても、崩さないまま放置された段ボール箱や、大小様々の雨にさらされた靴。壊れた釣竿、タイヤの潰れた子ども用の自転車もある。


「九年前に初めの妻が死んでしまって。それからはあんまりここに来なくなったもんですから」

 先に立った家永さんは、足先で物をずらし、通り道を作る。

 雨にさらされた靴の中に、女物のサンダルがあった。白地に赤いリボンのついたサンダル。踵の部分がへしゃげ、白色が汚れて黄土色っぽくなっている。


 九年間、風雨にさらされて原型を留めているとは考えにくいから、二度目の奥さんのものかもしれない。いや、さっき怒って出て行った女のものか?

「はじめの妻の両親がこの町の出身なんですよ。それで、このマンションを買ったんですけどね」

 ふたたび「ほじめの」と妻の前に修飾語をつけ、家永さんはさらりと続ける。

「結局、彼女は数回しか来られなくて。それで手放そうかとも思ったんだけど」

 

 ようやくホースの出ている壁までたどりつき、美鈴は工具箱を足元に置いた。

 ホースの垂れた床には、エアコンの室外機がある。

「室外機も見させてもらっていいですか」

 はあと、家永さんはめずらしそうに室外機を見た。ここにエアコンの室外機があるのをはじめて知ったという表情だ。

 

 美鈴はしゃがみこんで、外装カバーを外し、中身を見てみた。スイッチを入れて作動させてみるまでもない。経年劣化が激しかった。交換必須だ。

 立ち上がって、ベランダを見渡し、空を仰いだ。このマンションは南東に向けて建っている。ということは、日中ずっとこの場所に太陽が照りつけるということだ。

「いい眺めでしょう? 子どもができてみると、都会で育てるより、ここみたいに自然のあるところのほうがいいですね。やっぱり紗栄子の選択は間違ってなかったんだな」

 

 はじめの奥さんは、紗栄子さんというらしい。そして、子どもたちは、二番目の奥さんとの間にできたのだろう。

 なんだか、とてもややこしい。

 川のほうから風が強く吹いてきた。そのせいで、壊れた釣竿がカランと音を立てて転がった。家永さんが釣竿を追いかけて走る。

 戻ってくると、続けた。


「僕は仕事があるから、こっちに住むわけにはいかなくてねえ」

 首を回して、美鈴はホースも見てみた。これも経年劣化が激しい。水漏れもするはずだ。室内機の中で溜まった水(ドレン水)を、うまく吐き出せてないのだ。

 となると、室内機のファンとドレンホースの交換と、室外機の交換を合わせると、軽く十万は超えてしまう。買い替え推奨決定だ。


 頭の中で、美鈴はいくつかのメーカーのエアコンを候補に上げた。

 子どもがいる家だから、空気清浄機能もついていたほうがいい。ちょっと高めだが、最新の機能を取り入れたほうが得だ。


「お義母さんが子どもたちの世話をしてくれてるんですよ。おばあちゃんが母親の変わりってわけです」

「無理ですね」

「は? おばあちゃんっていっても、まだ六十になったばかりで、すごくしっかりした人なんですよ」

「いえ、エアコンのことです」

「ああ、エアコン」

 家永さんは、ホッとしたような表情になった。


「修理でなんとかなる状態じゃないですね。室内機のファンの損傷は激しくて、取り替えないととても風は送れないし、溜まった結露を逃がすホースもボロボロ。室外機にいたっては、この中にある二つのモーターーーコンプレッサーとファンがやられてるんです。となると、まったくエアコンとしての機能を果たしてくれないんですよ」

「……」

「屋外に設置してあるものですから、多かれ少なかれ自然の脅威にはさらされてしまうんですが」

「自然の脅威、ですか」

 はいと、美鈴は大きくうなずいた。


「太陽、雨、それと風ですね。見晴らしがいい分、ここは過酷です」

「――過酷ですか」

 ふたたび美鈴は大きくうなずく。

 と、家永さんの表情が緩み、にっこりとした笑顔になった。

「いやあ、灯しやさんって、おもしろいなあ」

 そして希少動物でも眺めるように、美鈴を見つめる。

 ?マークが美鈴の頭に浮かんだ。この人といると、このマークが浮かぶ確率が高い。


「ともかく」

 仕切り直すつもりで、美鈴は家永さんに向き直った。

「室内機とホースの部品代と設置料で、ほぼ六万。室外機は全部取り替えたほうがいいですから、十四、五万。それに設置料がかかりますから」

 ツナギのポケットからスマホを取り出して、推奨するエアコンの画像を検索しようとした。贔屓のメーカーはあるが、それを奨めるのはあとのこと。はじめはフェアに、いろんなメーカーをみてもらいたい。


「ちょっと待って」

 家永さんに制されて、スマホの画面から、美鈴は顔を上げた。

「さっきもお話したように、買い替えはできないんですよ。買い替えないで、修理。その線で見積もりを出してもらえませんか」

 はいと返事をしながら、美鈴はスマホをポケットにしまった。値段がどうであれ、修理がお客さんの要望ならば、従うのはやぶさかじゃない。


「見積もりを出す前に、部品が全部揃うか確認します。お見積もりのご連絡はそれからになりますが、よろしいですか」

「もちろんですよ」

 家永さんはふたたびにっこりとした笑顔になった。



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