第34話 有島武郎『小さき者へ』にあふれるなみだ 📚
先輩の湯川優子が「あなたならわかるはず。いえ、あなただからこそわかるのよ」熱心に勧めてくれた有島武郎『小さき者へ』は文子にとって衝撃の作品だった。母を亡くした幼いわが子らへの励ましは、そっくりそのまま文子へのメッセージだった。それが父親の手で書かれたことにひりひりした痛みを覚えながら、何度も嗚咽する。
――おまえたちは去年、ひとりの、たったひとりのママを永久に失ってしまった。おまえたちは生まれるとまもなく、生命にいちばん大事な養分を奪われてしまったのだ。おまえたちの人生は、そこですでに暗い。
このあいだ、ある雑誌社が『わたしの母』という小さな感想を書けといってきたとき、わたしはなんの気もなく「自分の幸福は母がはじめからひとりで、いまも生きていることだ」と書いてのけた。そして、わたしの万年筆がそれを書き終えるか終えないに、わたしはすぐおまえたちのことを思った。わたしの心は悪事でもはたらいたように痛かった。しかも、事実は事実だ。わたしはその点で幸福だった。おまえたちは不幸だ。回復のみちなく不幸だ。不幸なものたちよ。
――雨などが降りくらして、ゆううつな気分が家の中にみなぎる日などに、どうかするとおまえたちのひとりがだまってわたしの書斎に入ってくる。そして、ひと言、パパと言ったぎりで、わたしのひざによりかかったまま、しくしくと泣き出してしまう。
ああ、なにがおまえたちの頑是ない目になみだを要求するのだ。不幸なものたちよ。おまえたちがいわれもない悲しみにくずれるのを見るにまして、この世をさびしく思わせるものはない。また、おまえたちが元気よくわたしに朝の挨拶をしてから、母上の写真の前にかけていって「ママちゃん、ごきげんよう」と快活にさけぶ瞬間ほど、わたしの心の底まで、ぐざとえぐりとおす瞬間はない。わたしはそのとき、ぎょっとして無効の世界を眼前に見る。
(これが……これこそが子どもの父親の真っ当な気持ちというものだろう。幼くして母に先立たれた者たちに寄せる心からの哀哭。すぐそこに見えるように克明に描かれた父と子の真実の景ではないか。なのに、わたしの父親は同じく母を亡くしたむすめを祖父母に預けっぱなしにしたうえ、存在そのものを見ないようにしていた……)
*
だが、果てしない哀哭の先に進んだ文子は、はっと居ずまいを正すような気持ちに駆られた。この慟哭の書の作者は小学校の関先生と同じことを説いている。孤独が、苦しみこそが人間を強くするのだと励ましてくれた関先生の恩を思い出し、肉親には恵まれずとも、すばらしい恩師に恵まれた幸運を思って、またひとしきり嗚咽した。
――なにしろ、おまえたちは見るに痛ましい人生の芽生えだ。泣くにつけ、笑うにつけ、おもしろがるにつけ、さびしがるにつけ、おまえたちを見守る父の心は、いたましく傷つく。
しかし、この悲しみがおまえたちとわたしとに、どれほどの強みであるかをおまえたちはまだ知るまい。わたしたちはこの損失のおかげで生活に一段と深いりしたのだ。わたしどもの根はいくらかでも大地に延びたのだ。人生を生きる以上、人生に深いりしないものは災いである。
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全編がなみだまみれのこの本の結びで、作者は未来への希望の道を提示していた。それもまた、読者という自分に向かって訴えかけてくる父親代表からのメッセージと文子は受け留め、この本を勧めてくれた優子と、その先輩を紹介してくれたとみ子に感謝し、あふれるなみだをあふれるままにしたまま何度も何度も繰り返し読んだ。
――深夜の沈黙はわたしを厳粛にする。わたしの前には机をへだてておまえたちの母上が座っているようにさえ思う。その母上の愛は遺書にあるようにおまえたちを護らずにはいないだろう。よく眠れ。不可思議なときというものの作用に、おまえたちをうち任してよく眠れ。そうして明日は昨日よりも大きくかしこくなって、寝床のなかからおどり出してこい。
わたしはわたしの役目をなしとげることに全力をつくすだろう。わたしの一生がいかに失敗であろうとも、また、わたしがいかなる誘惑にうち負けようとも、おまえたちはわたしの足跡に不純ななにものをも見いだし得ないだけのことはする。きっとする。おまえたちは、わたしのたおれたところから、新しく歩み出さねばならないのだ。しかし、どちらの方向にどう歩まねばならぬかは、かすかながらにも、おまえたちはわたしの足跡からさがし出すことができるだろう。
小さき者よ。不幸な、そして、同時に幸福な、おまえたちの父と母との祝福を胸にひめて、人の世の旅に登れ。前途は遠い。そして暗い。しかし、恐れてはならぬ。恐れない者の前に道は開ける。行け。勇んで。小さき者よ。
(そうだ、子どもには子ども独自の未来がある。それは親の置かれている条件とはまったくべつものとせねばならない。なぜなら、どうした天の配剤か、たまたま親子の組み合わせになったというだけのことで、偶然であって、必然ではないのだから。親に人生を左右されるほど理不尽なことはないと有島武郎は自虐的に語っているのだ)
*
三年生の夏休み、岡野の許可を得て中田の家に泊っていた文子は、祖父が読む新聞から米騒動が長野にも及んだことを知る。米価高騰に憤激する富山の主婦たちから始まった女房一揆は全国七十万人まで広がっていた。二学期に入ると長野市中でも節米講演会が開かれ、長野女学校でも校長講話や節米調理法の授業と試食が行われた。
いまは諏訪の製糸工場で働く和枝は、何度目かの手紙で、米騒動以来、製糸工場もざわざわして、近くの工場では同盟罷工(ストライキ)があり、友愛会という組合が出来たと知らせて来た。「ふだんのいろいろなふまんが、ばくはつしたんだといわれています」平仮名だらけの文章が、かえって緊迫感を伴っているように感じられる。
けれども、やはり女学校は荒々しい世間から守られた一種の聖域で、秋の恒例行事である戸隠登山が例年どおりに実施された。文子は和枝たち製糸工女の過酷な日常を思ってうしろめたい気持ちに駆られながら、高峰揃いの信州にあって随一の峻険と言われる蟻の塔渡りに挑み、幅六十センチの鋸の歯状の断崖絶壁を無事に渡り終えた。
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