第17話 家族がだれも来てくれない惨めな運動会 🏃
どんなにがんばっても「よくやったな」「偉いねえ」「だれに似たのかな」「わが家の宝だよ」と手放しで褒めてくれる父母がいないさびしさは小学生には堪えがたいものだった。でも、だからといって自分ではどうすることも出来ないことなので、なるべくそのことを考えないように、意識して関心を向けないようにして暮らしていた。
その懸命な努力を無に帰する残酷な日が、毎年秋に律義にやって来た。応援に来てくれる家族がだれもいない惨めさを、文子は和枝とふたり、お揃いの運動着の全身で跳ね返さねばならなかった。小学校の運動会は村をあげてのお祭りでもあったので、どこの家でも赤飯やお煮しめや寒天寄せやらのご馳走を詰めこんだ重箱を用意する。
そして花茣蓙や筵で校庭の場所取りをして、わが家の息子やむすめを応援しようと父母や祖父母から親せきまでが陣取って村芝居見物のような様相を呈するのだった。だが、おかしなところで庄屋の威厳を振りかざす祖父はもとより、めったに門の外へ出ない祖母もそういう風習を知らなかったのか、なんの用意もしてもらえなかった。
わずかに春子ひとり祖母に気を兼ねながらおにぎりを握ってくれて「今日は特別な日だから、おかかを入れておいたよ」とふたりに持たせてくれた。どの子もこの子も楽しみで仕方がないといった顔つきで登校するなかに混じった文子と和枝は、いつもより堅く手を握り合っている。戦地へ赴く兵隊もかくやというほどの気持ちだった。
*
遊戯も出し物競争もほかの子に負けまいと懸命にやり終えると、文子はつい校庭を見まわしていた。もしや岡野の父が来ていはしまいか、いまの自分の演技を見ていて「よく出来たなあ」と褒めてくれるのではないか……。言い知れぬ虚しさを噛みしめつつ文子は自分を嘲笑う、来るわけないよ、母や弟妹たちにかまいきりなんだから。
だけど……文子は考えずにいられなかった。母さんがちがってもわたしもあの家の子どもであることに変わりないはず。祖父母がいつも言っているように、ふつうならもっとも大切にされるはずの総領むすめですらある。なのに、日ごろの疎遠はともかくも、年に一度の運動会にも来てくれないのは、いったい全体どういうことだろう。
来るはずがない父親を探しつづける自分にいやけがさした文子は頭を空っぽにして徒競走に臨んだ。生来の負けずぎらいも手伝って、練習でもトップか、わるくて二等だったが、本番の今日はなんとしても一等を取りたかった。いつだったか岡野の家でさんざんに馬鹿にされた叔父たちに足の速さで一矢報いてやりたい気持ちもあった。
文子は走りに走った。スピードが鈍りがちなカーブのところでも、うまく遠心力を使いこなせたので、風をきって俊足のままゴールに駆けこんだ。とそのとき「文子、こっち、こっちだぞ~!!」関先生の声がしたかと思うと「一等」と書かれた白い旗が渡された。「よくやった、えらいぞ」と言ってもらった文子はその日初めて泣いた。
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小遣いさんの振る鐘の合図で昼休みになった。親のいない子どもや、いても貧乏で運動会どころではない子どもは校庭で繰り広げられる一家団欒の図からそっと離れ、ひっそりと物かげに出向く。文子と和枝は小さな丘に隠れて、春子が持たせてくれたおにぎりをゆっくり食べた。水道の水で喉を潤して、午後の部の始まりを待った。
(おばあちゃんはおじいちゃんによく「かげのぞきすらしない、薄情な平太さん」と言っては鬱憤をぶつけているけど、本当におばあちゃんの言うとおりだな。子どものわたしに親の気持ちはわからないけど、離れていればいるだけどうしているか心配にならないのだろうか。わたしがひねくれ者と言われるのも父さんのせいだよ……)
運動会のフィナーレは勇ましい『婦人従軍歌』で締めくくられた。白衣風の衣装を着た高等科の女生徒たちが現われると、男生徒たちが担架を運んで来て、待機していた一年生の頭や手足に手早く包帯を巻き、担架に乗せて運び出す。瞬間「♪
校庭中の大人も子どもも感傷的なメロディと歌詞に酔いしれていて、健気な看護師が傷ついた兵隊を助ける場面を何度も繰り返し見ていっこうに飽きないふうだったが文子はとうていそんな気持ちになれない。黙ってしゃがみこんで、となりの和枝と「疲れた」「……わたしも」短いが心の通い合う会話を交わして唯一の慰めとした。
*
昼休みが過ぎても父親が来ないことが決定的になって、気の抜けたサイダーのような時間をやり過ごした文子は、ひどくつまらない気持ちで帰宅した。待っていた祖母に一等を報告すると「そうか、よかったな。絹のむすめだから当たり前だがな」との返事が来た。「絹は成績も抜群によかった」というのがこの祖母のひとつ話だった。
そういえば大合唱となった『婦人従軍歌』に「あな勇ましや文明の 母という名をおいもちて いとねんごろに看護する 心の色は赤十字」という歌詞がつづいたが、あれとて心ないことだといまさらのように文子は思っていた。世の人びとはごく気軽に父とか母とかいう言葉を使うが、愛に飢えている子のことをどう思っているのか。
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