第14話 立場が逆転する桑の実摘み&おほうとう 🫐



 迎える方、迎えられる方、子ども心にも順位を感じ取って、それぞれの立ち位置にいる文子と和枝だったが、ふたりのポジションが、たまに入れ替わることがあった。その象徴が祖父母に隠れての桑の実摘みだった。甘く熟した濃い赤紫色の誘惑に勝てない文子は、そのときばかりは思うさまに振る舞う和枝に唯々諾々として従った。


 無責任に丸投げされているにも関わらず、文子は岡野からの預かりものという意識が骨の髄まで沁みついている祖父母は、成長期の子どもがすることのいちいちに目くじらを立てて「川で水泳?! そんな危ないこと、とんでもないぞよ」「ぶらんこ?! あんな危険なもので怪我でもしたらどうするつもりだや。いいな、やめておけよ」


(つまんないなあ、いつだってわたしだけが面白い遊びの仲間に入れないんだから。しまいにはみんな呆れて、だれも誘ってくれなくなった。「文子ちゃんはお人形と遊んでればいいよね」なんて、気をまわしたつもりでか慰めてもらうと、なおいっそう惨めな気持ちになるのに、そんなこと、大人も子どもも、だれもわかってくれない)


 祖父母の心配がもっともだと思う一方、文子は、そんなふうだから年寄りっ子は三文安いと言われるのにと、かつて岡野の叔父たちに馬鹿にされた悔しさを思い出してぎりっと爪を噛む。同居するようになって間もなくそんな文子の気持ちを知った和枝は、なにかにつけて祖父母のいないところでの楽しみを教えてくれようとした。



      *



 秘密の宴はだいたい祖父母の昼寝時間を狙って決行される。丈高い葉が生い茂っている桑畑の奥の方まで小腰をかがめて進んだふたりはいつもどおりの定位置につく。ことさら慎重に熟した実を選ぶのは和枝で、そばにしゃがんだ文子は、子燕のように口を開けて待っている。早く早くと気が焦るのは文子で、和枝は少しも焦らない。


 これと選んだ実をもいで、文子の口の奥の方に入れてやると「さあ、文子ちゃん、噛まずに飲みこんで。舌が染まると、おじいちゃんおばあちゃんに見つかるからね」何度も同じことを言いながら文子の様子を観察している。濃密な甘酸っぱさを味わいながら文子は、噛めたらどんなにいいだろう、憧れめいた思いを募らせるのだった。


(いけないと言われていることを隠れてこっそりするのって、どうしてこんなに胸が高鳴るんだろう。色も形も味も悪魔のおやつみたいな桑の実だって、いくらでも食べていいと言われれば、それほど美味しくないのかも知れない……ということは、和枝ちゃんはわたしほど美味しいと思わないのかな。こちらに合わせてくれている?)


 祖父母の屋敷の庭には季節の果物、スグリやイチゴ、梅、杏、柿、栗、胡桃などがふんだんに生り、ふたりの少女に飽食の思いを抱かせるほどだったが、いくら食べても咎められないそれらの実と禁断の桑の実では、吸引力において雲泥の差があった。真夏の昼間の秘密の儀式は、ふたりの力関係のバランスに危うい作用をなしていた。

 


      *



 自分よりひとまわりも若いのに「ばば」と呼んで憚らない祖母に絶対に頭が上がらない春子は春子で、日ごろの鬱屈を晴らす術をひそかに磨いているようだった。腕によりをかけたほうとう作りがその筆頭で、祖母の指示も待たず「おばあさん、今夜はおほうとうにしましょう」と言うはしから、のし板や棒を取り出し小麦粉を伸ばす。


 緊張した空気が走ったのは最初のうちだけで、じきにみんなが慣れて、そういうものだとする雰囲気が出来上がって来た。堪えかねた祖母はかげで「このごろ、ばばが威張って来ていやだよ。うちの道具はなんでも自分のもののように使い出してさあ」と愚痴を言ったが、そのばばの働きなしには一日として暮らせない実情があった。


(まあ、仕方ないのかも知れないね。大家のおばあちゃんがどんなに威張ってみても店子のばばの方が生活していくための力を何倍も蓄えているのだから。おほうとうにしたって、腕力のないおばあちゃんが打つよりも、丸太のような腕でこねた粉の方が食感も味も数段上なんだもの。こんな分かりやすい絵は、ほかにないくらいだよ)


 それに……文子は和枝から聞かされていたのだ、プライドの高い祖母が質屋通いの代行を春子に頼んでいることを、それも何度もであることを。周囲に巡らせた土塀の修繕費用がないので、孔から家が丸見えなこと、古い畳を新聞で補強していること、雨天がつづくと家中に桶やバケツを置いてまわること……貧乏は極に達していた。




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