第8話 叔父たちが囃す「年寄りっ子は三文安い」 🪹



 八重母さんの離縁が既成事実として話題にならなくなったころ、祖母は思い立ったように文子を岡野へ急かせたがった。草ぼうぼうに放っておかれた絹のお墓が無縁墓めいているという夢を見たからとの理由づけだったが、ただひとり大事にしてくれた八重がいなくなって文子がますます遠ざけられることを警戒しての配慮だったろう。


 八重母さんがいない岡野は他人の家も同然、いや、義理の関係の叔父や叔母たちに気をつかわねばならない分、他人の家よりもっと行きたくない場所だったが、好きな酒がふんだんに飲めるとあって、祖父はいそいそ文子をうながした。貧しい身なりが一家から笑い者にされていることに気づいていない祖父が文子にはたまらない。



      *



 舌なめずりせんばかりの祖父に連れられて、いやいやながら本宅の門をくぐると、広い庭の植栽の間に池があって、よく肥えた緋鯉や真鯉が何匹も悠然と泳いでいる。祖父ひとり屋敷の内へ通されると、中学やその上の学校へ通う三人の叔父たちが寄って来てもてなしてくれた。といっても彼らの目的は幼い姪をからかうことだった。


「文子、おまえ、あの貧乏じいさんと一緒に来たのかい。よく恥ずかしくないな」

「おまえ、知ってんのか、年寄りっ子は三文安いっていうことわざ。そのこころは、甘やかされて育つから一人前の人間にはなれないっていうことなんだよ、あははは」

「やあい、じいさんばあさん育ちの泣きみそ文子。ふたりだから六文安いんだぞ」


 寄ってたかって言葉の刃で傷つけて来る叔父たちになんとか好かれたくて、曖昧な笑みを浮かべた文子がおぶわれたり抱き上げられたりされるがままになっているのを見て取った叔父たちは、さらに嵩に懸かって残酷なことを言って来る。まるで退屈を持て余しているところに飛びこんで来た珍しいおもちゃのような扱われ方だった。


「なあ、文子。おまえんち貧乏なんだろう。毎日なにを食べて暮らしているんだ?」

「貧乏ってなあに?……ごはんも、おみおつけも、お漬物も、毎日食べているけど」

「お魚はないのか。鯉のあらいを知っているか。ほっぺたが落ちるようなお刺身だ」

「それはないけど……イワシやサンマやタラの干物だったら、食べたことあるよ」


 そう答えながら幼い胸は理不尽への怒りでいっぱいになった。目の前の池で悠々と泳いでいる鯉はどれだけ高価なものか知らないが、自分の養育費というものを少しでも送ってくれていたら、おばあちゃんがこっそり質屋に通わなくても済むのに。この叔父たちは上の学校へ通っていてもなにもわかっていない、それこそ三文安いのだ。



      *



 赤い顔をむっつりさせて黙りこくっている文子に上のふたりの叔父が言い募る。

「やあ、怒った、文子が怒ったぞ」「こいつ、案外なひねくれもんだな、あははは」飛び石を踏んで去って行く兄たちを追う前に末の叔父がひょいと文子の頭を撫でた「文子、しっかりしろよ。叔父さんが大きくなったらこの家に引き取ってやるぞ」


 なぜ中田に預けっぱなしにしておくのかを「文子は女だからな、女は家の役に立たないからな」さもわかったようなことを言う叔父たちにしても、二年余りも絹の世話になっていて、その子の文子に冷淡でいられる道理がない、お天道さまが許さない。祖母の憤慨を思い出しながら、現実の文子は、自分の家にいながら針の筵だった。


 この冷たい家で唯一の直系は父の平太だったが、その父親は、自分と同じ薄幸な星のもとに生まれたむすめを可愛いと思うには人格が未熟すぎるようだった。平太の眼前にはいつも義父の五郎が立ちはだかって、しっかりしろと発破をかけて来るし、

父親が異なる弟妹たちの視線も脅威で、文子の存在はできれば隠しておきたかった。



      *



 なにかにつけ総領だ、跡取りだと言うが、だったら弟たちはみんな中学はおろか大学まで進ませるのに、なぜ自分ひとり高等小学校止まりなのだ。明らかに不公平じゃないか。口ではうまいことを言っても誤魔化されないからな。みんなで異分子のおれを馬鹿にしやがって。おれには味方がいない。せめて文子が男子だったら……。


 陰気な父親がそんなことを考えていると、就学前の少女にわかるはずもなかった。ましてや祖父の五郎まで「文子が男子だったら、中田に預けっぱなしになどしておくものか。一刻も早く引き取って頼りない平太の後継に育てあげるところだ」と自分の身内に話していたことなど知る由もない。叔父たちのからかいの元もそこにあった。


 その父親は、文子が叔父たちにいたぶられているあいだも、その後も、ちらりともすがたを見せようとせず、文子のさびしさと疑念はいよいよ高まるばかりだった。冷たい他人だけの家のなかで、わたしはだれに援けを求めればいいのだ。その晩、酩酊した徳二と客用布団に入った文子は「明朝はうんと早く中田へ帰ろう」とせがんだ。



      *



 深く傷つけられた岡野行きだったので、のち父親が中田を訪ねて来たとき、文子はかたくなに面会を拒んだ。祖父母は困りきってなだめすかしてくれたが、さいごには柱にしがみついて泣き叫んだので父は諦めて立ち去った。すると今度は「なぜ父さんはわたしに会わずに帰ったの?!」と号泣するというふうで幼い心身は荒れに荒れた。


 大人になってからそのときのことを振り返ると、自分の家でありながら他人の家のような岡野の家では存分にわが子を抱くこともできなかった父が、意を決して訪ねて来た中田で親子水入らずの時間を持ちたかったのだろうと推察された。だが、当時の文子はだれにも顧みられない悲しさや悔しさ、熱い反抗心に全身を染めていたのだ。




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