第3話 マジシャンとシルクハット
お題:すごく長いシルクハットを被った手品師
豪奢な調度品で飾られた部屋では、正装の老若男女がグラスを片手に談笑していた。
落ち着いた色味の男性陣の隣を飾るのは華やかな色を身に纏う女性たち。にこやかに握手して名乗り合う身なりの良い男性達。顔を寄せ合い密やかに語り合うカップル。目元の涼やかなスラリとした男性に頬を染める若い女性たち。和やかな空気が会場を満たしていた。
突如、照明が落ち暗闇が広がる。
突然の闇に驚きさざめく空気を甘やかなテノールの声が震わせた。
「Ladies and Gentlemen! 今宵、皆様を不思議と驚きの世界にご招待いたしましょう!」
暗闇の中、ステージ中央でスポットライトに照らされる人影。
スモークの中、細長いシルエットが浮かび上がる。
暗がりから現れたのは漆黒の燕尾服。純白のベスト、タイ、ポケットチーフがコントラストを際立たせる。目にも鮮やかな真白の手袋が描く柔らかな軌道が人々の視線を奪った。
美しく揃った指先が添えられるのは長く伸びるシルクハット。そびえ立つという表現がふさわしいほどの堂々たるその様に、その頂きを求めるように人々の顔が揃って上を向いた。
「さぁさぁまずお見せするのはステッキを使ったマジックです!」
軽快に始まったトークに、まるで訓練したようにはっと一斉に顔を下ろす様はどこか美しさすらあった。
自由自在に宙を踊るステッキ。消えては現れるカード。絹のハンカチから溢れる数多のお菓子。そのどれもが人々の感嘆のため息を誘い、驚嘆の声を上げさせ、目の肥えた観客の口からも思わず賞賛がこぼれ落ちる……はずであった。そう。普段ならば。
マジシャンが繰り出す様々なマジック。冴え渡る手技も、軽妙なトークも、観客を不思議の世界を誘うに十分すぎるほど。しかし、なによりも人々の意識を奪うのは天井に届かんばかりのシルクハットであった。
動くのだ。話すのだ。マジシャンとともに、その頭上でシルクハットが生きているかのように踊り、高らかに歌う。ともすれば、シルクハットこそがマジシャンを導いているかのように。
「それでは、最後のマジックです! 皆様、どうぞご照覧ください!」
そのセリフは、果たしてどちらが発したのだろうか。ベルベットのように柔らかなテノールに重なるシルクのようにしっとりとしたバス。
「ワン。ツー。スリー!」
シルクハットが震え、マジシャンの姿がその中へと吸い込まれる。
瞬間。
空間が真っ白に染まった。顔の横を通りすぎる風。観客は咄嗟に目を瞑る。耳に届くのは幾重にも重なる羽ばたきの音。
くるっくー。
会場を埋め尽くす鳩が人々を混乱の渦に叩き込んだ。
怒号と悲鳴が空間を満たし、緊張が最高潮に達したその時。鳩が一斉に羽ばたくと空気に溶けるように消えた。
人々が呆然と周囲を見渡す。
スポットライトがステージ中央を照らしていた。
そこには、上から下までペシャンコに潰れたシルクハットだけが残されていた。
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