第6話「人間が暮らす場所」


 転移魔法でやってきたのは魔族が住む場所の端の端。


 灰色の沼地に生き物の気配はなく生ぬるい空気が漂っている。


 ヒイラギが教えてくれた人が暮らす場所への入り口。


 最後にヒイラギに挨拶位してくればよかったのかもしれないが、また何かの機会があれば会うこともできるだろう。




 そっと狭間に身体を滑り込ませれば、あたりの空気が急に薄くなったような気分がした。


 これが魔素が薄いということなのだろうか。お菓子ばかり食べて食事の習慣がなくて久しいので気を付けなければいけない。




 霧に包まれたように薄暗い道をしばらく歩くと、急に明るくて涼しい場所に出た。


 あたりは瑞々しい木々に囲まれ鳥のさえずりや生き物の気配がする。




「ああ、森だ」




 その感触は懐かしさすら感じる。自分が転生する前にキャンプや遠足に出かけた先はこんな雰囲気だった。


 ググッと大きく伸びをして息を吸う。確かに魔素が薄く、身体が心なしか怠い。


 これは慣れるしかないなと考えながらあたりを見回す。


 生き物の気配はあるが、人間の気配はない。




 生きていくためには人間ともやり取りをしなければならないのであまりに人気がないところで暮らすわけにはいかない。


 とりあえず人里を探そうと耳を澄ませれば数キロ先に動物とは違う生き物の声が聞こえた。


 とりあえずはそちらを目指して歩く。




 が、数歩歩いたところで息切れしてしまう。


 魔族は人間の住む場所では弱体化するとは聞いていたがこれほどまでとは。


 それになにより、この少女のような姿では森の中を歩くのに不便すぎる。




「うーん・・・どうしようかな・・・」




 しばらく考えて、そうだあれがあったとポケットを探る。


 そこには以前、ティムズからもらった魔道具の一つ。


 仕事で調査などに出かけるときなどに使う姿を変える事ができる指輪だ。


 指輪をはめているうちは見た目を変化させることができる。




「よいしょっと」




 左手の中指に指輪をはめる。指輪の石がきらりと光ると全身を暖かな光が包み込んでいく。


 ぐんと上がった視界に自分が一回り成長したのが分かった。


 鏡を持ってきていないので確認ができないが、以前が13,4歳前後ならば今は19か20位。本音を言えば魔女らしく老婆にでもなりたかったのだが、元の姿とあまりにかけ離れた姿にはなりにくいのだ。


 魔族も成長すると言うがあまりに緩すぎて、産まれた時よりかは成長したが、まだまだ子供の見た目なのが地味に不便だ。


 魔族の暮らす場所ではそこまで周りも気にしなかったが、人とやり取りするならばある程度の年齢は必須だろう。この姿で貫き通すしかない。




 成長したおかげで森の中をすいすい進むことができるようになった。


 弱体化したとはいえ魔族なので人間よりは丈夫にできている。


 最初にいた場所より少し開けた場所に出る事が出来た。


 恐らく人里が近いのだろう。


 穏やかな流れの小川があって、人の手が入った形跡がある細い道もある。


 川の傍にそれなりに開けた土地があり、朽ちかけているが小屋がある。


 長い間手が入った様子がないので空き家なのだろう。




 川を覗き込むと現在の自分の姿を確認することができた。


 予想通り20歳前後の成長具合だ。見た目も魔族感が削げて、髪は灰色で瞳は薄いべっこう色になっていた。


 この世界の人間を見たことがないので比べようがないが、そこまで浮世離れした容姿ではないだろう。


 ついこの間まで美形ばかりにかこまれていたので自信はないけれど。




 魔法を使って服を地味なローブ姿に変える。


 魔力が減ったことでぐうぅとお腹が鳴った。カバンにしまったままだったクッキーを口に放り込んで歩き出す。


 まだ日は高い。明るいうちになるべく人がいるところまで行っておきたい。




 細い道をたどっていけば予想通り小さな集落が見えてきた。その先にはさらに大きめの家や建物が見えてくる。


 人だ、人がいる。


 魔族の街を見た時とは違う感動が押し寄せてきた。


 細い道は広い道につながっていた。きちんと整備されたその道は、先ほど見つけた集落を抜け、その先のさらに大きな集落につながっているようだった。


 おそらくはそれなりに大きな町へとつながる街道なのだろう。


 人通りは多くないが、商人のような身なりをした人や農業を営んでいるような身なりの人、荷車を引いた馬を世話する人もいる。


 誰しもが自分の用事で忙しそうで、細い道からのっそりと表れたミヤの事など気にしてはいないようだ。




 まずは小さい集落へと顔を出す。


 小さいなりにいくつかの出店が出てそれなりに賑わっている様子だ。




「お嬢さん、旅のお方かい?この辺りじゃ見ない髪色だね」




 話しかけてきたのは果物を売っている店の店主だ。




「ええ、少し遠いところから来たの」


「そうかい。ここは小さい村だがいいところだよ。ゆっくりしていってくれ」


「ありがとう」




 向けられる笑顔に悪意や敵意は感じられない。村全体の雰囲気も悪くない。


 元が魔族なので負のエネルギーには敏感なのだ。


 ここにはそういった類のエネルギーはまったくない様子なので、なんだか拍子抜けだ。




 魔王城で仕事をしている時、人間の暮らす場所から流れ込む過剰な負のエネルギーのせいで攻撃的になる魔族がいて問題だという話を聞いた記憶があるが、ここはそういう場所ではないのだろう。




 しばらく歩いていると小さな雑貨屋を見つけた。


 流行っていなさそうなその雰囲気がヒイラギの店に似ていて気になったのだ。


 そっとドアを開ければチリリンとかわいらしい呼び鈴が鳴った。




「・・・・いらっしゃいませ!!」




 店の奥から転がるように少女が飛び出してきた。まだ14,5歳といったところだろう。そばかすが可愛い小柄な少女。




「こんにちは」


「旅のお方ですか?ようこそ、ロダンの店へ!!」


「ここは何を売っているいるの?」


「ええと、ちょっとした道具を扱っています。旅用品などどうですか?!」




 見せてくれた品は悪いものではないが地味な雰囲気がぬぐいきれない。


 店の中も何となく薄暗く品物はうっすら埃をかぶっている。


 ごちゃごちゃと、とりあえず置いてあるという感じが否めず整理整頓がされていないので品物が探しにくそうだ。




「・・・旅をしてここにたどり着いたばかりなので旅用品はいらないわ」


「そうですか」




 しゅん、と少女が目に見えて落ち込む。


 慌てて何か買ってあげないと、と店内を見回せば石けんらしきものが置いてあった。


 あちらでは魔法で体を清めていたので石けんの類は不要だったのだが、こちらでは無駄に魔力を使うわけにはいかないので必要だろう。




「じゃ、じゃあこれは?石けんよね?」


「そうです!石けんです!」




 差し出してくれたのは薄黄色いゴテゴテとした塊のような風合いをした石けんだった。


 おそらく動物の脂肪から作った油石けんだろう。独特の匂いが鼻をついた。




「じゃあこれを一つ。あと、塩を少しと布を何枚かもらえる?」


「はい!」




 少女は満面の笑みでいそいそと品物をそろえてくれた。


 そしてふと思い出す。


 今、私って無一文じゃない?




 魔王城で仕事をした分は魔族で流通している通貨だ。人間相手に仕えるとは思えない。


 ここでお金がないと言って少女を落胆させてしまうのはあまりに不憫だ。


 どうしようかと考えていると、ふとヒイラギにもらったお金の事を思い出した。




「全部で5ギルです!」


「あのね、私、かなり遠いところか旅をしてきたからこの辺りの通貨を持ってないの」


「大丈夫ですよ。ここ街道沿いなので両替商もいます。私が知っている通貨なら使えます」


「そうなのね」




 よかった。どうかこのお金が使えますようにと鈍色の四角い硬貨を渡した。




「っって・・・・!!!これは・・・!!!」




 少女が目を丸くして固まる。


 もしかして使えないとか?使えるけど無茶苦茶価値が低いとか?


 ああ、どうしよう。


 おろおろしていると少女の身体がわなわなと震えだす。




「銀貨じゃないですか!こんな大きなお金、ここじゃ使えませんよ!!!??」


「へ?銀貨?」


「これ、大帝国の通貨でしかも銀貨でしょう?この辺りの通貨で言えば一千万ギルくらいの価値です。こんな大きなお金でお買い物されたら、うち、おつりを出すだけで破産しちゃいます!!」


「りょ、両替に持っていけば」


「この村の両替商でこんな大きなお金を両替したら店じまいになっちゃいますよ」


「そ、そっか」


「とにかく、これじゃうちでは買い物できません」


「ごめんね」




 お互いしょんぼりとした空気になってしまった。




「でも、お姉さん、こんな大金をポンと出すなんて。何者なのです?」


「何者って聞かれると困るのだけどなぁ。とても遠いところから来たから、この辺りの事は何も知らないのよ」


「知らなすぎですよ」




 そうして少女はいろいろと教えてくれた。


 少女の名はメリタといって店の名前のロダンはお父さんらしい。


 今は買い付けに出ていて不在。


 店は予想通り流行ってはいないらしく、看板娘のメリタはなんとか盛り返そうと頑張っているところなのだとか。




 ここは東の大陸のど真ん中にあるワグナ村。少し先に見えるのが通商の街、ギエッタ。ワグナ村はギエッタに向かう途中の商人や旅人が通るため、そこそこにぎわっているらしい。


 ギエッタは大きな町だが通行証や身分証がないと入ることができず、入るためには税金を納めなければならない。


 それ故、その手前であるワグナ村で商売をしたり寝泊りをする者もチラホラいるからなのだという。


 そういう場所は下手をすれば治安が悪くなりそうなものだが、ギエッタの警備兵士が定期的に巡回に来てくれるので村が荒れる事もなく穏やかな暮らしができている。




 魔法を使える人間は少しはいて、国のお抱えだったり、高額な報酬で仕事をしていたりと、かなり珍しい存在らしい。ギエッタの街にも1,2人いるかどうか。


 生活に使う魔法は「魔石」と呼ばれる魔力がこもった石を使えば普通の人間でも使えるが、高価なのであまり一般家庭では見かけない。


 なるほど。人前で魔法を使うのは避けた方がよさそうだ。




 通貨の単位はギル。


 この辺では一日50ギル程度あればそこそこの暮らしができて、ギエッタで暮らすなら1日100ギル必要。


 私が出したのはここから更に東にある大帝国の通貨で単位はリル。


 100ギル=1リル位で、銀貨は10万リル。なるほど大金だ。




「メリタ、ありがとうねいろいろ教えてくれて」


「いえいえ。むしろ、こんなことも知らないでよく旅なんてできましたね??」


「ま、まあいろいろあるのよ,色々」




 まさか魔族なので人間の事何も知りませんとは言えない。




「でも、これじゃあお買い物できないわね」


「すみません。ギエッタまでいけば両替してくれるお店もあると思うのですけど」




 そのギエッタに入るための手段もお金もない私にはなかなか難易度の高い話だ。


 うーんと二人で悩んでいると。




 ぐううううううう


「ん?」


「うわぁぁぁ??」




 地響きのような音がしたかと思ったらメリタの顔が真っ赤になった。




「す、すみません・・・朝から何も食べてなくて」




 お父さんが不在で蓄えがあまりないのでご飯を節約しているのだという。なんということだろう。


 私は急いでカバンからクッキーの袋を取り出す。




「これ食べて!」


「・・・なんですかこれ?」


「私か作ったクッキーよ」


「クッキー?」


「とにかく食べてみて」




 不審そうなメリタの口に半ば押し込むようにクッキーを入れる。


 目を白黒させてモグモグと口を動かしていたメリタだったが、すぐに目をキラキラと輝かせてきた。




「お、おいしいぃぃぃ!!」




 ほっぺたを押さえ満面の笑みでクッキーをほおばるメリタ。


 可愛いかよ。




「これ、なんですか??こんなおいしいもの食べたことありません!」


「そうなの?よかった、まだあるからいっぱい食べて」


「いいのですか?」


「いろいろ教えてくれたお礼よ」


「ありがとうございます」




 玩具のように何度も頭を下げてからメリタはクッキーをそれはそれは嬉しそうに食べていく。


 残りはあと数枚となったところでふと手が止まった。




「あの、お姉さん」


「なあに?」


「これ、お父さんに少しだけ分けてもらってもいいですか?」


「・・・!!」




 なんと。自分もお腹が空いているだろうに、健気にもお父さんにクッキーを取っておくというのだ。


 健気かよ。




「いいわよ」


「ありがとうございます!お礼と言ってはなんなのですが、この石鹸と布、もらってください」


「あら?いいの?」


「いいのです。売り上げはもともと私のご飯代のつもりでしたから。こんな美味しいものを貰ったのですから、少ないぐらいです。他にも何かあれば持ってってください。どうせ長い間並べっぱなしの物ばかりですから」




 にこにことほほ笑むメリタの頭を撫で繰り回したい欲求にかられる。しかし後半の発言は聞き捨てならない。




「そんなにはやってないのこのお店?」


「・・・実は、表通りに凄い品ぞろえと美女の店員がいる雑貨屋があって、そちらにお客が流れてしまうのです」




 品質は負けてはいないらしいのだが、どうしても店構えが地味なのと立地が悪いから負けてしまっているのだろう。


 店の雰囲気を変えるのは簡単だが、話を聞く限り目玉商品の一つでもないと勝ち目はなさそうだ。




「なるほどねぇ」




 ここで出会ったのも何かの縁。私の魔女生活第一歩として、このお店を活用するのも悪くないとひらめく。




「じゃあ、このお店で一番売れているのは何?」


「そうですね、傷薬かと思います。薬屋に行けばもっといいものがあるのですが、普通にちょっとした怪我や持ち歩くのには安くて適度に効くのが重宝するので」




 出してくれたのは軟膏だ。わずかに草の匂いがするので消毒効果のある薬草を練りこんでいるのだろう。




「ふむふむ」


「あとはこの石鹸ですね。身体や髪、衣類を洗うのにも便利ですよ」


「石けんはこの一種類?」


「うちではこれだけですが、街の方に行くともっと白い石けんがあるそうです」




 高くて仕入できませんけど、と苦笑いのメリタ。




「じゃあ、この傷薬もひとつ頂戴」


「ありがとうございます」




 ちらりと値札を確認したが、合計で10ギルといったところだろう。クッキーの値段と釣り合うのかいまいちわからないが、きっと後で儲けさせてあげると誓って、今日はメリタの厚意に甘えることにした。




 店を出るとうっすらと茜色の空模様。日暮れが近いのだろう。


 財布事情を考えると宿屋に泊るのは無理そうだし、村の中で野宿というのも目立ちそうだ。


 私は急いできた道を引き返すと、最初に見つけた小さな小川のほとりに戻ってきた。


 小屋の前に立ち周りを確認するがやはり人気はない。




「とりあえず、ここを拠点にしましょう」




 もし所有者が現れて出てけと言われれば、また新しい場所を探せばいい。


 近くの村の雰囲気も良かった。暮らしていく術にも目途がついた。


 あとはやるか、やらないかだ。




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