第5話「早速ですが、退職させていただきます」
魔王の秘書となってずいぶんの時間が過ぎた。魔王の秘書といってもこれまでの仕事とは大きく変わらない。
午前中はティムズの書類整理を手伝って午後はアルムスの手伝いをしながらリリアとロロナとお菓子を作る。昼にはみんなでお茶の時間。
変わったことと言えばお茶の時間に魔王が当然のような顔をして参加することが増えた事と、その魔王が持ち込む無理難題という面倒臭い仕事が増えたくらいだ。
やれ、金色の毛皮が欲しいだの、珍しい花を見つけたから魔王城の庭で栽培したいだの、ほんとうにくだらない。たまに大事な案件も絡んでくるが、そのあたりを調整するのは私ではなく宰相のティムズだ。私はあくまで秘書。裏方の裏方だ。
自分で言うのもなんだが、私と言う秘書が現れて魔王城の仕事は円滑に回るようになったと思う。お菓子も好評だし、魔王の癇癪も減ったそうだし。
「おい秘書。このお菓子は美味しいな」
「それは何よりです」
魔王は黙っていれば怖いほどの美形だが、お菓子に目を輝かせるとことは子供みたいだ。無理難題も子供の我儘と思えば可愛いし。
このまま適度に忙しく楽しい秘書ライフを送れると信じていた。あの日までは。
書庫にしまった古い書類が急に必要になったティムズに頼まれて、私は魔王の部屋の横にある書庫で必死に書類を探していた。こんなところに書庫があったとは。仕事が落ち着いたらここも整理しないとと考えながら手を動かしていると、魔王が帰ってきた気配がした。
本当ならば挨拶に顔を出すべきなのだろうが、探し物が途中だし汚れている。あとでもいいだろうと作業をしていると話し声が聞こえてきた。
「じゃあ、――はそのように」
「はは」
部下に何かの用事を言いつけているらしい。
駄々っ子のようではあるが、魔王としての仕事はちゃんとしているらしい。
まわりからも慕われているしいい王様なのだろう。
「そうだ、秘書のやつはどこにいった」
「さぁ?宰相様のところでは?」
「そうか」
「何かご用事で?」
「いや、今日ミラのやつに秘書の名前を聞かれてな。わからんから聞こうと思ってな」
体中の血の気が引いたのが分かった。
名前を憶えてない?こんなに長く仕えているのに??
ティムズやアルムスは魔王の前で私を呼んでいなかっただろうか?
色々な仕事を手伝い、うぬぼれかもしれないが役に立っていた筈なのに。
ぷつんと頭の中で何かが切れる音がした。
私が望んで就いた仕事だ。やることがたくさんあるのは楽しい。
秘書と言う仕事には誇りを持って向き合ってきた。
ただ、私個人をないがしろにされるのは違う。
名前を憶えてもくれない上司に尽くしてなんになる。
せっかく魔族に産まれたのに、楽しくない事なんてしたくない。
くるくると回る思考が一回転して、私は腹を決めた。
いつの間にか人気がなくなった魔王の部屋を後にして、見つけた書類とともにティムズの元に戻る。
「早かったね。さすがミヤだ」
微笑むティムズには悪いが、坊主憎けりゃ袈裟まで憎い。私の名前を憶えない魔王を崇めて仕える人にも興味がない。
「悪いけど、これが最後の仕事にさせてもらうわ」
「・・・急になんだい?」
「早速ですが、退職させていただきます」
私の言葉にティムズが微笑を浮かべたまま硬直している。
「退職届っているのかしら?そもそも雇用契約書とかなかったものね。でも一応書いとくわね。ごねられるとめんどうだから」
ティムズの机にあった適当な白紙にペンで乱暴に殴り書く。
『魔王様へ 一身上の都合により退職させていただきます 秘書より』
簡潔で完璧な一筆を書き上げると、硬直したままのティムズの前に置く。
「それじゃあね」
「ちょ、ちょっと待て!!!」
慌てて止めにかかるティムズを振り切るように部屋を出る。
ちょうどコチラに歩いてきたアルムスに出くわしたので、ついでだから挨拶しておく。
「ようミヤ。どこいくんだよ」
「私、ここを辞めるの。それじゃあね」
ばいばいと手を振れば、その意味が理解できなかったらしいアルムスが反射のように手を振りかえしてくれた。
下手に引き止められる前にすたすたと城を出る。
最初に私が声をかけた門番があの時と同じように立っていた。
小さく会釈をすれば不思議そうに礼を返してくれる。
二度目の人生で随分長くすごさせてもらった場所だ。愛着はある。
しかし好きなことを好きなようにやっていい魔族として生まれたのだ。
愛想が尽きた相手に仕える趣味はないので自由にさせてもらおう。
追手が付く前にどこに逃げようかと考えながら街を歩く。
知識はたくさん得た。魔法の経験もある。
前世と同じ秘書はもう飽きたので、次は何にしようかと考えていると、ヒイラギの事を思い出す。
そうだ、魔女になろう。
人間の暮らすところに住んで、薬やお菓子を作って生活する魔女になろう。
考え出したらわくわくが止まらない。
私は移動魔法の呪文を唱えた。
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