0009_文章題に於ける計算式の順序

■シン

アマネさん、掛け算の計算式の順序って、大事なものですか?




■アマネ

どうした、壁から棒に。




■シン

壁から棒は出ません。

学校の小テストで、文章題の問題などで、計算も答も合っているのに、掛け算の順番が違うからバツ、みたいに採点される事があるみたいなんですが、その度に生徒もその親も納得が行かないと云う事で揉め事になるようなんです。




■アマネ

んー……具体的な解決は事例毎に異なるから一概に云えるものではないが。

一般的な、文章題に於ける掛け算の諸問題について触れてみようか。

例えば、3人に5個ずつりんごを配ると、りんごは全部で幾つになるか、と云う問題の場合。

君ならどう式を立てて、どう答を出す?




■シン

え?

普通に、3×5=15で、15個、ですかね。




■アマネ

うむ、その回答はちょっと拙いのだよ。




■シン

そうですか?




■アマネ

ここで問われているのが何かを考えると、それはりんごの個数だ。

だから、全体に亘っての主役、注目すべき対象は、りんごの個数な訳だ。

言語表現で云うなら、主語に来るのはりんごなのだよ。




■アマネ

さて、掛け算と云うのは、数学的意味合いはちょっと措いておいて素朴に考えるなら、或いは今回の出題で云うなら、A×Bと云うのは、AがB個あるぞ、と云う事だ。

つまり、主語はAなので、ここに入るべきなのはりんごなのだよ。




■アマネ

だからまず、りんごの個数である5が先に来て、それがどうなのかと云うと3人に配るぞと云う事だから、

5×3、と云う立式になる、と云う事だ。




■シン

はあ……3×5ではいけないんですか?




■アマネ

いけないと云う事もないが、何故わざわざ3を先に持ってきているのか、不自然なのだよ。




■シン

そうですか?




■アマネ

その辺の違和感は、数学の問題と云うよりも、実は国語の問題なのだ。

そもそも文章題に挑む際は、単位に気をつけた方が良い。

高校数学などになると、文章題も純粋に数学の範疇で為されたりするから単位が伴わない場合もあるが、小学校や中学校では、日常に即した算術である場合が多く、単位が伴う。

例えば先程の問題だが、単位を付けて計算式を書いてみたまえ。




■シン

えっと、5個×3人=15個、ですか?




■アマネ

実は、そこが間違いなのだよ。




■シン

え、間違ってますか?




■アマネ

まず、正解を示そう。

正解は、5個毎人×3人=15個、と云うものだ。




■シン

なんですか、そのマイニンと云うのは。




■アマネ

毎人と云うのは読んで字の如く、一人毎に何個、と云う単位だ。

毎の部分は/の記号で表し、パーと呼ばれる事もある。

例えば面積の問題はどうかな。

縦が2cm、横が3cmの長方形の面積は?




■シン

6平方センチメートル、ですよね。




■アマネ

さて、今君が口にした単位、一体何者かね。




■シン

え、何者?




■アマネ

問題中には、センチメートルと云う単位しか登場していない。

しかし君は答として、平方センチメートルなる新しい単位を持ち出した。

一体それは、何処から出てきたものかね。




■シン

えっと……学校でそう習ったからです。




■アマネ

ふむ……平方cmを記号で書くとどうなる?




■シン

cmの右上に小さく2を書きますね。




■アマネ

右上に小さく2と書いたものを、普通何と呼ぶ?

例えば、xの右上に小さく2があったら、何と呼ぶかね。




■シン

xの2乗、ですか?




■アマネ

そうだ。

平方と云うのは2乗の事なのだが、それでは平方cmとはつまりどういう事かな?




■シン

cmの2乗、ですか?




■アマネ

そうだ。

つまり、cm×cmと云う事だな。

さて、このcm×cmと云うのがどこから出てきたかと云うと、

それは、縦cm×横cmと云う計算を行った事に依っている訳だ。




■シン

ああ、そうか。

2cm×3cmで、2と3の掛け算の他に、cm同士の掛け算も行われるんですね。




■アマネ

そういう事だ。

とすると、りんごの問題の場合、先程の君の立式が訝しかったのも解るかな。

りんご5個、人が3人、それをただ掛け合わせると、答の単位はどうなる?




■シン

ええと……。




■アマネ

単位でも何でも、掛け算は基本的にはまあそのまま繋げて扱う。

だから5個×3人の答は、15個人、となるのだよ。




■シン

15コニン……変な単位ですね。




■アマネ

まあ余り聞き慣れないだろうが、変でもないさ。

多分一番よく聞き慣れたそういう単位は、人日だろうな。




■シン

あー、何ニンニチ、とかってたまに聞きますね。

会社員の人とかがよく云っているような。




■アマネ

あれは、この作業を達成するのにどのくらい時間が掛かるか、と云う話だ。

ある作業を行うのに、1人でやったら5日掛かるから5人日だ、と云うような感じだな。

そこから、じゃあ作業を1日で終わらせたいなら、5人を投入すれば良いはずだ、と云うように計算していく訳だ。

まあ、概算でしかないのだけれどね。




■シン

そうか、5人日を1人だと5日だけど、5人なら1日……計算としては合っている訳ですね。




■アマネ

うむ。

5人が1日で5人日、もしくは1人が5日で、5人日。

この時、5日人、などとは余り云わない。




■シン

それはどうしてですか?




■アマネ

1人が5日作業をする、と云う言葉は自然だが、5日が1人……となるような言葉は普通使われないからだ。




■シン

はあ……でも、5日の作業を1人がやる、と云うのは普通じゃないですか?




■アマネ

ここで先程の、主語の話が出てくる。

君の云った、5日作業を1人がやる、と云う言葉の主語はどれかな?




■シン

えっと……1人が、なのか。




■アマネ

そう。

つまり、言葉に現れた順番は無関係に、意味合いとしては主役はやはり人の方なのだよ。

だから、人が先に来て、付随的な情報が後ろに続くから、人日、なのだ。

同様にりんごも、りんごが主役なので、これが先に立つ。

さて、りんごの単位は何かな?




■シン

りんごが5個なんだから、個じゃないんですか?




■アマネ

実はそうではない。

そもそもりんごが5個と云うのは、何についての話だろうか。




■シン

何について……?




■アマネ

問題文を読んでみると、りんご5個を3人にそれぞれ配る訳だが、この時1人辺り何個のりんごがもらえる?




■シン

それぞれ5個なんだから、一人辺り5個ですよね。




■アマネ

つまり、この問題文でのりんごが5個と云うのは、ただ単にりんごが5個ある状態を表現しているのではなく、りんごが5個ある状態で何か1つの塊となっているのだ、と云う事を表しているのだよ。

それが何かと云うと、1人辺り5個、と云う塊なのだ。

と云う訳で単位は、個毎人、個/人、と云うものになるのだ。




■アマネ

そしてこの/と云うのは、割り算の記号だ。

つまり、5個/人と云うのは、5個を1人で割っている状態だ。




■シン

どうしてそんな割り算をするんですか?




■アマネ

問題にしてみようか。

りんごが5個ある、これを1人で分け合ったら、1人は何個のりんごをもらえるか?




■シン

1人で全部貰うんだから……5個、ですよね。




■アマネ

そうだ。

これを単位付きで立式すると、

5個 ÷ 1人 = 5個/人

と云う事だな。

これは、1人辺り5個、と云う意味なのだよ。




■シン

うーん。




■アマネ

1人辺り5個なものが、3人に対して適用される。

だから、

5個/人 × 3人 = 15個

なのだよ。

答の単位から、人が消えて個だけになっただろう?




■シン

ああホントだ。

/人と3人の人が掛け算されて、消えちゃうのか。




■アマネ

まあ、そんな感じだ。




■アマネ

と云う訳で、文章題を解く時は単位に気をつけた方が良いと云う事と、

一体その問題文の主役は誰なのか、と云う事に注意すれば、

自然で有意義な立式が為せる。

文章題と云うのは、そこを訓練する出題なのだよ。




■アマネ

それは云わば、問題文の意味をちゃんと汲み取れているかと云う読解力と、それを学んだ数学知識と結び付けられるかと云うところ、そしてちゃんと計算できるかと云う計算力と、色色なものを複合的に確認する出題なのだ。




■アマネ

りんご5個を3人にそれぞれ配る、全部で何個か、と云う問を数式に起こすなら、

5個/人 × 3人 = 15個

となるのが自然なのだよ。




■アマネ

3人 × 5個/人 = 15個

と云うような立式は、主役が人の方になっていて、少し不自然だ。




■アマネ

3人が、りんごを1人辺り5個もらいます、りんごは全部で何個ですか?

と云うのは、ちょっと回りくどいと云うか、前半と後半で主役が入れ替わっているのが不自然なのだ。


これは数学の問題ではなく、数式を事態に当てはめる際のその応用法の話なのだよ。




■アマネ

だからこうした問題に於いて、数学的には掛け算は順序は関係ない、と云う数学的事実を持ち出しても、意味がない。

数学の話など、ここではしていないからだ。


計算結果が計算順序に依らないような事を交換可能とか可換と云ったりするのだが、可換性が成立する事と、状況を適切に表現しているかと云うのは別の話だ。




■アマネ

こんな問題はどうだろう。


りんご2個入りパックを3つ買って、りんご1個につき4円ずつ払う客が5人居る日が6日あった。


さて、りんごは何個売れた?




■シン

え、えっと……。




■アマネ

これも、落ち着いて単位付きで数式に整理してみよう。


まず、りんご2個入りパックと云うのがあるらしい。

このパックは、1パック辺りりんごが2個なので、りんご2個/パックと云う事になる。




■アマネ

そんなパックを3つ買うとすると、それは、りんご2個/パック × 3パック、と云う事になるな。

りんご1個につき4円だそうだが、それは問題で問われているりんごの個数に関わらないので、この情報は無視できる。

そして、りんご2個/パック × 3パックを買う客が5人いるので、3の単位は実はパックではなく、パック/人だったと解るので、

りんご2個/パック × 3パック/人 × 5人だな。




■シン

複雑になってきましたね……。




■アマネ

そんな日が6日あったようだ。


と云う事は、1日辺りそういう客が居た訳だから、

りんご2個/パック × 3パック/人 × 5人/日 × 6日、

これが立式だ。




■アマネ

では計算してみよう。

りんご2個/パックが3パック/人で、りんごは6個/人。

単位は個/人になったな。

一人辺り、結局りんごを6個持っていると云う事で、意味としても通っている。

そして残りの式は、りんご6個/人 × 5人/日 × 6日、となる。




■アマネ

りんご6個/人が5人/日なので、りんご30個/日、単位は個/日で、一日辺り30個売れると云う事だ。

そして毎日りんごが30個売れる日が6日なので、

りんご30個/日 × 6日

と云う式になり、計算すると180個、

単位は個であり、これが、りんごは全部で何個かと云う問題への答そのものな訳だ。




■シン

ふむふむ。




■アマネ

或いは、売上は全部で幾らか、と云う問だった場合、立式はどうなるかな。

問われているのは金額なので、まず4円と云う値段部に着目しよう。




■アマネ

りんご1個辺り4円、つまり、4円/個だ。

それが1パック辺り2個入なので、2個/パック。

それが1人辺り3パックなので、3パック/人。

それが1日辺り5人だから、5人/日。

それが6日だから、6日。




■アマネ

式は、4円/個 × 2個/パック × 3パック/人 × 5人/日 × 6日で、

答は720円、となる訳だ。

何が何個で、どうで、こうで、依って答、と云う順序になる訳だな。




■アマネ

数値だけで表すなら、4×2×3×5×6=720となる。

しかし、順番に意味があるのが判るかな?




■シン

同じ問題文でも、何が問われているかで式の順序も変わるんですね。




■アマネ

2×3=6と云うのは、2が3つで6つ、と云っている。

3が2つで6つとは、云っていないのだよ。

そして、3つの2だから6、と云うのは、意味として合っていても順序が不自然なのだ。




■アマネ

計算結果が順序に拘らないとしても、演算される数と、演算する数と云うのは、そもそも別の対象なのだよ。

「彼は私の恋人だ」と云う言葉と、「私は彼の恋人だ」と云う言葉は、恋人だと云う彼らの関係性は確かにどちらでも同じだろうが、何について述べているかは別であろう?

「君は何者だ?」と訊かれて、「私は彼の恋人だ」と答えるなら判るが、「彼は私の恋人だ」と答えると、恋人と云う事実は同じでも、質問への答え方として意味不明なのだよ。




■シン

まあ、確かに……。




■アマネ

では、掛け算は可換だからと、先の問題への立式がこんなものだったらどうなる?


3×6×2×5=180


これも確かに、180と云う値は合っている。




■アマネ

だがその意味を考えると、

3パック/人 × 6日 × 2個/パック × 5人/日 = 180個

と云う数式になる。


これは、適当かね。




■シン

わ、判りにくいですね……。




■アマネ

計算すると、確かに合ってはいる。

だが、言葉に起こしてみるとこうなる。


何かのパックが1人辺り3パックあり、それが6日分あり、それが1パック辺りりんご2個あり、それが1日辺り5人なのである。

これって、言葉として成立しているかね?




■シン

いえ……。




■アマネ

3パックが6日分あるぞ、と云われると意味が通っているようにも思えそうだが、

ここでの6日と云うのは、こういう日が6日あるぞ、と云っているもので、

どんな日かと云うと、問題文に依れば、何かを買っていく客が5人いるような日、の事だ。

少くとも、3パックが6日分、などと云う話は、問題文ではしていない。

だから、こんな数式は、問題文に即していないので、不正解なのだよ。




■アマネ

たまたま出てくる数値が一致しているからって、状況事態が全然違う話を持ってこられても正当ではない。

君が空腹だとし、私も空腹だから、君と私は同一人物だ、と云っているようなもので、正解にはできないのだ。




■シン

うーん、そういう事ですか……。




■アマネ

文章題に挑む時に、面倒だからと単位を無視してしまうと、こんな風に立式自体ができなくなる場合があるし、立式ができてないぞと云う指摘さえも理解できなくなりかねない。

だから、どうしてこの答案が不正解なんだ、と疑問に思ってしまったりもしかねない。

だったら最初から丁寧に、単位も踏まえて文章読解をして立式すれば良い。

だから学校教育に問題があるとしたら、採点の仕方と云うより、文章題と云うのが何なのかを説明していないところだろうな。




■シン

成程。




■アマネ

例えば、距離を時間で割ると速さが出る、と云うような事も小学校で習っているであろう。




■シン

はい、やりましたね。




■アマネ

6mの距離を2秒の時間で移動するとしたら、その速さは?




■シン

6÷2で3ですね。




■アマネ

さて、単位は?




■シン

あ、単位……えっと。




■アマネ

立式から確認しようか。

単位を入れて立式してごらん。




■シン

はい、6m÷2秒=3……。




■アマネ

速さの単位は正に、距離を時間で割ったものなので、今回だったら、そのままm/秒なのだよ。




■シン

めーとるまいびょう……。




■アマネ

速さは距離と時間に依って定まる何かなのだな。

そんなように物理学などでは、単位は大変に重視される。

数値だけでなく、事態を数式で表すものなのだから、事態に即すには単位もついてなければ訝しいのでな。

例えば、エネルギーや熱量や、色色な量を表す単位に、ジュールと云うものがある。

これはこれで1単位なのだが、より細かい単位に分解するなら、kg・m2/s2となる。




■シン

き、キログラムメートルスクエアドパーセカンドスクエアド……。




■アマネ

まあこれは、諸諸計算した結果を、順番も入れ替えて整理した形ではあるのだが、今しているのは単位さえも計算されるのだと云う話なので、順番の話はちょっと一旦措いておいてほしい。

掛け算が交換可能だと云うのは事実なので、単位もこうして順番を入れ替えて整理して良いのだが、それは立式の段階でやるものではなく最終的な整理だ、と云う事だ。




■アマネ

さて、事態に即して計算できるかと云う出題である文章題に於いても、この態度に倣い、単位も含めて立式してみるのが良い。

そうすれば、計算順序で不正解、なんて事はなくなる。

大事なのは、何を問われているか、何を求められているか、そして何を訓練しているのか、と云うところだ。




■アマネ

学校教育の問題点の一つに、テストの得点で成績評価をする、と云うものがある。

テストで点を取るのが目的なのではなく、不正解となった問題に対するフォローが教育なのだ。

できないものをできるようにするのが教育であって、既にできているものに注目したって意味がない。

だから、点数に拘るのでなく、間違った箇所の改善に勤しむべきなのだよ。




■シン

ああ、確かに。




■アマネ

勿論、デタラメな採点のせいで、何が何だか判らなくなると云う問題もあるから、採点は厳密で正当でなくてはならない。

だが文章題の計算順序は、それだけで直ちに訝しな採点だ、と云う訳ではないのだよ。

これは訝しいのではないかと検討するのは結構な事だが、これは訝しいのだと決め付けるのは却って学習の為にならないのだ。




■アマネ

まあ、教育論はまた別の機会にしよう。

そんな訳で、学校教育には確かに多くの問題があり改善していくべきではある。

だが、文章題の計算順序は、実は計算式と云う表層ではなく、その意味合いの方が問題となっているのだ、と云う事なのだよ。

そして解決策としては、単位も含めて立式しようとしてみるのだと云う事だ。

そもそもそれこそが文章題の解き方なのだからな。




■シン

単位って、mとか秒とか個だけじゃなくて、個/人とか、そういうのもあるんですね。




■アマネ

うむ。

もうちょっと云うと、単位と云うか助数詞と云うものだったりするのだがね。




■アマネ

そんな訳で、端的に云うなら、本質に即せ、と云う事なのだよ。

テストの点と云う表層ではなく、できないものをできるようになるのだと云う学習・教育の本質に即して挑んでいこう。

そして問題文の数値と云う表層に惑わされず、それが何を表しているのか、どういう立式だと答が出るのか、と云う本質に即して挑もう。

文章題の目的は、問題を解き明かす事なのだからな。




■シン

小学生って、結構大変な訓練を受けているんですね。




■アマネ

うむ、小学生の時点で、皆既に、随分頭が良いのだよ。

掛け算割り算分数だのなんだの、こんな難しいもの、できないのが当然なのだから焦らなくて良い。

でも理解できるはずだから、慌てずじっくり挑んでみるのが良いし、周囲の大人は急かしたり短絡的に判断してはいけないのだ。

挑み続けさえすれば、必ずいつか理解できる。




■アマネ

話が長くなってしまったので、改めて、文章題の計算順序について確認しよう。

体重3kgの赤子が2人で総体重は6kg、2kgが3人で総体重6kg、

どちらも総体重は確かに同じなのだが、数学の掛け算の可換性と云うのはこの結果の値だけに注目したものであって、事態や意味合いを無視したものなのだよ。

だから、意味を重視する文章題では、立式の順序は重視される。




■アマネ

答がたまたま正しくとも、途中式が訝しくては、本当にその答で良いのか疑問が残るのだよ。

何故なら途中式と云うのは、答に至る為の過程なのだから、そこに疑問点があっては拙いのだ。




■アマネ

演算の可換性は、事態を無視して結果だけ同一視できる、と云っているだけなので、即ち事態に即したものではないのだ。

赤子が2人居るのと3人居るのでは状況が違う。

総体重は同じでも、例えば必要な寝床の数は異なるように、ある観点で値が一致しているだけで、そもそも別の事態なのだ。




■アマネ

文章題で問われているのは事態の解明なので、そうした抽象的で汎用的な数学理論を事態に適用する事で答を出そうと云う訓練なのだから、立式の順序は大切なものなのだ。




■アマネ

掛け算は可換でも、文章題の立式は可換ではない、と云う事だ。

数学的都合の話ではないのだから、数学的都合を持ち出してきても噛み合う訳はないのだよ。




■シン

うーん、難しいなあ。




■アマネ

では、ざっと纏めよう。




■アマネ

まず、文章題の問題がある。




■アマネ

これは、ある状況を言葉を用いて表し、問として立てたものだ。

文章題と云うのは、こうした疑問を、数学理論を応用して解き明かそう、と云う態度な訳だ。




■アマネ

さて、先ず最初に行うのが立式だ。

これは、言語で表された状況を、数式で表現し直したものだ。

云わば、外国語に翻訳するように、数式に翻訳している形なので、意味合いを損ねるように立式しては拙い訳だ。




■アマネ

この立式は云わば、現実の状況を数学の世界へ持っていく態度な訳だ。

外国へ旅行したらその国の法律に従うと云うのは適切な態度だが、まだ外国に来ていないのにその国の法律に従おうと云うのは訝しい、と云う事なのだよ。

だから、交換可能だとかの数学の世界のルールは、立式の段階ではまだ使えないのだ。

そんな訳で、まだ数学の世界に到達していない立式段階で既に数式の順番が入れ替わっていると云うのは、訝しいのだよ。




■アマネ

さて、そうして状況を数学的に表現できたら、数学の世界のルールに従って計算を行う事ができるようになる。




■アマネ

数学の世界では、掛け算は計算の順序を入れ替える事ができるので、ここまでくれば安心して順序を入れ替えて良い。

計算ミスをしないように、計算し易い順番に入れ替えると云う工夫をするのは有意義だ。




■アマネ

そうして数学的に得られた答を、元の世界へ持って帰ってくる。




■アマネ

こんなように、現実の状況を解き明かしたい時に、数学理論を用いようと云うのが文章題だ。

解き明かす為に一度数学の世界へ持っていき、数学のルールを使って問題を解き、持って帰ってきてこれが答だと判明する。

これが、数学の応用、文章題と云うものなのだよ。




■アマネ

文章題で訓練しているのは計算力ではなく、計算ドリルで訓練した計算力を実際に使いこなす応用の訓練なのだ。

立式と云うのは、現実世界から数学世界へ旅する段階なので、まだ数学世界の入換可能と云うルールは使える訳ではない。

だから、数学的に入換可能だというのは、立式に対しては無関係だ、と云う事なのだよ。




■シン

成程なあ……。




■アマネ

ちなみに、数式の記法には種類があり、演算子を被演算子の中間に置く普通の記法を中置記法と呼び、演算子を前に置くのを前置記法、後に置くのを後置記法と云う。

例えば、2×3=6と云うのは、

前置記法では ×23=6 となるし、

後置記法では 23×=6 となる。




■シン

そんな記法があるんですか。




■アマネ

この方法だと、計算順序の指示を出す( )が不要になったりする。

例えば、

(1+2)×(3+4)と云うものを前置記法で表せば、

×+12+34となる。




■シン

へえ、便利ですね。




■アマネ

但し、被演算子同士を区切る記号が別途必要になる。

まあこの辺は用途に応じて使いこなす訳だな。


ここで、では計算式の順序などどうとでもできるのではないか、と云う疑問が生じるであろう。




■シン

あ、確かに。

それこそ、これが僕なりの計算式なんですって新たにルールを作ってしまえば、計算順序に対する指摘ってナンセンスになりそうですね。




■アマネ

その疑問への回答はこうだ。

物を書いて人に読ませるなら、相手に伝わるようにしなくては意味がない、と云う事だ。




■シン

と云うと……。




■アマネ

例えば私が今君に対して君の知らない外国語で話し始めたら、それは君に対するコミュニケーション態度として適当だろうか?




■シン

いえ……会話ができなくなりそうですね。




■アマネ

数学のテストの場合、途中式を書けと云うのがどういう意味なのかが問題なのだよ。




■アマネ

もしこれが、回答用紙と無関係な計算用紙に書きなぐった、ただのメモ書きである計算式に対してまで、何某かの指摘をしてきているのであれば、それはナンセンスな指摘だ。

しかし、回答として途中式も書け、と云うのは、最終的な解が如何にして導出されたのかに不備があれば、たまたま最終的な解が模範解と一致していても、学習的観点や理解度の観点からは、良しとは云えない、と云う事なのだ。

だからその過程もまた採点対象であるのだから、やはり適切な数式でなくてはならない。




■アマネ

自分勝手な記法では採点者に通じないから、それでは何かを説明した事にはなっていないとして退けられるのも当然だと云う事だ。

また、前置記法などの既知の方法論であるとしても、中置記法を採用している学校教育の場で、何の断りもなく前置記法を用いてしまっては、果たしてそれが前置記法なのかそうでない何かなのかの判定もできず、やはり正答とは云えないのだ。




■アマネ

極端に云えば、この式は前置記法に依る、と云うような断り書きをすれば意味合いは通じるだろう。

しかしその場合は勿論前置記法として適切な順序で書かれねばならないから本質は同じだし、学校側が教育的観点や手間の観点から中置記法のみを良しとする場合、弾かれたとしてもこれも不思議ではない。




■アマネ

断りさえすれば何でも良いのであれば、自作言語での回答をして、その自作言語を解読する為の辞書も回答に添える、などの回答もありになってしまうが、採点者がその言語を理解体得して採点に望むと云うのは実践的な態度ではない。

だからこそ、わざわざ断りもしない前提体系に基いて人は行動するべきなのだ。




■アマネ

と云う訳で、どんな記法が可能であろうと、計算順序は結局適当でなくてはならないし、中置記法以外で回答するのは不自然で意味が通じないのは当然だと云う事だ。




■シン

成程……。




■シン

そう云えば、足し算の場合はどんな順序になりますか?




■アマネ

足し算の場合も、意味合いに即して考えよう。




■アマネ

1+2=3と書く時、

1に対して2を足すと3になる、と云う事だ。

だから、りんご3個をりんご4個の隣に並べると全部で何個になるか、を解く式は、

4+3=7

となる。

4個に3個を並べるから、と云う事だ。




■シン

成程……。




■アマネ

但しまあ……飽く迄私が長長と説明したのは、事態を表す言語情報を数式で表すならと云う話であって、数学理論としての演算の話をしている訳ではないと云う事には注意してほしいと云う事と、結局のところ、意味が通っているかどうかが問題だと云う事なのだから、その順序で意味が通っているなら問題はないと云う事だ。

もしかしたら言語表現の工夫でどうとでもできるのかもしれないし、余り機械的に考えず、本質レベルで考えよ、と云うところだけを解ってくれれば良い。




■アマネ

例えば、縦2cm、横3cmの長方形の面積を求めよ、と云う場合は、

2×3でも、3×2でも、どちらでも良い。

2cmの長さが3cm分ある、と考えても、3cmの長さが2cm分ある、と考えても、意味は通っているからだ。




■アマネ

そして、三角形の面積を、底辺×高さ÷2と考える時は、÷2の部分は後ろに来るべきだろう。

一方、高さ函数が底辺分あると考える、即ち定積分的に考えるなら、∫[0,横一杯]高さ函数×d横、と云うように立式するのが自然だ。

これを、底辺函数が高さ分あると考えるなら、∫[0,縦一杯]底辺函数×d縦、と云うように立式するのが自然だ。




■アマネ

或いは、半径rの円周を求めたい時、直径×円周率とするなら、2rπとするのが自然だ。

だが、一般に半径rの円を扱いたい場合は、rの函数と捉えて、定数部である2πを係数として、2πrとする方が自然になる。

まあそれでも慣習とか便宜上の都合とかで必ずしもそういう順序になる訳でもないんだけどにゃ。

さっき云ったように、立式時には順序を気にした方が良いと云うだけで、最終的な結論は可換性に従って順序を整理した方がシンプルになって良いしな。




■アマネ

要するに、式が意味合いを表すのであれば順序に意味はあり、

計算的都合しか考えないのであれば、可換性があるなら順序はどうでも良い、と云う事なのだ。

代数和と云う考えを採用すれば計算が容易なので、計算上は順序に意味を持たせる必要はない。

3から2を引くのも、-2に3を足すのも同じと扱えるのが、代数の良さだ。

しかしその二つは、事態的意味合いとしては全く別物だと云う事で、代数ではなく現実的算術に於いては立式は事態を表すと云う事なのだよ。




■アマネ

何より私が指摘したいのは、百点を取る事を良しとする評価方法をこそ廃止し、間違った時にそこを重点的にフォローする、教育の本質的な体制を取れ、と云う処なのだ。

それはそれで、採点でバツを付けられたと云う事が大して問題にもならなくなる。

間違ってるなら改善に挑み、なんかバツだけど問題があるとは思えないなら無視すれば良いのだし。

教育の目的は成長なのだから、自身の成長に必要ない事に拘る必要はない。




■シン

そう云えばアマネさんは課題とか一度も提出しなかったんでしたっけ。




■アマネ

それどころか、余り授業も聞いてなかったし、出席しない事もあったな。




■シン

不良じゃないですか。




■アマネ

だって私にとっては時間の無駄なんだもん。

私は自分に必要な学習は自分でしてたし。




■シン

どうなんですかそれは。




■アマネ

体系的な学習ができないと云う意味では良くない。

だがそもそも私の気質が、押し付けられる教育を激しく拒絶するものだったので、腹を括って自学自習に専念したのだ。


それに伴うメリットもデメリットも自己責任であり、まあ腹を括って自分で行動していくしかないと云うだけの事だ。




■シン

なんで学校通ってたんですか。




■アマネ

社会的都合から要請されただけだ。

社会情勢事態がまず問題なのだ。




■シン

世の学生はアマネさん程、学術に熱心じゃないと思いますよ。




■アマネ

そここそ、教育がどうにかせねばならないところなのだよ。

学生が、学校教育の価値も解らないまま、自発的にでなく強制的に学校に通うと云う事態こそがもうナンセンスなのだ。

皆が学者になる必要などは無いが、学校の学習が何の役に立つか解らないと学生が云うなら、このように有意義なのだと説明し、成程それなら学校を頑張ろうと学生が自発的に学習できるように持っていかねばならない。




■シン

それは甘えた態度だ、と云う事になりませんか?

学校に頼ってばかりではいけないと云うか。




■アマネ

何を云っている。

解らない者に解らせるのが教育だと云ったであろう。

放っておいても自発的に何かをやる者には教育など不要なのだ。

何故なら、彼は放っておいても自分で成長するのだから。

そうして彼が成長した時、それは学校教育の成果ではなく、彼自身の努力の成果だ。

学校が威張る事ではない。




■シン

まあ、確かに……。




■アマネ

まあそんな訳で学校教育には確かに問題があるのだし、不満があるなら口に出していくのは良い事だ。

問題点を明示化できるのだからな。

ただ、一方的な我儘であってはならないし、不備の指摘はやはり正当でなくては意味がないから、そこには注意した方が良い。

私が説明してきた事も、飽く迄計算順序の意味の例として述べただけのものだから、それこそが正しい結論なのだと鵜呑みにはしないでくれたまえ。




■シン

何にせよ、鬼の首を取ったような態度は良くない訳ですね。



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