0008_愛の反対は無関心、ではない
■シン
アマネさん、愛の反対は無関心って言葉、聞いた事ありますか?
■アマネ
何だね、藪から棒に。
■シン
はいはい、壁から釘壁から釘。
■アマネ
まだ云ってないのに……。
■アマネ
で、何だねその、愛の反対は無関心と云うのは。
■シン
そんな言葉を聞いたんですけど、誰かの名言らしいです。
この言葉って、意味としてはあっているんですか?
■アマネ
それは……文脈とか話の流れにも依るから、そこだけ抜き出して持ってこられても何とも云えん。
それに名言とか格言と云うのは必ずしも論理的なものではないから、論理的に云云と云うのも別に有意義な態度ではないだろうしなあ。
■シン
うーん、じゃあまあ飽く迄、哲学的に、論理的に、このフレーズ単体を検討するとしたら何が云えるか、と云う質問ではどうですか?
■アマネ
そうだとすると、素朴に考えれば、間違っているだろうな。
■シン
はあ、間違いですか。
それは、どうして?
■アマネ
むー、いかんせん概念の定義が曖昧なので……飽く迄ここでは、次のような意味としよう。
関心があると云うのは、対象へ何かしらの意識が向いている状態、無関心と云うのはその反対、補集合的な領域で、対象へ何の意識も向いていない状態とする。
そして愛とは、とある何かしらの関心であるとしよう。
そして反対と云うのは、論理学で云う否定と云うか、集合論で云う補集合の事だとしよう。
■アマネ
とすると、愛と云うのはある関心なので、関心があると云う領域に包含される。
さて、愛の反対と云うのは、愛と云う領域の補集合的な領域を指すのだが、そこには、愛でない何かしらの関心、と云う領域と、無関心と云う領域の二つがある。
従って、必ずしも無関心のみに限定される訳ではない。
依って、愛の反対は無関心ではない。
愛でない関心がある又は無関心である、だな。
■シン
あっさりしてますね……。
■アマネ
まあ飽く迄、先述の定義で集合論的に考えるなら、だがね。
先程も述べたが、名言だとか格言だとかは、文脈に即した主張であるはずだし、結論部を強調的に示す為に、多少の論理性を犠牲にして印象的に述べたりする事もあるから、フレーズ単位で云云しようとするのは止めた方が良い。
■アマネ
その言葉がどういう意味で用いられたのかは私は知らないが、
無関心状態では何の対処もできなくて巧くないから、何にでも関心を向けるのが良いとかそういう意味かもしれんし、
無関心でない状態は必然的に愛的状態なのだ、と云う事を云いたいのかもしれないし、
何にせよ、フレーズ自体よりは、その意味する処に意識を向けた方が良い。
■アマネ
まあそれらの意味の場合は、どちらかと云うと、「無関心と云う愛はあり得ない」、と云うような事だな。
愛と云う領域は、関心があるの領域内にあるので、無関心領域ではあり得ないから。
何故、「愛の反対は無関心」と云うフレーズになっているのか詳細は判らないが、
とにかく何か強調したい意味合いなどがあったりするのだよ。
■アマネ
何にせよ、フレーズ自体を字面通りに捉えるのではなく、その云わんとするところへ意識を向けるのが良かろう。
飽く迄、フレーズ自体を論理的に検討するなら今述べたような事になるだろうが、
まあそこは名言や格言の本質でないので、ただの言葉遊びだと思ってくれたまえ。
■シン
成程……。
でもそれなら、議論などの場ではあまり名言などは使わない方が良さそうですね。
■アマネ
うむ、議論は大喜利やとんちではないので、所謂巧い云い回しなどしない方が良いし、名言は正当性が保証されていないので論拠に使えるものではない。
それらは却って、混乱の元となる。
演説などではアフォリズムは有意義であろうが、議論の場では論拠が大事なので、印象的なフレーズではなく無機質で論理的な主張である方が良い。
面白みはないだろうが、別に議論に面白みは要らないのでな。
■シン
哲学って、結構シビアですね。
■アマネ
主観的面白さではなく、客観的な確かな智への愛なのでな。
哲学や論理で優先されるのは、人間感情ではなく、正しさなのだよ。
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