episode_006

「カイザー、やっぱパス?」

 営業終了後の更衣室で、史子は麻菜に声をかけられた。

「ごめんね、なんかつかれちゃって」

「中国語オヤジに変な病気移されたか? ってか、あの田淵さんのテーブルにいたら疲れるよね」

「帰って、寝るよ。大輝君に、それから遼介君にもよろしく」

「じゃ、おつかれ」

 本当なら和明に問いただしたいところだが、カイザーで訊くわけにもいかない。史子は、思案しながら店を出て、携帯をみると、和明からメッセージが来ている。

「おつ、今日は仁のところへ行くから、帰れないよ。だからって浮気、すんなよな」

 仁は、他店ではあるが和明の昔からのホスト仲間だ。毎日、家に帰ることはない和明だが、こういう連絡だけは、マメである。

 和明にも、今日は訊けないか。後は、田淵さんに直接訊くしかないけど、連絡先、知らないしな

 タクシーを止めようとすると、若いホストがキャッチをしてくる。

「お疲れ様。スプレンディで働いてるんっすか、かわいいすっよね。今から仕事の疲れをパァーとはらしませんか。初回、5でやらしてもらってるんで、どうすか?」

 タクシーがつかまらず、キャッチがうざい  

 そこに着信があった。見ると知らない番号である。普通は出ないが、キャッチから逃れるために、反射的に出た。

「はい」

「玲香ちゃん? おつかれさま」

 その声は田淵であった。

「田淵さん? 今日はごちそうさまでした。でも、私、田淵さんに・・」

「さっき、店でちょっといたずらしてね。玲香ちゃんの携帯借りたでしょ、あれで、自分の携帯に電話したんだよね」

「ひどいですね、田淵さん」

「いや、ごめん。ああでもしないと、スプレンディでは連絡先訊けないしね。今日はフリーだから、訊いてもいいんだろうけど、まりあや百合耶の前で訊いても、後で玲香ちゃんが大変でしょう」

 スプレンディでは、本指名がいる客に、場内指名をもらっても連絡先は教えてはならない決まりになっている。田淵は、それをふまえて行動していたのだ。

「大輝君のこと、気にしてるだろうと思ってさ」

「気を遣って頂いて、ありがとうございます」

「いいんだよ、店で長く話せることじゃないしね」

「でも、もういいんです。私、別れようと思ってて・・・」

「何か大輝君がひどいことしたのかな?」

 いつも穏やかな口調で話す田淵が、心なしか強い口調で訊いてきた。

 まさか、エスの話できるわけないし

「そうじゃないんですけど、やっぱり色カノだって、わかったんで。それで別れようと決めたんです。まだ、大輝には話してないんですけど」

「それなら、早く別れた方がいいね。何かあったら相談のるから、連絡してきなさい」

「ありがとうございます」

「それじゃ、おつかれさん」

「わかりました。おやすみなさい」

 朝はなんとなく考えていたことだが、田淵のことがきっかけとなって、史子は和明と別れることを決めた。


 日曜日、起きると和明からメッセージが入っていた。

「仁のところで寝てた。一回、自分の部屋に帰るけど、夜、何か食べにいこうぜ」

 別れ話を外でするのはいやだった史子は、こう返信した。

「なんか、料理作りたい気分だから、私が作るよ。何時頃、帰ってくる?」

 史子は、はらこ飯とおくずかけを作ることにした。どちらも宮城の郷土料理だ。

「いくらのプチプチした食感と鮭の香ばしさ、それと炊き込みご飯。このみっつが、口ん中で、なんてゆーの、ハーモニーっていうの、すげえうまいよな。それから、こっちは、野菜がいっぱい入ってるじゃん。俺みたいな生活してると、野菜食うこと少ないから、身体にいいって、感じでさ。これ、玲香の田舎の料理だよな」

「そうよ」

 史子の実家は、父親は高校の教師で、母は専業主婦だ。史子が高校生になるころには、父親は教頭になっていた。二つ上の兄は、今は東北大の医学部にいる。小さい頃から、兄主体で史子の家は廻っていた。普段はかまってもらえないのに、成績が悪くなると、史子は両親からひどく叱られた。史子は、早く家を出たかったが、簡単には許してもらえそうになかった。「国立で女子大である」ということで、お茶の水女子大を受けることを許され、しかも、浪人したら地元に残るという約束で受験に臨み、現役で合格した。宮城にはいい想い出がないので、東京にきてからも、同じく東京に出てきた高校時代の同級生とも、連絡していない。地元にいる頃から群れるの嫌いな性格だったので、元々友人も少なかった。

 食事が終わって史子が別れ話を切り出すと、一瞬、和明は切れたが、史子が動じず、「他に男ができたわけではない」ことを知ると、あっさり承諾した。

「元々、玲香みたいなタイプは、ホストにはまらないのはわかってしたし、エスもあんまり興味示さなかったじゃん。それに、なんていうの、回りにいないタイプだったから、ちょっと良かったし、手放したくなかったんだけど、玲香の性格から言って、ホスト上がって、結婚でもしないとそれは無理だしな。玲香も今、学生辞められないだろうし、俺もホストは上がれない。」

「よく、わかってるね」

「俺が何で食ってるか、知ってるだろ。わかんなきゃ、仕事できないって。それから、今、ちょっと店とは別に大きな仕事してて、ここにもあんま来られないしさ」

「大きな仕事?」

「そう。でも、言えないんだよね・・・玲香も、俺が他の仕事してるって、他のヤツに言うなよな」

 それから、和明は急に厳しい顔をして、こう言った。

「わかってんだろうけど、エスのことはしゃべるなよな。お前だって食ったんだから、同罪だぞ。しゃべったら、」

「大丈夫、私もそこまで馬鹿じゃないし、自分かわいいし。」

「だよな、玲香は利口だから大丈夫だと思ったんだけど、一応な」

 和明は、元々多くなかった荷物をまとめ、代わりに合い鍵を置いて、出て行った。

 和明が出て行ったあとで、史子は田淵に電話した。独身だと言っていたので、日曜日でも大丈夫だろうという判断と、きっかけを作ってくれた感謝の気持ちから、少しでも早く報告したかったのだ。しかし、田淵の電話は、留守電となったので、手短に報告だけした。


「昨日は、同伴して頂いて、本当にありがとうございます。それから小龍包、とっても美味しかったです。また、連れて行ってください。今日は雨模様で、昨日の暑さが嘘みたいに寒いです。気温の差が激しいと体調崩しますから、風邪などひかないよう、岡崎さんもお仕事がんばってください」

 岡崎は、自分の部屋で史子から送られてきたメッセージを眺めていた。

 美林閣で楽さんに、小龍包の作り方を訊いていたな、玲香、料理作るの好きだって言ってた。いい奥さんになるよな。それから、俺の身体のことも心配してくれている。俺の話は聞いてくれるし、心配もしてくれる。ああ見えても気が小さくて、俺のことを好きだって言えないのかな。俺の方からちゃんと言った方がいいのかな。明日も会いにいこう

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