episode_005

 その日、岡崎はいつもの倍、店に滞在した。その上、

「あれって、シャンパンでしょ。初同伴の記念に飲みたい」

 などと言いだし、モエを頼もうとするのを史子がなだめ、カフェ・ド・パリを注文させた。

 そんなにいきなり飛ばされても困る

 会計は、当然、いつもの三倍以上だったが、ニコニコしながら岡崎は帰っていった。

 岡崎を送り出し、トイレに向かう途中で、史子は、まりあとすれちがった。

「岡崎さん、いいお客さんになりそうで、よかったわね」

「谷田さんのテーブルで、まりあさんに、うまくつないで頂いたおかげです。ありがとうございます」

 田淵さんに会ったことを言っておかないと、後で話がこじれる

 そう思った史子は、切り出した。

「そういえば、今日、田淵さんがおみえになるかもしれません」

「なんで、玲香ちゃんがそんなこと知っているの」

 案の定、まりあの眼が一瞬だけ、大きく光った。

「岡崎さんにつれていってもらった中華料理店、楽さんという方がやっている店で、偶然お会いしました」

「そう、美林閣で会ったのね」

「まりあさんもご存じの店なんですか?」

「小龍包が美味しい店よね。教えてくれて、ありがとう」

 まりあは自分のテーブルへむかった。

 岡崎が帰ったあと、テーブルがなかった史子は待機席に通された。麻菜がいる。

「相変わらず早い時間は、お茶ひくよ」

麻菜の客筋は、遅い時間に集中する。

「ってか、中国語オヤジ、なんかすこくない? 今日、同伴だったでしょ」

「そう。なんか怪しいだよね。細客だったのに、急に同伴誘って、抜き物までいれて。どうしたのって、感じ」

「サラ金でもつまんだんじゃないの? 玲香ぁ〜 もう〜たまんない〜よ〜、って感じで」

麻菜がものまねしながら笑い転げる。

「やめてよ、きもい・・・そういえば、今日、田淵さんに会ったよ、同伴した美林閣って言う店で。田淵さん、今日くるかもしれないって」

「田淵さんって、あの田淵さん?」

「そう、北欧家具を手がけてる田淵さん」

 田淵は、元々中国茶の輸入を手がけていたのだが、中国茶ブームが来て成功し、そこで得た資本を基に、北欧ファニチャーの買い付けをおこなっていた。五年前、田淵はそこで、S&Dというファニチャーデザイン集団と出会う。田淵は彼らに投資をして、最初はオーダーメイドファニチャーから立ち上げたが、それが大ヒットとなった。S&Dは、メーカーになることはなく、家具メーカーにデザインを提供し、ロイヤリティを得るやり方をしており、今では、世界中でS&Dデザインのファニチャーが販売されている。田淵はそのロイヤリティの20%を得ているはずだ。

「そりゃ、楽しみだね。まりあさんと百合耶さんのどっちが、田淵さんを捕まえるか。玲香、今日、アフターとか、予定ある?」

「今は、特に決まってないけど」

「だったらさっ、カイザー行かない? 久しぶりじゃん」

 四月に麻菜と初めてカイザーに行って、その後、三回程度はカイザーに行っていた史子だが、五月半ばから和明とつき合うようになり

「もう、店、来なくていいから。カノジョを店に呼べないじゃん」

 と和明に言われ、店には行っていない。六月に入り、一緒に住むようになったが、つき合っていることも、一緒に住んでいることも、史子は麻菜に話していなかった。しばらく「彼女という夢」を見させて、後で引き出す計算であることは、史子もわかっており、そんなことを麻菜に話せるはずはなかった。

「カイザーかぁ。あんまりのれないな」

「玲香って、私と違って、ホスト、あんま好きじゃないもんね。無理には誘わないからさっ」

「麻菜さん、お願いします」

ボーイが呼びに来た。

「んじゃ、一発、飲んでくっか」

 しばらくして、史子も呼ばれた。

「玲香さん、Vルームお願いします。田淵さまより、場内指名頂いています」

「本指名は、誰ですか?」

 フロアーを歩きながら、史子は、キャストの配置をコントロールするラッキー担当のスタッフに聞いた。

「フリー入店で、まりあさん、百合耶さんと玲香ちゃんの三人が場内だよ」

 Vルームに入ると、既にまりあが田淵の隣に座っていた。

「田淵さん、場内指名ありがとうございます」

 と頭を下げながら、史子がテーブルを挟んだ向かいに座ろうとすると

「玲香ちゃんも場内いただいたんだから、お隣に失礼したら?」

 とまりあが声をかける。他のテーブルにつかまってここに来られない百合耶を閉め出すつもりなのだ。

 そんな争いに巻き込まれては、やってられないわ

 そう思った史子は

「ここで大丈夫です」

 と言いながら座り、お酒を作る準備を始めた。

「いいのよ、玲香ちゃん」

 まりあがそう言って、制すると、そこに、ドンペリニヨンレゼルブラベイ、通称、ドンペリゴールドが運ばれてきた。

「俺、こんなもん、頼んでないぞ」

「田淵さん、これ、久しぶりにお会いできたまりあからのプレゼントよ」

 まりあは、玲香から田淵の来店を聞いた時点で、準備を始めていたのだ。田淵が来たら、とにかく、すぐ抜いて、席につけること。そして、レゼルブラベイを運ばせることを。

「いらっしゃいませ、お久しぶりです、田淵さん」

 百合耶が現れた。

「まりあさんから、すごい贈り物があったそうね。私が田淵さんに差し上げられるのって、ハートぐらいしかないから」

 百合耶は、このテーブルに来る前、自分の担当からまりあがレゼルブラベイを準備したことを聞いていた。同じことをするのも醜態なので、ここは一歩引いた形になる。

「乾杯」

 史子は黒子に徹した。田淵の指名をとれれば、自分の欲しいものに大きく近づくことは理解していたが、そのあとのまりあや百合耶との関係を考えると、とても、やっていく自信がなかった。まりあと百合耶が同時にテーブルにいることも少なかった。彼女たちには、他にも多くのテーブルがあり、そこを廻らなければならない。また、まりあも百合耶も、相手がいる前では、田淵に仕掛けない。店もそれをわかっているので、交代にラッキーしていく。他にテーブルのない玲香だけが、つきっぱなしの状態となった。

「百合耶さん、お電話が入っております」

「すいません、田淵さん。すぐに戻りますから」

 百合耶が席を離れた。

「大人しいね、玲香ちゃん」

「そんなことないですよ。私と違ってまりあさんや百合耶さんのお話がおもしろいので、つい、聞き入っちゃって」

「ちょっと携帯貸してくれないかな。充電きれちゃってさ。一本だけ電話をしなければならないんだ。忘れててね。今、ここですましてしまえば、後は電源切ってもいいぐらいだから」

 笑っている田淵に、史子は自分の携帯電話を渡した。

 田淵が電話をしているあいだ、史子は、携帯を持つ左腕のトゥールビヨンレボリューションに見入っていた。

「ありがとう、玲香ちゃん。時計、好きなんだね」

「ごめんなさい、ジロジロ見てしまって」

 史子は、自分が赤くなったような気がした。

「気にしなくていいよ、それより・・・気にしなくちゃ行けないのは、カイザーの大輝君だね。つき合ってるんだって」

 今度は、自分の心臓が冷たくなるのを、はっきり感じた。

「・・・どうして、ご存じなんですか」

「それじゃ、認めたことになるじゃないか。玲香ちゃんもまだまだだなぁ」

 田淵は笑った。

「いえ、あの・・・」

「大丈夫、ここの誰にも言ってないし」

 史子は覚悟を決めた。

「田淵さん、どこでお聞きになったのですか?」

「いや、ホストにもなんかいろいろ繋がりあってさ。ちょっと耳に挟んだもんだから」

「そうなんですか」

「お待たせしました」

 百合耶が戻ってきて、この話題は終了となった。

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