47. 父と娘
「ほんとうにセシル様は! 年頃の王女がこんな格好でっ」
私が政務に携わるようになって、すでに二ヶ月が経過しようとしていた。ひらひらしたドレスは動きにくいので、シンプルな無地のシャツとパンツにジャケットを身につける毎日。
侍女のマリアはそれが気に入らず、毎朝同じ愚痴を繰り返す。
「しょうがないでしょ。書類を扱うから埃っぽいし、インクがこぼれたら取れないのよ。何枚ドレスをダメにしたと思っているの?」
「それにしたって、今が花の盛りの十八歳ですよ! 他の王女様方はみな着飾って、短い青春を謳歌してますのに」
未婚の王女は、私の上にまだ五人いる。それぞれ、お相手が定まっていない。もちろん引く手あまたではあるけれど、母方の親戚の期待を背負ってより高位の相手を望んでいる。
「あれは、少しでも条件のいい結婚相手確保のためよ。いわゆる展示会。私には関係ないわ」
この国にアレクを招いたら、一体どうなるんだろう。婚約者のいない隣国の王太子! 王女たちだけじゃなく、未婚の令嬢たちにもみくちゃにされることだろう。すかしたアレクの困った顔を思うかべて、つい笑みを漏らす。
それを見て、マリアは更に大きなため息をついた。
「レイがいないからって、気を抜きすぎですわ。気持ちは分かりますけど、私はどうなるんです? セシル様を着飾るのが、唯一の楽しみですのに!」
「レ、レイは関係ないわよ。従者がいないのは、ただ不便なだけで」
「素直じゃありませんね。夜は特にお寂しいくせに」
「マリア、その口のきき方は無礼ですよ」
マリアは「はーい」と適当な返事をして、髪を結うための準備に取り掛かった。叱ったというのに、反省の色が全くない。それはたぶん、赤くなった私の顔を見たからだろう。
鏡の中の自分から、私は思わず目をそらした。誰が見ても隠しようがないくらい、本当にゆでだこのように真っ赤だった。
「フローレス王女は、ご息災のようです」
政務室に入ると、宰相様が開口一番でそう教えてくれた。共和国の使者からの情報だった。詳しい様子は分からないけれど、それを聞けただけでも、少しは気持ちが明るくなる。
「よかったわ。赤ちゃんも元気なのね?」
「おそらくは。元首にとっては宝ですから」
「もうすぐ臨月だわ」
お姉様が北に行ってから、もうそんなに月日が経ってしまった。その間に、共和国はどんどんと危うい方向へと突き進んでいる。
「元老院の議員が、また暗殺されたようです。表向きは死因不明ですが」
「そう。どちら派の議員?」
「民主ですな。軍部は関与を否定しています」
「ばかばかしいわね。内輪もめなんて」
元首を神のように崇める軍部。彼らの過激な行動が、かえって元首の政治生命を危険にさらしている。そんな簡単なことに、なぜ気が付かないのだろう。筋肉脳?
「お姉様が心配だわ。元首と同様に変に担ぎ上げられてしまったら……」
「こうなると、正式な婚姻を認めずに正解でしたな。王女が正妻なら、こちらも姻戚として立ち回らなくてはならなかった」
「そうね。いい判断だったわ」
お姉様は元首と婚姻を結んでいない。我が国が婚姻同盟国となることを避けた政治的配慮。でも、本当の理由は違う。お姉様が結婚したいのは、あの人じゃない。
「問題は生まれてくる子ね。元首の子として祀り上げられるわ」
「父親の魔力を継いでいれば、尚更でしょう。しかも、王族の血筋。彼らにとって、利用価値は十分ある」
「急がなくちゃ。共和国が崩壊する前に、お姉様を取り戻したい」
「その後、レイから何か連絡はありましたか」
私は黙って首を横に振った。レイからもおばば様からも、なんの連絡もない。まだ、教官を連れ戻すことができないんだろうか。
「共和国内部のことは、私たちには何もできないわ。でも、警戒はしておくべきよ。辺境の守りを固めましょう。あまりあからさまにならない程度に」
「そうですね。大軍を派遣して敵意ありと見なされれば、相手を刺激します。とりあえず、少数精鋭の部隊を、民衆に紛れ込ませてあります」
「さすがね。あなたがいれば、この国は安心だわ」
「恐れ入ります。王女様の采配のおかげです」
お父様が政務を放棄してから、私は国王代行の命において執政を宰相様に委ねた。宰相様は国王の承認なしでも、ある程度の自由な判断で国の機関を動かせるようになった。この二ヶ月で調べた限り、その権力を不正に使用した跡はない。信頼できる臣下だ。
「私にできることがあったら、すぐに言ってちょうだい。便宜を図るくらいしか、役に立てないもの」
「ご謙遜を。王女が来てから、政務の質が向上しました。正当な評価を得られるようになって、みなの士気が上がったからでしょう」
「まだまだよ。お父様を見倣ってか、私腹を肥やすことしか頭にない者もいる。難しいわね」
「次の宰相はセシル王女に……という声が上がっております。さすれば、国は安泰」
「かいかぶりすぎよ。私は……」
レイが戻ったら、お姉様が無事に帰国したら。私には夢がある。レイと二人で、あの村で叶えたい夢。
「宰相なんかじゃなく、田舎で農婦になりたいの! 畑を耕して、羊を飼うのよ」
「それはそれは。素晴らしい夢ですな。羨ましいことです」
宰相様は目を細めて優しく笑った。義叔父であるけれど、きっと父親というのはこういう人のことを言うんだろう。王太子の療養にかこつけて、遊興に耽っているお父様とは違う。
父王のことを考えると、私は暗い気持ちになった。私はまだ、お父様に報告できるような成果を上げていない。王の晩餐に毒を盛った犯人も、魔薬の出処も、まだ闇の中だった。
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