41. 本当の望み
「セシル殿。そろそろ馬車が来ます。孤児院のほうにお戻りください」
牧師様の声で、私は我に返った。
海へと落ちる真っ白な断崖絶壁の上から、私はレイがいるおばば様の孤島の方角を眺めていた。目に入るのは、空の蒼と海の碧のきらめき。それから、雲の灰色とカモメの白さだけだった。
レイは、あの水平線の彼方にいる。賢者の修行をするために。
「美しい場所ね。海のない私の国とは、吹く風も違う。こんなところで暮らしていけたら、きっととても幸せでしょうね」
私がそう言うと、牧師様はとても嬉しそうな顔をした。
この人はおそらく貴族の出身。望めば魔術師として、どこかの王宮に務めることも可能だったはずだ。それなのに、ここで一牧師としての人生を選んだ。それにはきっと、それなりの理由があるんだろう。
「そう言っていただけると、レイも喜びましょう。この地を離れることがあっても、あの子の心はここを離れることはない。こんな寂れた場所なのに、自分の原点だと思っているようです」
「ええ、聞きました。友達と約束したそうですね。いつか必ず戻って来るって」
「そうですね。そのときには、好きな女の子を連れて来ると言っていた。レイが一番乗りでしたね」
牧師様にはっきりとレイの恋人扱いされるなんて。私はなんだか、恥ずかしくなった。防音の結界を張っていたとはいえ、孤児院でも同じ部屋で夜を過ごしている。今更、主人と従者だけの関係だなんて、嘘を言う気はないけれど。
「ここで家族を持って、幸せに暮らしたい。それが、あの子の本当の願いかもしれません」
「そうですね。魔術師になんてなってしまって。レイには不本意な人生だったでしょう」
私の言葉を聞くと、牧師様は胸の前で両手をブンブン振って、それを全身で否定した。その慌てぶりが少し面白かった。
「とんでもない。魔術師になるのは、あの子が切望したことですよ。魔法を教えてほしいと、私に詰め寄ってきたときの気迫。セシル殿下にお見せしたかったほどです」
私に再び会うために、なんとしても訓練施設に入りたかった。レイはそう言っていた。あれは本当だったんだ。それがすごく嬉しい。私の心を見透かしたのか、牧師様は気持ちに沿った言葉をくれた。
「レイは、昔からずっとセシル殿下に夢中でした。あなたが楽しそうに笑っている姿に、生きる輝きを見つけたようです」
「そんなこと。私は何も考えていない子どもで……」
「いいえ。ここは、世間から見捨てられたような場所です。訪れるものも滅多にいない。毎年忘れずに訪ねてくれるあなたの存在が、レイにとっては世界と自分を繋ぐ希望だったんでしょう」
「困ったわ。そんなこと、全然知らなくて」
ここには、お芝居を観るために来ていただけ。それなのに、そんな風に持ち上げられると、居心地が悪い。
「これはこれは。余計なことを言いましたね。レイはただ、可愛い少女に一目惚れしたんですよ。あの子は面食いですから」
ますます、いたたまれなくなった。牧師様は、それに気がついたのか、話題を変えてくれた。
「あなたに来ていただけて、私も本当に嬉しいのです。レイにはあなたがいる。もう心配はいらない」
「レイは、どういう経緯で孤児院に? 家族は……」
牧師様は、目を伏せて首を振った。
「分かりません。ある日、孤児院の前に置き去りにされていました。ずいぶんと強い魔力を持っていたので、持て余した親が捨てたのだろうと。まだ物心がつく前だったので、本人も何も覚えていないようです」
私は黙って頷いた。あれだけの魔力。自分の血筋をたどることは、その気になればできただろう。それをしなかったのは、レイの意思。それならそれでいい。
「そういう子は、多いのですか?」
「ええ。訓練施設ができて減ると思ったのですが。閉鎖になって残念です」
「私の力不足で。でも、隣国には魔法科のある学園ができたらしいんです。そこが成功すれば、各国にも設置されると思います」
「それはありがたい。ですが、あの施設は平民の子にも学べる道を拓いてくださった。それだけでも、大成功だったと思いますよ」
「ありがとうございます。父に伝えておきますわ」
この賞賛を受けるべきは、父ではなくて教官なのに。レイは本当に、異次元から教官を連れ戻すことができるのだろうか。おばば様は可能性はあると言った。つまり、確実ではないということだ。
島に到着した日の夜、私たちはキッチンのテーブルで、おばば様がつくってくれた夕食をとった。この地方の郷土料理は、羊肉のシチューをパイ皮につつんで焼いたもの。温野菜と一緒にグレービーを掛けていただく。
食後のチーズに、ワインを少しだけ飲んだあたりで、私は今後の具体的な計画を尋ねた。
「おばば様、レイの訓練は、どのくらい続くんですか?」
「そうさのう。能力次第じゃな。早ければ数週間、遅くても数ヶ月じゃろ」
「そんなに……」
レイの実力は、誰よりも私がよく知っている。教官がいない今、彼に敵うものはいない。私に仕えるため、教官のように外部からの任務は引き受けていないけれど、魔術師としての評判と名声は、日に日に高まっている。
「魔力は問題ないの。じゃが、精神の鍛錬が必要なんじゃよ。望む未来を創造できる過去に行けば、誰でも運命を操る神になった気になる。その魅力に取り憑かれると、その魂は迷うんじゃ」
「教官は、迷っているんですか?」
「あの男はの、悔いておるのじゃ。愛する女を苦しめたことをな」
お姉様は苦しそうには見えなかった。ただ、寂しそうだった。もっと教官と一緒にいたいと、それだけを望んでいたんだと思う。
お姉様は教官がそばにいれば、それだけで幸せだった。迷っている教官に、それを知らせてあげたかった。
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