37. 懐かしい故郷へ

 おばば様が住む西国の島に行くには、この大陸の最西端から船に乗る。


 この広い大陸を馬車で横断するには、何ヶ月もかかる。そのため、特権階級だけが利用できる転移装置がある。国から国へ。予め組まれた魔法陣から魔法陣へと、空間移動できる仕組みだ。


 王女の身分は伏せていた。けれど、国王であるお父様のサインがある通行証で、すんなりとことは運ぶ。西国の王都までは、ほぼ一日で到達できた。ただし、そこからレイの故郷までは、途中の村で一泊しても、馬車で丸一日かかる。


 羊の放牧と麦の栽培で、生計を立てているという寂れた村。私たち以外は馬車を使うものはなく、それどころか人の気配もほとんど感じない。


 最先端へと突き出した岬までの道は、舗装もされていない。馬車がやっと通れるくらいの道幅だ。道の両側にはヒースに覆われた荒野が広がり、その先は崖になっているのか、水平線が見渡せる。につくのはカモメと羊だけの、厳しい自然に晒された場所。


 目的の孤児院に着いたのは、ちょうどお昼前くらいだった。


 最後にこの孤児院を訪れてから、十年くらいだろうか。おばば様のお供で、毎年夏にお布施を届けにきた。ここを管理している牧師様は、おばば様に魔法を学んでいたのだ。


 レイからの連絡を受けていたのか、私たちを迎えてくれたのは、その牧師様だった。レイの成長した姿を見て、満面の笑みを浮かべる。


「レイ、立派になって」


「牧師様、お変わりなくて安心しました」


 レイの側に立つ私に気がつくと、牧師様は驚いたように目を丸くした。そして、すぐに優しく微笑んで、深々と頭を下げた。どうやら、あっさり正体がバレたらしい。


「セシル殿下。こんな辺鄙なところに足を運んでいただけて光栄です。最後にお会いしたのは、あなたがまだ六、七歳の頃でした。お美しくなられた」


「お久しぶりです。まさか、私を覚えていてくださったなんて。お会いしたのは、ほんの数回でしたのに」


 私がそう言うと、牧師様はレイのほうをちらっと見ながら、思いもかけないことを言った。


「あなたが来るのを、ずっと待っていた子がおりましてね。今年は来るのか、いつ来るのかと。それはもう、うるさくてうるさくて」


「まあ。私が作ったお菓子を、気に入ってくれていたのかしら? だったら、とっても嬉しいわ」


 その頃のことを思い出しながら、私はそう言った。牧師様は、ただニコニコと微笑むばかり。それとは対照的に、レイはものすごく嫌そうな顔をしている。すぐに話を本題に移した。


「賢者殿のいる島に渡りたいのです。船はいつ出せますか」


「今から手配しても明日の朝。夜は海に魔物が出ますから」


「それでいいので、お願いします。なるべく早く出発したい」


「なんとか掛け合ってみましょう」


 牧師様の顔を見れば、それが簡単でないことは明らかだった。往路は私たちがいるとしても、復路にも魔物を避ける守りのまじないが必要になる。準備が万端であっても、危険であることには変わりない。いきなりの依頼を引き受けてもらうのは、至難の業だろう。


「あの、牧師様。お金のことでしたら、いくらでも……」


「いやいや、代金はもう十分にもらっているので」


「え? それは、どういうことでしょう」


 言われた意味が分からず、ぽかんとする私に、牧師様はまたニコニコと笑った。


「レイはこの孤児院を、土地ごと買い取ってくれたんですよ。しかも、この建物の修繕費用だけじゃなく、新しい棟の建設費用まで工面してくれた」


 私が驚いてレイを見ると、耳がちょっとだけ赤くなっていた。


「大人になったら、好きな子を連れてきたいって奴がいたんだよ。せっかく戻ってきても、孤児院がなくなっていたら、がっかりするだろ」


 レイはこちらを見ずに、そう付け加えた。


「でも、そんな大金……」


「師匠は、依頼の報酬を俺にそっくりくれてたんだ。自分は王宮から貰ったものだけで十分だと言って」


 そうだったんだ。金品にこだわらない教官らしい。お姉様さえいれば、教官はきっと、他には何もいらなかったんだ。


「言ってくれれば、私だって協力したのに。ここには、私にも思い出はあるし」


「他に使い道のない金なんだ。師匠の成功の対価なんて、俺がもらえる金じゃない」


 レイの人生には、いつも選択権がなかった。だから、お金なんていらない。それは分かる。でも、そんなレイとずっと一緒にいるのは私。もっとレイのことを教えてほしい。もっとレイの力になりたい。


 もしかしたら、レイはおばば様のところで修業をして、賢者になるかもしれない。恋人と引き離された今、レイには執着する者はいない。可能性は十分にある。


 それなら、レイの代わりに私がこの孤児院を守っていきたい。レイが修業に出ても、運営資金が途切れないように。


「牧師様、これからは、私からの寄付も受け取っていただけますか」


「セシル殿、お気持ちだけ受け取っておきます。他にも貴族の養子になった子らが、定期的に寄付をしてくれるんですよ。ご心配には及びません」


「そうですか」


 がっかりする私を慰めるように、牧師様は明るい声でそう言った。


「それより、少しこの辺りを散策されては? 今はヘザーが見頃ですよ」


 ヘザー。紅紫のその花は荒野に咲く。


「そうね、せっかくだから」


 私は気を取り直して、そう答えた。

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