34. 剣で勝負

 キスをされるかと思った。でも、レイはギリギリ触れない距離まで、唇を近づけただけだった。


「口づけはしない。俺が教えるのは、愛ではなくて武器となる行為だ。相手に溺れたものが死ぬ。そういう、命の駆け引き」


「はい」


「体を許しても、決して相手にその心を許すな。相手を愛してしまえば、それはすなわち死。自分だけじゃない、国民すべての。国家全体が滅びる」


「はい」


「その技で俺を虜にできなければ、セシルは戦に負けたということだ。生きながら、ズタズタに引き裂かれる」


「絶対に負けないわ。レイも手加減しないでちょうだい」


「そうだな。負けたら俺の命が危ない」


「そうよ。北になんて行く必要ないわ。私がベッドで殺してあげる」


 私がそう言うと、レイはようやく笑顔を見せた。よかった。レイはこの話を受けてくれる。もう北に行くことはない。ようやく安心できて、私も自然と笑顔になった。


 私たちは、どちらからともなく唇を合わせた。舌を使わない、えっちじゃないキス。それでも、唇を吸われる長いキスに、体の芯が疼く。自然と腕が、レイの首に回る。

 後頭部を押さえつけるように、レイは私に髪の中に指を掻き入れていた。逃げられない。そうして、もう一方の手でゆるゆると円を描くように、私の腰を撫でる。


 まだ昼間なのに、そのまま寝室に籠もってしまいたい。それくらい、私たちはお互いに夢中になっていた。マリアがドアをノックしなければ、たぶん本当にベッドになだれ込んでいたと思う。


「キスはしないって言ったのに」


 食後のデザートを前に私が文句を言うと、レイは楽しそうに笑った。


「目的のためには、手段を選ばない。それも手ほどきの一つだ」


 レイが元気になって、本当によかった。もうどこにも行かないでほしい。ずっと一緒にいてほしい。心からそう思った。


 お父様からの宣下を受け、レイは正式に私の部下となった。騎士の身分を望まれたけれど、正式な誓いは立てさせなかった。永遠の忠誠を誓ったら、本当にレイは私から逃げられなくなるから。


 いつか、すべてが落ち着いたら、レイは私の元を去るだろう。それまでは、私がレイを守る。そして、教官が生きているなら、必ずお姉様を守ってくれている。


 教官の安否は不明のまま、月日だけがいたずらに過ぎていく。お姉様の消息は、時折訪れる使節によって、ほんの儀礼的にもたらされるだけだった。


「ねえ、レイ。剣の相手をしてほしいわ」


 騎士の武器は剣。魔術師の弟子だったレイは、騎士の修業はしていない。正式に私の従者となってから、剣の稽古を始めた。魔法では敵わないけれど、剣ならいけるかもしれない。ただし、筋力の差があるので互角とはいかない。


 騎士の訓練場に王女である私が現れたことで、場内が一斉に静まり返る。こんなむさ苦しいところに来るような女性は、この王宮には他に存在しない。


 それはそうだろう。騎士になるのは、貴族でも爵位を継げない次男以下。実力で取り立てられた平民も多い。つまり、結婚相手としては劣る。王女が訪れる理由はない。


「お帰りください。こんな場所にあなたが来たら、みなの気が散るでしょう」


「あら、それだけ? じゃあ、まだ修業不足ね。ここの男なら、視線だけで殺せるくらいにならないと。あなたの教え方が甘いのかしら」


「言いますね。では、厳しい稽古をつけてさしあげましょう」


 レイはそう言うと、自分が持っていた剣を鞘ごと私に投げてよこした。レイがいつも身につけている剣。私の武器はこれということだ。


 剣を受け取って、その鞘から引き抜くと、一点の曇りもない刃がキラリと光った。これで体を突いたら、確実に死ぬ。そんな剣を私に使わせるのに、レイ自身は木刀を手に取った。


「フェアじゃないわ。剣で勝負して」


「じゃじゃ馬王女様のお相手は、これで十分です」


 言ったわね。私の腕前を、甘く見ないでほしい。レイが教官と国を留守にしていた間、私は王族として一通りのことはマスターしている。もちろん剣も。


 剣を扱えなければ、戦場には立てない。陣頭指揮を取れない王族など、敵国になめられるだけ。もちろん、それは男である場合で、王女の話ではないのだけれど。


「過信は命取りよ。私の剣は実戦用。他国と戦を交えるなら、先頭に立って兵士を率いるためのね」


 レイは私に近づくと、嘘くさい笑顔を浮かべてから、私の顎に手を添えた。これは、人前でだけのパフォーマンス。騎士たちの反応を見るための茶番。


「王女に、剣はいらないでしょう。その美貌で落とせない男はいない」


「レイを除いてはね。だから、剣で勝負するわ」


 唇が触れ合うくらいに近づいたレイを、私はさも興味なさそうに押し返した。そうしながら、騎士たちの目にどう映るのかを観察する。

 いずれは、この中から私付きの騎士を選ぶ。それならば、こういう芝居に振り回されない者を見定めておく必要がある。真に信頼できる相手を。


 私たちは胸の前に、剣を上に向けて持った。対戦相手への敬意を示すために。そして、審判の合図と共に、互いに剣と木刀を交えたのだった。

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