32. 魔力の残滓

 お父様からの呼び出しは、それから三日の後だった。北方からの使者が、お姉様からの書簡を届けてきたらしい。


「フローレスは戻らん。シャザードは元首への不当な攻撃により、国家侵略の罪で誅せられた。すべては我が国の臣下の不始末だと証言しておる」


「うそです! お姉様がそんなことを言うはずがない。操られているんだわ」


 魔法でも薬でも、色々な可能性はある。やっぱりお姉様は正気じゃない。なのに、抵抗できない状態なんだ。


「いずれにせよ、お前の魔術師の言葉を立証することはできん」


「レイは……、レイはどうなるのですか?」


 教官に罪を被せる気なら、レイはその共犯になる。事実を隠蔽するために、消される可能性だってある。


「北は、シャザードの暴挙の動機を明らかにするため、弟子の引き渡しを要請している。だが、こちらが要求を飲めば、その件は不問にすると」



「要求?」

「友好国として潔白を証明すべく、フローレスを共和国に留め、シャザードをこの国から追放する」


「おかしいわ! 死んだ人間の処遇を要求するなんて! まさか……」


「遺体は見つかっておらん。おそらくシャザードは生きている」


 教官を免職すれば、この国と教官には関係がないという主張ができる。でも、その代わりに教官は従属契約の縛りから解放される。合法的に、北方の所有物になれる。


「お姉様は脅されているんだわ!」


「あるいは、二人してあちらに寝返ったか」


「そんなことはありえません! レイは、教官は最後まで誘いを拒んだと言っていたわ。嘘をつく必要なんてない」


「証人はいない。レイを突き出して真実を詳らかにするか、あの二人を北に留めるか。今はこの二つに一つしかない」


「……お父様は、どうお考えなのですか」


 レイを渡せるわけがない。万一、お姉様とレイの証言が一致したら、お父様が窮地に陥る。実際、あの国に刺客を放っていたのはお父様。その事実を掴まれるわけにはいかない。


「レイを北に引き渡せば、あちらに都合のいい証言をさせられるだろう」


「私もそう思います。お姉様と教官が人質になっているなら」


「だが、レイを保護すればフローレスは戻らん」


 お父様にとって、お姉様は捨て駒。それなのにそこを突くのは、私に駆け引きを持ちかけているから。


「真実を明らかにされれば、一番困るのはお父様でしょう?」


「ほう。それはどういう意味だ」


「彼らは、誰かの任務を請け負っていたはずです」


「それならばレイは、その誰かに消されるかもしれない」


 やっぱりそうだ。お父様はこう言っている。レイを殺されたくないなら、それ以上の利益を提供しろと。


「レイはシャザードの弟子。優秀な魔術師です。味方につけておくのが得策ですわ」


「だが、あの男がこの国を裏切らないという確証はあるか」


「もちろんです! レイは私の……」


「従者というだけでは甘い。更なる足枷が必要だ」


 レイが離反する可能性。師匠に忠誠を示さないとは、誰にも言い切れない。


「お父様、レイのことは私にお預けください。必ずこの国の役に立つ人間です」


「条件がある。あの男が絶対に裏切れないよう、その体を使って骨抜きにしろ」


「は……?」


「女の武器を使って、あの男を籠絡しろ。その美貌なら、閨の指南を受ければ男を虜にできる手練となろう」


「王女の私に、スパイのような真似をしろと言うのですか!」


「お前はまだ王族の自覚がない。その体はこの国のものだ。国のために役立てず、何に使う。王女の務めは、敵を籠絡し、その懐に入り込み、その中に根を下ろすこと」


 男を誘惑し、その寵愛を得て、この国の血を継ぐ子を産む。その子がやがて、我が国の益となる。それが王女の使い道。レイをその対象にしろと、お父様はそう言っている。


「無理です。レイには、心に決めた相手が……」


「体で、と言ったはずだ。心などはどうでもいい。お前たちはすでに体をつなげておろう。今更、綺麗事を言う必要もない」


「なぜ、そんな……」


「己の体から立ち上る、あの男の魔力に気づかないのか。その身に精を受けた証拠だ」


「魔力……」


「隠したいなら、指南役から術を学べ」


 お父様はそれだけ言うと、私を執務室から追い出した。私と入れ替わりでお父様に呼ばれていた宰相殿が、私の姿を見て頭を下げた。

 宰相殿は魔力を持っている。お父様の話が本当なら、レイの気配を見逃すはずはない。私は恥ずかしくなって、挨拶もそこそこに、その場から逃げ出した。


 どうしよう。そんなこと知らなかった。私からレイの魔力が漏れているとしたら、レイもそれに気がついていたってことだ。あの夜のことは夢じゃなくて、現実だったって知ってたんだ!


 でも、そうだとしたら、レイが何も言わないのは、やっぱり何もなかったことにしたいから。それなら、私もそういう態度を貫くしかない。


 誰にも出くわさないように、私はずいぶんと遠回りをして、王宮にあてがわれた小さな居住区に戻った。私の従者という名目で、病棟を出たレイはそこで療養をしている。


 私が部屋に戻ると、レイは魔術師の礼装とローブを身に着けていた。


「レイ? どこか行くの?」


「……北に」


 その一言で、私の体に震えが走った。まるで、部屋中の温度が急に下がったようだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る