28. 正解のない問題
教官の名を聞いて、お姉様は明らかに動揺した。これでは、お父様の思う壺だ。この話には裏がある。それを暴いたら、身動きが取れなくなってしまう。そんな予感がする。
「捕らえられているのは、シャザード教官なんですか? でしたら、すぐにお姉様の元にお戻りいただくべきです。お二人には、王孫をあげるという王命が下っています。離れていては、使命を果たせません」
お父様が欲しいのは、魔力の強い王孫。それが得られれば、文句はないはずだ。
「その命令は取り消す。シャザードはこの国への帰還を望んでいない。王女と引き換えになるくらいなら、潔く自害して果てると言っている」
「シャザード様が……」
「お姉様、大丈夫です。私が行って、必ず教官を説得しますから」
お姉様が待っていると分かれば、教官は折れてくれる。きっと生きてくれる。それに、直弟子ではないけれど、私は彼の教えを受けた生徒。単なる人質になるわけじゃないことは、教官には分かるはず。
「お父様、私も王女です。人質の資格はありますね」
「お前でも差し支えない」
「お姉様! お姉様には教官が……」
人質なんて、何をされるか分からない。妻や妾に望まれたら、教官とは別れることになる。愛し合う二人を引き裂くなんて、そんなことはダメ。お姉様の恋だけは成就してほしい。ようやく気持ちが通じ合ったのに。
「どちらでも構わん。出立は明日。支度をしておけ。もう下がってよい」
お父様がそう言い放ったのを合図に、執務室のドアが開いて、閣僚たちが入ってきた。もうこれ以上は、この話はできない。
私たちは黙ったまま、お父様の部屋を出た。
断片的な情報から、その真意を見つける。明日までに答えを出すには、いくらでも考える時間が必要だった。
「とにかく、教官は生きてる。それだけでも分かってよかったわ」
お姉様の部屋に更に強い結界を張ってから、私はそう言って話を切り出した。きっとレイも、教官と一緒にいる。
「ええ。でも、危険な状況だわ」
「一刻の猶予もないことは分かってる。すぐに彼らを引き渡してもらうから。私を信じて」
「もちろん、セシルのことは信じているわ」
お姉様はいつものように、優しく笑った。教官が去ってから食が進まず、随分とやつれている。それでも、その美しさは寸分も損なわれていない。
「でもね、あなたを送る必要はないわ。あなたの資質は、私とは比べ物にならないくらいの価値があるの」
「評価されるのは嬉しいけど、私は王族の外れものよ。お父様にとっては、どうでもいい存在だわ。この人選は、邪魔者の厄介払いを兼ねているのよ」
「それは違うわ。あなたは国の宝よ。その魔力と知性は、いずれ必ず役に立つ」
お姉様は、そのまま考え込んでいた。そして、おもむろに私に質問を投げかけた。
「あなたが元首だったら、どうする? もしも、暗殺者として捕らえたのが、面識ある大魔術師だったら」
国の隆盛のために、その魔術師を寝返らせたい。それが無理なら、危険分子は消す。利用できるものからは搾取し、使えないものは抹殺する。
「味方に引き入れようとするわ。大魔術師の力があれば、国力は強まる。その絶好の機会だから」
「じゃあ、それが叶わなかったら?」
考えたくない問題。私は自分の答えを、共和国のそれにすり替えた。
「代わりに人質を……」
「私たちでは、交換の対価にならないわ」
目を逸らしたかった事実を、お姉様に指摘された。私たち王女には、人質としての価値はない。私たちが殺されても、お父様には痛くも痒くもない。
「みな考えることは同じよ。敵に渡るくらいなら殺したい」
「でも、教官は処刑されないなら自害をって……」
「ええ。それでお父様の望みは叶うわ。元首だって、彼を生かして返したくない。彼の死は都合がいいの」
つまり、何があっても教官は死ぬしかない? 両国から、そう望まれているってこと?
「それじゃ、私たちは何のために共和国に?」
「世論を欺くための飾りね。王女の身代わりを拒否して死んだなら、それは美談だわ。彼を死なせて糾弾されないための。両国のスケープゴートよ」
このままでは、教官は両国の思惑で死なされる。そして、それは忠臣の鏡と讃えられる。教官が死に追い込まれたことは、誰の目にも留まらない。
「私が教官を逃がすわ! 約束する。絶対にこの国に戻してみせる」
「無理よ。元首が許すはずがない」
「だったら、元首につくように教官を説得するわ! お姉様のために、生き延びて機会を待ってほしいって」
「そんなことをしたら、お父様が許さないわ。あなたもシャザード様も裏切り者として、死ぬまで追われることになる。たとえ共和国が滅びても、その追求の手は消えない」
「そんな。教官を助ける方法はないってこと? じゃあ、どうすればいいの?」
お父様の狙いは、教官を敵に渡さないこと。教官が死ねば秘密は守られ、王女を差し出したことで友好国としての地位も確立する。むしろ、交換の約束を違えて教官を死なせたと吹聴し、世論を味方につけられるかもしれない。
私たちはただの捨て駒で、役目を果たした後で生きようが死のうが、お父様にはどうでもいい。
「一体どうすれば……。教官が生き残る道はないの?」
お姉様は黙って首を振ってから、私の両手をそっと握った。血の気のない真っ白な手の冷たさに、私は体をこわばらせた。
「セシル、お願いよ。私に行かせて。どこにも逃げられないのなら、最後は共にありたい」
「お姉様、教官と一緒に死ぬつもりですか?」
「ええ。それなら、お父様もご満足でしょう」
「そんなの嫌です! お姉様が死ぬなんて」
「どちらにしろ同じことよ。シャザード様がいない世界に留まるつもりはない。あの日、彼を見送ったときから分かっていたの。もう生き延びる道はないって」
目の前が暗くなった。何が正しい答えなのか、私にはもう考え続けることができなかった。
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