27. 人質の選択

 私達が王宮に呼ばれたのは、教官とレイが発って一ヶ月くらい過ぎた頃だった。


 あれからずっと、私はお姉様の屋敷に滞在している。教官との約束を果たすために。お姉様は私が守る。そして、レイは教官が守ってくれる。お姉様が無事な限り、レイは生きている。そう信じて。


 表向きには、特に変わったことはなかった。だからこそ、お父様からの急な呼び出しに、嫌な予感しかない。私達が知ることができない何かが、どこかで起こったのかもしれないから。


「国王陛下には、ご機嫌麗しく」


 謁見用の王座ではなく、自室の執務椅子に座るお父様に、フローレスお姉様が型通りの挨拶をした。私もそれに倣って、ドレスの裾をつまんで頭を下げる。


「堅苦しい挨拶はいい。セシルを北の共和国に送る」


 共和国。教官とレイが行っているはずの場所。微かに震えるお姉様の手をぎゅっと握って、私はお父様に質問をした。


「お父様、どういうことですか?」


 今は何よりも、詳しいことを知りたい。教官やレイは無事なのか。それだけでも知ることができれば。


「あの国に密偵を潜入させたと、あらぬ疑いをかけられている」


 疑いではなく真実。教官が請け負った任務は、おそらく元首の暗殺。でなければ、あの教官があんなに手こずるはずはない。


 それでも、私はそんなことには一切触れず、先を続けた。お父様から情報を引き出すために。


「まあ。なぜそんなことに?」


 お父様は私をじっと見つめた。私が何を考えているのか、それを探るように。目を逸らせば負ける。話す価値がある者だと、そう認められない限り、お父様は私たちには何も教えてくれない。


「この国の魔術師が、スパイの嫌疑を受けて捕らえられた。お前が行かねば、すぐにも処刑される」


 お姉様の手の震えが止まった。魔術師というのは教官だ。レイも一緒かもしれない。彼らを助けるためには、ここで判断を間違ってはいけない。お姉様も、それを理解したんだ。


「どうして我が国の魔術師が、共和国なんかに?」


「知らんな。偶然通りかかったと主張している」


 魔法や薬を使われても自白しない。囚われているのは、教官かレイだ。そんなことができるのは、あの二人しかいない。


「ならば、そうなのでしょう。すぐに身柄を引き渡してもらいましょう」


「それが、困ったことがあってな」


「困ったこと?」


 お父様は目の端で、チラリとお姉様を見た。私だけじゃなく、お姉様がここに呼ばれた理由があるんだ。お父様の思惑を掴めなければ、足を掬われかねない。どんな小さなサインも見逃せない。


「拘束されているのは、王族直属の魔術師だ。我らに二心ないなら、引き換えに王女を寄越せと言ってきた。我が国の潔白と、彼の国との友好の証として」


「それはつまり、人質を出せということですね」


 そんなことだとは思っていた。任務遂行不可能。この国は、懐柔策を選ばずを得なくなった。王家からの人質ならば、高貴な血筋であればあるほどいいはずだ。平民を母に持つ末席の私を選ぶには、何らかの意図がある。


「なぜ、私なのでしょうか。王女は他にもたくさんおりますのに」


「お前は先の宴で、あの男と踊ったろう」


 トリスタン元首? あんな何年も前のことを、今になって言及するなんて。


「あの方は共和国の代表。宴の招待客です。おもてなしは王女の務め……」


「そのせいで、バカな気を起こさぬうちに、身分の違いを自覚させる算段はぶち壊しとなった」


 私の失敗だ。あの宴での私の振る舞いが、お父様には気に食わなかったんだ。お父様は得意げに話を続ける。私を追い詰めるのを楽しむように。


「ちやほやされて、味をしめたんだろう。だから、王女を寄越せと言ってきた。あの男を思い上がらせたのは、お前の迂闊な行動だ」


 これは口実。この人選の本当の理由じゃない。お父様の真意を見抜かなければ。教官とレイを救うためには、お父様を取り込むだけの賄賂が必要だ。私に何が提供できる?


「人質ではなく、嫁げという意味でしょうか。婚姻による同盟を望まれているのですか」


「婚姻関係を結ぶ必要はない。我が国との友好関係を対外に示したいだけの、いわば飾り物だ」


「では、一時的なものでしょうか」


「そうなるだろうな。もって数年」


 お父様は、共和国を潰すのをまだ諦めていない。この人質は時間稼ぎのため。


「分かりました」


「セシル! あなた……」


 私はお姉さまにそっと目配せした。ここは任せてくださいと。私と引き換えに教官が戻れば、お姉様は幸せになれる。レイも好きな人のところに行ける。


 レイの帰りを待つ約束は反故となるけれど、私が行かなければレイは帰って来れない。どちらにせよ、あの約束は果たされることはない。


「ただ、条件があります。罪のない魔術師の命を保証ください。それが叶うなら、私は喜んでお父様のどんな命にも従いますわ」


 スパイとなって、あの国の弱点を探る。私がお父様に差し出せるのは情報だけ。それを交渉材料に使う。レイと教官の命と、私の人生を引き換える。


「いいだろう。宰相からすぐに使者を送らせよう」


 お父様が呼び鈴を鳴らす前に、お姉様が声を上げた。


「待ってください。セシルに決まっていたならば、なぜ私がここに呼ばれたのですか?」


 お姉様の質問に、お父様の瞳がキラリと光った気がした。これはお父様の罠? ここで止めないと、取り返しのつかない事態に巻き込まれかねない。


「お姉様、もう帰りましょう」


「実は、シャザードがな」


 私とお父様は、ほぼ同時に言葉を発した。お姉様、ダメよ。聞かなかったことにして、屋敷に戻るの! お父様の誘いに乗らないで!


「シャザード様が? 彼がどうかしたのですか!」


 私の期待虚しく、お姉様が悲痛な声をあげた。そのとき、お父様が微かに笑ったのを、私は見逃さなかった。

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