26. 王女の自覚
「そんな女なんかに、大事な従者は渡さないわ! 私は絶対に、レイに相応しい世界一の主人になるんだから!」
目から涙が溢れて、止まらなくなった。だって、悔しい。私の大好きなレイは、誰よりも素敵なのに。そのレイが、なぜ自分を卑下しなきゃいけないの?
「だから、生きて戻ってきて! レイが戻る場所は、私が守る。私がこの国を支える。立派な王女になる」
泣きじゃくる私の前で、レイは全く動かなかった。主人からいきなりこんなことを言われたら、どう反応すればいいか分からなくて当然だ。
どうして、私は王族なんだろう。レイは私の命令を拒めない。それなのに、こんなバカなことを言って。今まで散々レイを縛りつけてきて、更に恋をする自由まで奪おうとするなんて。
「セシル、俺は……」
「言わないでいい! 困っているんでしょ」
「困る?」
「そうよ。私が意地悪をするから」
「それはどういう……」
「ごめんなさい。私の謝罪を受け取って」
涙を拭いてから、真っ直ぐに顔を上げて、私は立ち尽くすレイを見つめた。
「今、この時を以て、従者の任を解きます。これは命令です。あなたに拒否権はありません」
私の言葉を聞いて、レイは私の前に跪いた。王族の命令は絶対。臣下は従うしかない。レイを自由にするためにすら、私はこうして一方的に権力を行使するしかない。
でも、こんな理不尽な関係は、これで終わる。レイはもう私に縛られない。どこにでも、誰のところにでも。好きなところに行ける。
私が右手を差し出すと、レイはその甲に敬愛のキスを落とす。受諾の表明。
「……王女の命、謹んでお受けいたします」
レイはずっと、私の所有物だった。今、ようやくそれが解消された。レイは私の人形じゃなく、意思を持った人間。体も心も自由。レイが教官の弟子を続けることを、戦いに出ることを、もう誰も止めることは出来ない。それが王女の私であっても。
もっと早く、こうすれば良かった。レイの生き方を尊重して、選択権を与えてあげるべきだった。それが愛するということ。
「どこにでも、好きなところへ。自分のためにでも、国のためにでも。望む道を進んでちょうだい」
そして、私も自分の信じた道を進む。レイのために、大切な人たちのために、私はこの国を決して見捨てない。必ず、豊かな平和をもたらしてみせる。
「さあ、もう行きましょう。教官もそろそろ目覚めているわ」
部屋に戻ろうと、私はレイの手を離そうとした。それなのに、レイは跪いたまま、私の手を握って離さなかった。
「レイ、どうしたの?」
「セシル、俺が戻るまで、もう少しだけ待ってほしい」
「もちろんよ。レイは必ず戻るって、私は信じてる」
「必ず生きて帰る。だから、どこにも行かないでくれ」
「ここにいるわ。私はこの国の王女ですもの」
「約束してくれ」
「ええ、約束するわ」
私は王女。自ら望んで得た身分ではないけれど、その地位に相応しい人間になる。レイに誇れるような人間に、この国の民の幸せを守れる王族に。そのために生きる。
「我が王女に祝福を」
それは王族に使う言葉。レイはこの国の臣下として、教官と共に歩むことに決めたんだ。
「ありがとう。あなたには武運を。心のままに戦いなさい」
そして、私は王女として、臣下や民の命に責任を持つ。それが王族の宿命。
私たちが部屋に戻ると、教官はもう旅支度をしていた。お姉様は私を見ると、微かに頷いた。教官は任務に戻る。そして、レイも。
「セシル、驚かせてすまなかったな。もうしばらく、レイを借りるぞ」
「レイはもう、私の従者ではありません。本人の意思でどこにでも行けます」
「そうか。しばらく見ないうちに、お前はずいぶんと成長したんだな」
「ありがとうございます。お姉様のことは、私にお任せください」
「よろしく頼む。レイは私が必ず守る」
「はい。教官もご無事で。お姉様のためにも」
レイが支度を終えると、私たちは玄関へと移動した。危険な任務に赴く男たちを見送るために。もう二度と会えないかもしれない人たちを、そのまま送り出すために。
「では、行ってくる」
教官がそう言ってマントを翻したとき、お姉様が教官の名を呼びながら、その側に駆け寄った。
「愛してるわ。何があっても、あなたを愛してる。それを忘れないで」
いつも静かで穏やかなお姉様が、こんな風に必死に愛を訴えるなんて。お姉様は泣きながら、何度も何度も、教官への思いを伝える。
「心配しなくていい。また会いに来る」
胸にすがるお姉様の両手に、教官はそっと自分の手を添えた。口には出さなくても、教官はお姉様を深く愛している。誰の目にも、それは明らかだった。
「笑ってくれないか。次に会うまで、この目にお前の笑顔を焼き付けておきたい」
教官がそう言うと、お姉様は涙を拭いて微笑んだ。
お姉様を見慣れている私でさえ、魂が奪われてしまうような美しい笑顔。どうして? どうして、そんな顔で笑えるの? もう会えないかもしれないのに。これが最後かもしれないのに。
そうか。そうなんだ。その人のために、強くなること。それが、その人を愛するということ。
「セシルもだぞ。そんな泣き顔じゃ、レイが心配する」
「ごめんなさい」
「冗談だ。次に会ったときに、笑顔を見せてやればいい」
「はい。ご武運をお祈りいたします」
教官とレイは私たちに頭を下げると、玄関のドアを明けることなく、その姿を消した。その直後に泣き崩れたお姉様を支えながら、私は屋敷の結界が強まったことを感じた。
教官の心。お姉様への愛。何よりも尊いもの。私はそれを、この手に託された。お姉様は私が守る。この国は私が守る。レイのために。全ての民のために。
それは、私に王族としての新たな決意が芽生えた、まさにその瞬間だった。
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