25. 世界で一番
部屋に残された私たちは、久しぶりに二人で朝食を取った。レイが私との距離を取りはじめてから、こんな風に向かい合って食事をしたのは初めてかもしれない。
「訓練所は、どんな様子?」
私に目を合わせることなく、レイはそう聞いた。たぶん、他の話題が見つからなかったから。私たちはいつの間に、こんなに離れてしまったんだろう。
「もうすぐ閉鎖するわ。残っている生徒の進路が決まったら」
「何もできなくて、申し訳ないと思ってる」
「私の力不足よ。王立の施設に王族が通っていたのに、うまく経営できなかった」
「セシルのせいじゃないだろ」
あまり食欲がないので、私はレイが淹れてくれた紅茶を飲んでいた。私の好きな葉茶、私が好きな温度、ミルクと砂糖の量も私好み。レイは私のことなら何でも知っている。私のこの気持ち以外は。
「食事が済んだのなら、庭に出ないか?」
「そうね。少し外の空気を吸うのは悪くないわ」
レイが立ち上がって、私に手を差し出した。その手に私の手を重ねる。そして、レイが私の手を離せないように、ぎゅっと握った。手を繋ぐくらい、レイもきっと許してくれるはず。
思った通り、レイは私の手を振りほどいたりはしなかった。ただ、強く握り返してくれることもない。
早朝の庭は朝焼けに照らされ、草花に降りた露がキラキラと輝いていた。この世界に生かされているもの全てを祝福するような、平和な光に満ちている。
「美しいな。昨日までいた世界が、うそみたいだ」
「そんなに違う?」
レイは黙って空を見上げた。雲一つない快晴だった。
「大地も空も、世界はつながってる。でも、この平和はどこにでもあるものじゃない」
「ええ。今もどこかで、紛争や飢餓に苦しむ人がいる」
「師匠は、死ななくていい人たちを死なせたくないんだ」
分かっている。教官は私たちを忘れたんじゃない。私たちを守るために、見えない何かと戦っているんだ。それはたぶん、争いを避けるための戦い。多くの人々を、国の思惑や私欲の犠牲にしないための。
「勝算はあるの?」
「どうだろうな。分からない」
「死んでしまったら意味ないわ。生きていれば、やり直せる。今は無理でも、いつか……」
「そうかもしれない。でも、その『いつか』が今じゃないとは、誰にも分からないんだ」
「死ぬのが怖くないの?」
「真の魔術師なら、人の命を救うために死ねる」
おばば様は、教官は後継者にはなれないと言った。賢者になるには、情が深すぎると。教官は賢者として生きるのではなく、魔術師として死ぬ道を選んだ。命をかけて、愛する者たちのために戦うことを。
「師匠は、自分だけが生き残ることを恐れてる」
「自分だけ?」
「フローレス様を失ったら、師匠は壊れてしまう。彼女がいない世界に残される恐怖から、決して逃れられないんだ」
「それなら、お姉様と逃げればいいのよ! 二人でどこか、誰も知らないところに」
「それができるなら。でも、もう遅い。逃げ切れないところまで、全てが進んでしまった」
「お父様ね。そんな風に教官を追い込んだのは」
トリスタン元首が率いる共和国。万民のための国。それが、お父様には脅威になる。何を置いても、消さなくてはいけない火種のように。
「教官は、お姉様を残して死ぬつもりなの?」
「残して逝けるなら、とっくにそうしてた。師匠にはもう、勝つまで戦い続ける道しか残ってない」
「どうして……」
レイは目を伏せて、小さく息を吐いた。
「師匠のためなら、フローレス様は迷わず死を選ぶ。愛する人を死なせないために、師匠は勝ち続けるしかないんだ」
お姉様は教官の誇りを、教官はお姉様の命を守りたい。深すぎる愛が、互いを破滅に向かわせているの? 私にもいつか、そんな激しい思いが押し寄せてくるんだろうか。相手と自分を闇に飲み込んでしまうような。
「それでも、レイは教官と一緒に戦うの? 教官のために?」
「違う。俺が戦うのは、自分の欲のため。単なるエゴだよ」
「レイにも、失いたくない人がいるのね」
レイは、その質問には答えなかった。ただ、私を真っ直ぐに見つめるだけで。
「早く、誰もが認める大魔術師になりたいんだ」
「だから、危険な任務も厭わないってこと?」
「ああ」
「そのために死んでも?」
「そうだな」
「その人は、そんなことに納得してるの? レイが勝手に、生きたり死んだりすることに」
「さあ。どうだろう」
「バカみたい! レイのことなんか、死んだら忘れちゃうわよ。女なんてそんなものよ!」
「それでいいんだ。生きるなら、彼女に釣り合う男になりたい。死ぬのなら、俺の存在は消してくれればいい」
そんなに好きなの? その人のためだけに、生死の全てを賭けるくらいに。胸が苦しい。心が痛い。レイはその人を本当に愛してるんだ。
でも、それでもいい。レイの命が助かるなら、レイが誰を好きだってかまわない。私がレイの恋を成就させてあげる。だから、レイにはどうしても生きてほしい。
「出世したいなら、私がお父様に頼むわ。爵位がほしいなら、聞いてみる。王宮付魔術師になれば、難しいことじゃないわ」
「何の話だ? やめてくれ。そういうことじゃないんだ」
「どうしてよ。そうすれば、もう戦いに出なくて済むじゃない! 生きて幸せになれるのに」
「欲しいのは、出世や爵位じゃないんだ。彼女の前に立って、恥じない人間になること」
「なんなの、それ。どこの女の話よ! レイのどこに、恥じるところがあるって言うの?」
「セシル……」
「レイはバカよ! レイは世界で一番なのに!」
感情的になっている自覚はあった。でも、理性ではもう止められない。レイの好きな人は、どうして私じゃないんだろう。そう心が叫んでいた。
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