23. 美しいだけの器

 背中からギュッと抱きしめると、震えでこわばったレイの体から、ふうっと力が抜けた。よかった。そう思って安心したとき、レイが焦ったような声を出した。


「こんなのはダメだ。すぐに離れてくれ」


「しーっ! レイは大人しく寝て。眠れば回復するから」


「……セシル」


「いいから」


 私が譲らないと観念したのか、レイはそれ以上は何も言わなかった。こんな風に、レイを抱きしめたことなんてない。心臓が早鐘のように鳴っている。

 レイに聞こえたら、どう思うだろう。私の気持ちに気づいてくれる? レイが好きだから、こんなにドキドキしているって。


 そんな期待は虚しく、まるで意識を失うみたいに、レイはすぐに眠りに落ちた。気丈にしてたけど、やっぱり相当の無理をしていたんだ。これでいい。今はとにかく、体を休めることが重要だ。レイが元気になってくれるなら、他のことはどうでもいいんだ。


 教官を助けるために、生き残るために、ここまでたどり着くために。レイはどれだけ頑張ったんだろう。こんなにボロボロになるまで。


 レイが生きていてよかった。心からそう思った。


 もう二度と、こんなことはごめん。レイを止める方法を、真剣に考えなくちゃ。じゃなきゃ、きっと私が後悔する。


 レイは魔術師の弟子として、師匠である教官から離れない。教官が戦うかぎり、レイも戦い続ける。教官を止められるのは、もうお姉様だけ。お姉様だけが、教官とレイの命を救える。


 朝になったら、お姉様と相談しよう。きっとお姉様も賛成してくれる。教官とレイを引き止めてくれる。お姉様だって、教官に死んでほしくないはずだから。


 明け方になったころ、隣の部屋から物音が聞こえた。お姉様の……泣き声?まさか、教官に何かあったの?


 ベッドから跳ね起きて、ドアに向かおうとした私の腕を、レイが掴んだ。いつの間にか、レイも起きていた。


「レイ、もう大丈夫? 熱は下がったのね。教官に何かあったのかもしれないの。お姉様の声が!」


 レイは唇に人差し指を当てて「しっ」と言ってから、黙って首を振った。


「教官は命がけだ。邪魔をしないでくれ」


 お姉様の声が、徐々に甘い嬌声に変わっていき、私にも二人が何をしているのか分かった。あんな状態で、体力を消耗するような行為をするなんて!


「こんなときにすることじゃないわ! 完全に回復したわけじゃないのよ」


「こんなときだから。命の瀬戸際だからこそ、子孫を残す力だけは強まる。好きな女を抱きたくなるのは、男の本能だ」


 戦場周辺の街に娼館が集まるのは、生と死の狭間に立った兵士のため。性の欲求は男たちの種の保存本能を満たすため。知識として知っているけれど、そんな場面に立ち会ったことはない。


「レイも、そうなの?」


「そうだな。軽蔑した?」


 レイには、好きな人がいるんだ。その人と命を繋ぎたいと思っているんだ! 同じベッドにいても、私には触れてこない。レイが好きなのは、私じゃない……。


「別に。したいならすれば?」


「……いいのか?」


「反対する理由、ないでしょ」


「本気にするぞ」


「教官が回復するまで、まだ時間かかるわ。レイもご自由にどうぞ」


 レイを見送るのが辛くて、私は逃げるように起き上がった。そして、ベッドサイドから床に足をつけたところで、視界が反転した。

 レイが私の両手をつかんて、覆いかぶさっている。何が起こったの? レイは何をしてるの?


「……セシル、なんで泣いてるんだ?」


 なんでって、泣くのは悲しいから。レイに好きな人がいるって知って、どうして私がショックを受けないと思うの? 他の人となんて、寝てほしくない。そんなこと聞かされたら、苦しいに決まってる! レイが他の女を抱くなんて嫌。絶対に嫌だ。


「嫌だから」


 思わずそう口にすると、レイはそのままでしばらく目をつぶり、黙って私から離れた。そして、私の肩を掴んでベッドから引き起こした。


「しないよ。セシルが嫌なら」


 そう言ったレイは、ものすごく辛そうだった。どうしよう。私のわがままのせいで、レイがこんな顔をするなんて。レイを困らせるなんて!


「私のことなら、気にしなくていいから」


「そんなこと、できるわけないだろ!」


 どうして? 私が主人で、レイは従者だから? 私が主人であるかぎり、レイは恋もままならないの?


 レイの幸せのためには、早々に、この主従関係を解消しなくちゃいけない。でも、そんなことできる?私とレイの繋がりは主従関係だけなのに。レイが私から自由になって、永遠にどこかに行ってしまうなんて。考えただけでも気が狂いそう。


「いいわ。もうこの話はなし。具合は大丈夫そうね。メイドがくる前に、着替えを手伝って」


「……承知しました」


 レイに背を向けて、私は姿見の前に立った。


 容姿だけで王を誘惑できた母親譲りの美貌も、まだ未成熟ではあるけれど、それなりに人からうらやまれる肢体も、レイにはなんの魅力もないんだ。


 私はため息をついて夜着を脱ぎ、下着姿で鏡を見つめ直した。


 ただ美しいだけで、意味のない容れ物。なんの役にも立たない、ただの器。そして、その中に入っているのは、自分勝手な欲で好きな人を縛り付ける暴君。


 レイが私に惹かれないのは、考えてみれば当たり前のことかもしれない。その証拠に、私のこんな姿を見ても、レイはなんの反応も示さない。

 レイは無表情のまま、私にドレスを着せ、背中のボタンを留める。肌に触れるレイの手は冷たくて、なんの感情もない人形みたいだった。


 教官と愛の喜びを分かち合うお姉様を、今ほど羨ましいと思ったことはない。いつの間にか、私は大人になっていた。

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