22. 命を救うために
お姉様に抱きかかえられるようにして、教官が上体を起こす。
「教官! 意識が戻ったんですね! よかった。すぐに救援が来ますから」
「……セシル、誰にも知らせないでくれ。私はもう大丈夫だ」
「何を言ってるんですっ。死ぬところだったんですよ! 聖女の癒やしが必要です」
目覚めただけで、立ち上がる力もない。ここまで弱っていたら、聖女様でも全快は難しい。これから、体が生きようと悲鳴をあげるはず。熱だって上がるし、適切な処置を医師に指示してもらわなくちゃいけない。
「師匠の言う通りにしてほしい。俺からも頼む」
「レイまで、何を言うの!私たちだけじゃ無理よ。危険だわ」
「……頼む。陛下の耳に入れば、任務失敗と見なされる」
「任務って。命より大切なものなんて、この世にはないわ!」
一体、どんなプライド? 高位魔術師だって人間だもの、一度や二度の失敗なんか、たいした傷にはならない。
「お願い、セシル。連絡はもう少しだけ待って。レイ、シャザード様を私の寝室に運べる?」
お姉様がそう言うと、教官は安心したように目を閉じた。レイは教官を肩に背負うと、階上へと移動を始めた。その間に、私はキッチンに走って、教官が口にできそうなスープやミルクを調達した。
お姉様の部屋に入ると、熱にうなされる教官の服を、お姉様が脱がしているところだった。意識が戻ったとはいえ、危険な状態は続いている。
「お姉様、やっぱりお医者様を」
「セシル。少しだけ私に、時間をちょうだい。熱さえ下がれば……」
そう言うと、お姉様はスルリとガウンと夜着を脱ぎ捨てた。体温で教官の体を温めるの? 熱だけじゃなくて、魔力も生命力も吸われてしまう! お姉様が身代わりになったら……。
教官を抱きしめて横たわったお姉様を見て、レイが私の腕を引いた。
「フローレス様に任せよう。もしものときのために、近くで待機すればいい。使える部屋はある?」
「でも、それじゃ、お姉様が……」
「教官がフローレス様を危険に晒すはずない。それだけは確かだ」
そうだろうか。分からない。でも、今はレイとお姉様を信じるしかない。
「分かったわ。隣の部屋で待ちましょう」
柔らかい布地の夜着に着替えさせてから、私はレイをベッドに寝かせて、そのそばに座った。レイも体力を回復させる必要がある。
「レイ、少し休んで。私が側にいるから大丈夫よ」
「手を、握ってくれないか?」
こんなこと、初めて言われた。レイが私に甘えるなんて。まだまだ回復していない証拠。
「珍しく弱気なのね。何があったか、話してくれる?」
レイは慎重に言葉を選んで、私の質問に答えた。
「北方を探っていて、罠にはまった。こっちの動きなんて、お見通しだったんだ。師匠が失敗するなんて……」
北方? 北の共和国のこと? レイたちは、あの国に潜入していたんだ。それなら、お父様の命令だ。任務の内容は、おそらく共和政治の崩壊。元首の暗殺も辞さないはず。
「遂行不可能な任務なら、それを報告する義務があるわ。知らせなければ、他の者の命が犠牲になる。そんなこと、教官だって分かっているはずなのに」
「師匠は失敗できないんだ。フローレス様のために」
「どういうこと?」
レイを握る手に、つい力が入ってしまった。その手を、レイがぎゅっと握り返してくれる。その強さが、現実の厳しさの証拠だった。
「あの国の勢力が削げなければ、陛下は懐柔策を取る。王族から人質を送るんだ」
「それがお姉様ってこと? どうして……」
「陛下は、師匠を使って目障りを排除したい。フローレス様は、その師匠を動かすための餌なんだ」
「でも、それならお姉様を人質にするわけない。教官が向こうについたら、困るのはお父様よ」
「この任務に失敗したら、師匠であっても切り捨てられる」
「消されるってこと? 無理だわ。教官を殺せる者なんて、世界中探しても……」
いないはず……、だった。でも、その教官は今、瀕死の状態だ。レイを助けるために負った深手だと。弟子の命を守るため、教官は自分の命を顧みずに戦う。おばば様が言ったこと。情の深さ。それが教官を死なす。
「殺す必要はない。師匠はフローレス様のためなら、命など惜しまない」
お姉様の命と引き換えに、お父様は教官の死を要求するつもりなんだ。愛が教官の命を奪う。お父様にとって、お姉様は人質。教官を意のままに操るための。実の娘の命すら、自分の権力の道具。王女の代わりなんて、いくらでもいるから。
「でも、教官の代わりになる魔術師は、世界中探しても……」
いない……、とは言い切れない。おばば様とアレクなら、教官に対抗できる。そして、誰よりもレイがいる。彼の実力は、すでに教官に追いついている。
「レイは教官の味方でしょう? それなら、お父様の企みは成功しないわ! レイまで失ったら、この国は……」
「陛下は冷酷だ。すでに次の手を打ってる」
「次の手? 教官だけじゃなく、レイまで敵に回したら、この国はどうやって生き残るの!」
「陛下が望むのは、魔力の強い王孫。この国には魔力の強い王女がいて、隣国には師匠に匹敵する魔力を有する王太子がいる」
「私とアレクってこと? まさか……」
アレクとの縁組。ありえない話じゃない。隣国を取り込むことができるなら、きっとお父様はなんでもする。でも、私はそんなこと承知しない。だって、私には他に好きな人が……。
気がつくと、レイの手が微かに震えていた。熱が出てきたんだ。回復薬では、やっぱり完全に体力を戻すことはできない。
「レイ、ちょっと待って。今、治癒魔法を」
「大丈夫だ。魔力は教官のためにとっておいてくれ。少し寒いだけだから、じきに収まる」
そう言いながら、小さくカタカタを震えるレイを見て、私は意を決した。
「レイ、こっち向かないで」
私はそう言うと、羽織っていたガウンを脱いで、そっとベッドの中に潜り込んだのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます