20. 悪魔の罠

 レイが去った後、私はなんとか泣かずに、お姉様の部屋までたどり着いた。


「どうしたの? レイと喧嘩でもした?」


「喧嘩なんてしないわ。私は王女でレイは従者。喧嘩ができる関係じゃないもの」


 そう言ったけれど、涙がどんどん溢れてきて、もう止めることはできなかった。お姉様は何も言わずに、私を抱きしめてくれた。


「お姉様、私、もう王女なんていや。この国から出て、どこか知らないところに行きたいの」


「ここを出てどこかに行って、それでセシルは何をしたいの?」


「レイと対等な人間になるの。それでレイにちゃんと謝って、レイがどうしたいのか聞いて。それで、レイとね……」


「セシルはレイばっかりなのね。それなら、レイのいない国に行ったら、意味がないわよ。レイと一緒に行かないと」


「それは無理。レイは来てくれないわ」


「そうかしら? レイの気持ちは、レイに聞かないと分からないわよ」


「そんなの、分かってる。でも、聞くのが怖い」


 私の答えを聞いて、お姉様は優しく微笑んだ。


「そうね。その気持ち、よく分かるわ。私たち、やっぱり姉妹なのね。よく似ているわ」


 お姉様はそのまま、私が泣きつかれて眠るまで、ずっと抱きしめてくれていた。私たちがこうやって好きな人を思っている時間に、彼らはどこで何を考えているんだろう。レイは私のことを思い出すときがあるんだろうか。


 翌朝、レイは何事もなかったかのように、私と一緒に訓練に戻った。ただし、もう今までのように普通には話してくれない。ずっと敬語。


 そして、それ以来ずっと、そういう状態が続いている。


 レイとの距離が遠くなってから、私は前よりも頻繁にお姉様の元を訪れるようになった。元々、教官に与えられた屋敷なので、施設や王宮にも近い。


「セシルは意地っ張りね。レイには、本音でぶつかっていいと思うわよ」


「それなら、お姉様だってそうでしょう? 教官に、ガツンと言ってやればいいのよ!」


「あらあら、やぶ蛇だったわね。そうね、人のことは言えないわね」


「そうよ。人のことより、自分の心配をして!」


 結局、教官の気持ちは、お姉様には伝えなかった。レイの言う通り、私がしゃしゃり出る幕じゃない。二人のことは、二人に任せるべきなんだ。


 分かる者には分かる。この屋敷とお姉様には、あれからずっと教官の強固な結界が張ってある。一切の邪悪なものを、完全に排除するために。


 教官はずっとお姉様を隠して、守ってきたのかもしれない。お姉様の身の安全のために。自分の敵から、お姉様に害をなす全てのものから。

 だから、いつも目立たないように、ひっそりと訪ねてたんだ。この世でたった一つ、どうしても失いたくない恋人のために。


 そんな気持ち、私が話していいことじゃない。お姉様はきっと、教官の口から聞きたいはずだから。


『あれの情の深さが心配でのう。あれがここにいる理由は、恋人のためだけじゃ』


 おばば様の言葉を思い出した。お姉様への強い執着が、教官の唯一の弱点。そこを突かれたら、教官は崩壊する。だから、賢者の後継者にはなれない。


 そう言えば、レイも賢者の後継者にはなれないと言われた。でも、どうしてだったっけ?  そうだ、対戦で私をかばったから。その優しさが毒。そこを突かれたら……死ぬ?


 レイを失う恐怖に、体が震えた。


 やっぱり魔術師の弟子は、もう辞めてもらおう。私がこの施設を出れば、レイは従者である必要はない。レイは何があっても絶対に死なせない。もう危ない目に合わせたくない。


 王女であることを捨てられないのなら、それを最大限に利用して、レイを守ってみせる。私は誰よりも強くなる。


 教官とレイがいない期間、私は魔法の訓練だけじゃなく、勉強に打ち込んだ。いつか必ず、お父様を超えることができるように。レイだけじゃなく国民全員が安全に暮らせるように。この国に、かつてない黄金期をもたらすために!


 そんな私の努力も虚しく、教官の不在期間が増えれば増えるほど、施設は崩壊に近づいていった。講師である多くの魔術師が去り、優秀な生徒は貴族や他国の富裕層に引き抜かれていく。


 残っているのは、数名の志高い講師陣と、他に行くところがない生徒たち。そして、私だけだった。お父様は、教官が創設した施設の立て直しに、なんの興味も持ってくれない。


 そして、当の教官もますます任務に没頭するようになった。それに同行するレイにも、ほとんど会うことがなくなった頃、私は十七歳になっていた。


 事件が起こったのは、そんなときだった。あの夜、私は嫌な胸騒ぎを覚えて、お姉様の屋敷へと馬車を走らせた。


 大切なものを失ってしまうような焦燥感が、なぜか後から後から押し寄せてきて、いても立ってもいられなくなったから。大きな危険が迫っているような気がして、そこに呼ばれているような気がしたのだ。


 そして、その予感は的中した。


 お姉様の屋敷にたどり着いた直後に、私は自分を導いてくれたものに感謝した。たとえ、それが破滅を呼び込むための罠だったとしても。そのときの私は、喜んで悪魔に魂を売ったと思う。


 私たちのところに飛び込んで来たのは、重症を負ったレイと瀕死の教官だった。

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