19. 余計なお世話

 レイを怒らせてしまったのかもしれない。施設にいるのに、夜には自分の部屋に籠もってしまう。楽しみにしていた任務中の冒険の話は、もうしてくれない。

 朝も夜も、食事の時間はどこかに消えてしまう。訓練が始まるときには、きちんと私の側に控えているのに。


 理由には思い当たることがある。私が教官の秘密を、お姉様にバラそうとしたから。だって、あの二人はすれ違っているんだもの。ほんのちょっとの後押しで、もっと仲良くなれるのに。


「絶対にダメだ。そういうのを、余計なお世話だと言うんだ。師匠には師匠の考えがある。他人が口出ししていいことじゃない」


 教官は、お姉様を愛している。


 お父様から報奨の打診をうけたとき、教官はお姉様の降嫁を願ったそうだ。その希望を聞き入れるにあたって、お父様から出された条件は、魔力の強い王孫をあげること。


 そのお姉様は、未だ懐妊の兆しはない。


「だって、お姉様は誤解しているのよ。教官がしかたなく通っていると思っているの」


「そんなわけないだろ! あの教官が、あれだけ大切にしているのに」


「どこがよ! たまに夜にふらっと来て、朝になる前に帰ってしまうのよ。しかも、ずっと剣だけは離さないって」


「当然だろ。あんな無防備なときに、男が魔法なんか使えるか」


 どういう意味? まさか経験からの意見?レイはもう、そういう相手がいるってこと?


「何よ、それ。レイも教官も不潔だわ! お、女遊びばっかりして。そんなだから、寝込みを襲われたりするのよっ」


「遊びじゃない。任務に必要な仕事だ。魔法が使えないほど、溺れたりしない。行為の意味が違うんだ」


「意味分かんない! さっき魔法は使えないって言ったじゃない!」


「好きな女と、遊び女だぞ。比べる対象じゃないだろ」


「どういう言い訳? 結局は女を利用して、自分たちが楽しんでいるだけじゃない」


「目的のためだ。愛する者を守るために、しかたがないんだ」


「じゃあ、愛してない女は、適当に扱っていいってこと? 好き勝手にたくさんの女を食べ散らかして、そのまま放置しているのを正当化するつもり?」


「彼女たちも仕事だ。快楽と金銭を与えて、情報や協力を得る。必要悪だ」


 娼婦の仕事が何かなんて、私だって分かっている。でも、彼女たちも私と同じ女性。そばにいたら、レイを好きにならないはずない!


 だって、私がそうだから!私はレイが、好きなんだもの!


 そう自覚して、私は胸が締め付けられた。私はレイが好き。ずっと好きだった。たぶん、初めて会ったときから。あのときはまだ幼くて、この気持ちが何なのか分からなかっただけ。


 好きだから、他の誰にも取られたくなくて。だから、無理やり自分のものにした。レイが断れないのをいいことに、王女の身分を利用してレイを縛り付けた。それこそ、従者という仕事で。


「なんで泣くんだ。そんなに俺が嫌なのか?」


 レイにそう言われて、初めて自分が泣いているのに気がついた。


 違う。嫌なのはレイじゃない。レイにずっと理不尽な主従関係を強いているのは私。そんな自分が嫌。


 でも、そんなこと言えない。言いたくない。


 だって、認めてしまったら、レイを手放さなくちゃいけなくなる。貴族の不正や腐敗を許さないなら、まずは王族の私から律しないといけない。じゃなきゃ、私はお父様と同じになってしまう。


「どうしたらいいか、分からないだけ。お姉様にも教官にも、何が正しいのか分からない」


「他人のことなんて、誰にも分からない。教官とフローレス様のことは、あの二人で解決するべきだ。俺たちが介入して、いいことなんてない」


 そうかもしれない。でも、それなら私たちは? レイはどう思っているの?


「じゃあ、レイは? 本当はどうしたいの?」


「本当は?」


 レイは思いがけない質問に、戸惑ったような表情を見せた。


「従者の任を解けば、教官の弟子をしなくていい。いやな仕事を押し付けているのは、私じゃないの?」


「どういう思考回路で、そういう結論になるんだ。最上級クラスにいるために、教官の弟子をしているって言っただろ?」


「レイはもう、あのクラスで学べることなんてないわ。講師より強いんだもの」


 私の言葉を聞いて、レイは顔を強ばらせた。


 本当のことじゃないの! あのクラスでは、もう私のお守りをするだけで、レイのためになることはない。


「あのクラスにいるのは、セシルがいるからだ。そう言ったろ?」


「だから、私のわがままのせいで、レイに不本意な仕事をさせてるんじゃない? レイのためには、従者なんて、もう辞めたほうが」


 ガチャンと音を立てて、ティーカップが倒れた。レイが急に立ち上がったので、私が驚いて手を離したから。ハーブティーの赤い色が、真っ白なテーブルクロスに染みを作る。


「この話は、もうやめよう」


 怒られると思ったのに、レイはなぜかすごく悲しそうな顔をして言った。こんな顔、初めて見た。どうしよう。私は何か取り返しのつかないことをしてしまったんだ。


「ごめん。レイ、私……」


「主君が臣下に謝る必要はありません。すべては私の落ち度です。罰を与えてください」


「そんなこと! レイが悪いんじゃないのに」


「では、下がってもよろしいですか」


 どうして急に敬語を使うの。二人っきりのときは、ずっと普通に話してきたのに。レイからはっきりと線を引かれた気がした。私はレイの主。それ以外の何でもない。だから、それより先に踏みこむなと。もう黙っていろと。


「……許します。下がりなさい」


 物音を聞きつけて、メイドがテーブルを片付けに来た。私はこっそり涙を拭って立ち上がり、レイは臣下として私の前に跪く。誰が見ても、高慢な王女と哀れな従者の図。


 でも、こうしなくてはいけない。私は王族。この国の王女。レイに選択がないのなら、私が正しい道を示さなくてはいけない。それが主の務め。


 私は毅然とした態度で、レイに背を向けた。そうするしかなかった。

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