18. 教官の至宝
「お父様と教官は違うわ。教官はどんなことがあっても、お姉様を見捨てたりはしない。おばば様の弟子ですもの」
礼節と秩序を重んじるおばば様。その直弟子の教官が、いらなくなったからと女性を放り出すようなことはしない。しないと思いたい。
「ありがとう。そうだといいわね」
お姉様はいつものように、優しく笑った。
「早く身ごもりたいわ。でも、これはエゴね。子どもができても、愛されるとは限らないのに」
「教官は絶対に、お姉様のことを愛しく思ってるわ!」
私は拳を握りしめたまま、そう力説した。でも、お姉様には、それは上手く届かなかった。
「ふふ。子どもで愛を得ようなんて、みっともないわね。だから、愛していただけないのかもしれないわ」
お姉様は寂しそうに、そう言っただけだった。次々にパートナーを替えて踊る教官と、会場の片隅でそれを見守るお姉様。王女だと言うのに、まるで置物のように放ったらかされたまま。
ここが共和国だったら、教官とお姉様は対等だった? レイだって、私の従者なんかにならずに済んだ? 私たちは身分を利用して、彼らの自由を奪っているのかもしれない。そう思うと、罪悪感に襲われた。
結局あの後、私たちは誰からもダンスに誘われることはなかった。適当な時間を見計らって会場を出ると、まるで待ち構えていたかのようにレイが姿を現した。
え、なんでレイが?
「フローレス殿下。師匠の命にて、お屋敷までお送りいたします」
「シャザード様の? でも、レイはセシルを迎えにきたんでしょう?」
「はい。セシル様も一緒にお屋敷にお連れいたします。今宵は、そちらでお過ごしいただくようにと」
お姉様の屋敷に泊まるのはいいけど、なんで教官がそんなことを?
そう思ったとき、レイが私たちの周りに、強固な結界を張ったのに気がついた。よく見ると馬車にも不可視の護符が施してある。どういうこと?何かあるの?
「お姉様、今夜泊まってもいい?」
「もちろんよ。レイも一緒にね」
それは決まっていたはず。レイが用心棒を務めるなんて、何か危険があるのかもしれない。
お姉様は何も気がついていないらしい。馬車に同席するレイに、あれこれと話しかけている。どうせなら、教官のことをもっと聞けばいいのに。なぜか私の話ばかり。
レイもレイよ。楽しそうに私のことを話しているけど、お姉様が本当に聞きたいのは、そんなことじゃないのに。男子って、本当に気が利かない!
「私、レイとちょっと話があるの。お姉様は先に休んでいて!」
私がそう言うと、お姉様は心得ていたとばかりに頷いた。え、何、その顔。なんか、ちょっと、勘違いされてる?
「あまり遅くまではダメよ。節度を持ってね」
「ちょっと、お姉様! 変なこと言わないで」
「はいはい、邪魔者は消えるわ。レイ、お願いね」
「承知しております」
お姉様が去ってしまうと、私はレイの手を引っ張って応接室に入った。メイドが用意してくれたお茶を飲みながら、早速、核心に迫る。
「どういうこと? なんで警護を? こんなに強い結界まで張って!」
屋敷全体を包む魔法陣。どう考えても襲撃に備えたものだ。今夜、何かが起こるなら、教えておいてもらわないと。私も魔法を学ぶ者。お姉様を助けるためなら、魔力の出し惜しみはしない。
「それはこっちのセリフだ。うかつにあいつに近づくから」
「あいつ?」
「トリスタン元首。北方の共和国の」
今夜、私たちが交流を持ったのは彼だけ。でも、なんでレイが知ってるの? まさか、どこかからそっと見ていた?
「あの人は、教官の知り合いでしょう? ずっと一緒にいたわ」
「師匠はあいつを牽制してた。側にいたのは監視のため。あの男は得体が知れない」
「そんな風には見えなかったわ。穏やかな紳士よ」
そう言いながら、あのときの背中が凍りつくような寒気を思い出した。強い意志の力。確かに、理由を説明できないような畏れを感じた。魔術師の勘が、私に警告していたのかもしれない。
「あいつには何かある。それを調べるのが任務だ」
「じゃあ、教官はそのために、敢えて彼に近づいているの?」
レイは黙って首を縦に振った。その真剣な顔に、私が思うよりも、これがずっと危険で難しい任務だということが分かった。
「大丈夫なの? 諜報対象を抱き込むなんて、そんなに簡単じゃないわ! 危険ならむしろ距離をとったほうが」
「分かってる。最近の教官はちょっとおかしいんだ。いつもなら、もっと時間をかけるのに、功を焦っている気がする」
「どうして?」
「陛下のせいだ」
お父様の依頼なの? だったら、教官はそんなに焦る必要はないはず。お父様が懐柔したい魔術師の筆頭は教官で、だからこの屋敷を与えたんだもの。お姉様という美しい宝物をつけて。
「よく分からないわ。お父様の依頼なんて、教官へ報酬を与えるための口実でしょ?」
「報酬を与えない口実の間違いだ。教官が唯一望むものを、陛下はずっと許していない」
あの教官がほしいものなんて、お姉様からも聞いたことがない。高位魔術師として、世界中から畏怖され崇拝されている教官に、手に入らないものなんてあるの? 身分だって、望めばすぐに爵位を貰えるはず。
「そんなにすごい宝物なの? 魔道具とか?」
「違う。もっと価値があるもの」
ええっ! まさか、反魂術とかの秘宝? そんなもの、本当に存在するの?
「レイは、何か知ってるの?」
「ああ、セシルも知ってるはずだよ」
「そんな秘宝、知らないわ」
そう答えた私の目を真っ直ぐに見ながら、レイは真剣な顔でこう言った。
「フローレス様だよ。陛下は王女と師匠の結婚を承諾しないんだ」
レイの言った意味がよく飲み込めなくて、私はしばらく口をきくことができなかった。
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