17. 抜き身の剣

 北方の共和国、トリスタン元首。怖いぐらいのカリスマ性を持った人。


 新興勢力とはいえ、共和制は封建制と真っ向から対立する政策。そのトップをわざわざ招いておいて、謁見すら許さないなんて。


 お父様は、この国の統治者として、一体どんな未来を描いているの?


 私と踊った後、彼は教官に連れられて宰相様に挨拶に行った。この国の貴族とのコネを作ること。それが彼の目的なのは明白だった。


 でも、なぜその橋渡し役を、教官が務めているんだろう。同じ平民だから?


「美しい方ね。とても男性とは思えないわ」


 私の横で、お姉様がため息をつくように、そっとつぶやいた。無意識に出た言葉だとは思うけど、頬が赤くなっているのは見逃せない!


「お姉様、浮気はダメですよ! 教官は怒ったら怖いんですから!」


 私がそう言うと、お姉様は驚いたように、すぐに聞き返してきた。


「怒るって、シャザード様が? セシルを?」


「私じゃなくて、レイですけど。ものすごく怖いらしいですよ!」


 お姉様はそれを聞いて、すごく楽しそうにクスクスと笑った。やっぱり、お姉様には笑顔が似合う。会場中の男性が見とれてしまうくらい、その笑顔は美しかった。


「そうなのね。シャザード様が怒るなんて。レイには、とても気を許しているんだわ」


「お姉様は、教官と喧嘩しないんですか?」


「しないわ。怒られたこともない」


「あらら。溺愛されてるって、惚気けてます?」


「まあ、溺愛って! どこでそんな言葉を覚えてくるの?」


 お姉様は、目を丸くした。そりゃ、恋愛小説とか、盗み聞きとか? 他にも色々と。私だって、恋に憧れる乙女だし。


「教官って、お姉様といるときは、どんな感じなんですか?」


 何気なく尋ねただけだったのに、お姉様は少し目を伏せた。好きな人のことを考えているのに、どうしてお姉様は悲しい顔をするんだろう。


 遠くで貴族に囲まれている教官を見つめる顔からは、もうあの素敵な笑顔は消えてしまっていた。


「私のところにいても、シャザード様は警戒を解かないわ。情を分けてくださっていても、必ず抜き身の剣をそばに置くの。いつ誰に襲われても、すぐに戦えるように」


 情を分けるって、えーと、そういうときも、剣だけは鞘から抜いて、手の届くところに置くってこと? お、お姉様ってば、なかなか、キワドイことを言うのね。想像してしまうじゃない!


「それは、任務中の癖みたいなものじゃないですか? そういうときも、敵襲があるかもしれないから」


 言ってしまってから、私は猛烈に後悔した。任務中にそういう状況になるとしたら、それこそ教官の浮気。お姉さま以外と、そういう行為をしている証拠だ。レイが言ったように、娼館とかそういう場所で。


「お姉様、ほら、野宿とかね。寝ているときでも、魔物が襲ってくるかもしれないから! きっと、眠るときの癖なのよ! レイがそんなこと、言ってた気がするしっ」


 聞いたことないけど、たぶんそう。絶対そう!帰ったら早速レイに聞かなくちゃ。で、もし万一そうじゃないなら、話を合わせてもらう!


「シャザード様は、私のそばでは眠らないわ。いつも、夜が明ける前に、屋敷を出ていかれるの」


「ええっ、知らなかった。じゃあ、教官、どこで寝てるの?」


「分からないわ。どなたか、心から安らげるお相手のところかもしれない」


 あの屋敷は教官に下賜されたもの。だから、教官の自宅はあそこでしょう? それなのに、お姉様とは、たまの体だけの関係なの?


「お姉様! そこは怒って問い質すところよ! お姉様は教官の……」


 正妻……、じゃない。二人は正式に結婚していない。ずっと恋人同士だと思っていたけれど。もし、本当にお姉様がお父様から贈られた褒美だとしたら、それも違う。


 お姉様と教官の関係って、一体何? 教官はお父様の手前、たまに通って体裁を取り繕っているだけ? お姉様を好きじゃないの?


「彼はね、私の閨指導担当だったのよ。でも、要は種馬ね。お父様は彼の強い魔力を継ぐ孫が欲しいの」


「それって……。お姉様は、魔力が強い子を産むためだけに、シャザード様と?」


 私が心配そうな声を聞いて、お姉様は静かに首を振った。


「私は彼を愛してるわ。ずっと昔から。彼の子どもを産んであげたい。あの人はひとりぼっちなの」


 教官の素性は知らない。おばば様からも聞いたことはなかった。ひとりぼっち……。レイみたいに孤児だったのかしら。レイも家族が、子どもがほしい?


 そう思うと、急に顔が火照った。ま、待って! レイの子どもを産むとか、そんなエッチなこと考えてない。絶対ないから!


「赤ちゃんって、その、そういうことしなかったらできないでしょう? だったら、もっと教官に……」


 違うっ! そういうことを言いたいんじゃないの! 回数とかじゃなくて、その、気持ちの問題というかなんというか。


 お姉様は、私の失言を責めることなく、穏やかな声で会話を続けた。


「そうね。もっと愛していただかないと。私に魅力がないのね。子が産めなければ、いずれはお父様にもシャザード様にも見限られるわ」


「そんなこと! お姉様は王女なのよ。教官にはもったいないくらいだわ」


「本当に、そう思っている?」


 お姉様にそう言われて、私は何も言い返せなかった。私たちが王女でいられるのは、お父様にとって利用価値があるから。それがなくなったら、紙くず同然になる。


 私は黙って俯いて、手をギュッと握りしめることしかできなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る