6. 甘党だけど甘いもの禁止
訓練所に戻ろうとすると、マリアがバスケットからクッキーの袋を差し出した。
「これ、レイに渡していただけますか? メイド達から預かった差し入れで……」
チョコレートとバニラ味のハート型。手間のかかったアイスボックス・クッキーが入った透明な袋には、ピンクのリボンがかかっている。メイド、女子力高っ!
「レイは甘いものはダメなのよ! それ、返しておいて。レイには言わないでよ」
何なのよ、もうっ! みんな、レイ、レイって。レイは私の従者なのよ。勝手にお菓子とかあげないで! 何が入っている分からないのに。
「承知いたしました。セシル様がそう言うなら……」
だって、絶対に何か入っているのよ。えーと、惚れ薬とか? 誰かがそんな話してたもの。ダメダメ、絶対にダメ。そんなのはダメ! 女子からの甘いもの差し入れは禁止!
渡り廊下に出ると、レイが中庭のベンチで本を読んでいるのが見えた。あれは確か閉架書庫にある魔法書。もうあんなところまで勉強が進んでるんだ。
声をかけようと思ったとき、数人の女子がレイに近寄っていった。それを見て、私はつい柱の影に隠れてしまった。なんで王女の私が隠れてるのよ!
「レイ様、あの、これ、よかったら召し上がっていただけますか?」
そのうちの一人が、個別包装されたマフィンを差し出した。有名なパティスリーのバラジャム入りのお菓子。バラの花の砂糖漬けが乗っている。キラキラ女子向き。
ところで今、あの子、レイ様って言った? サマって何よ! レイは平民よ? サマ付けってないでしょ! コビコビ過ぎ!
「こんなきれいなお菓子、もらってもいいんですか?」
ちょっと、レイ。まさか食べる気なの? いくら甘いものが好きだからって、そんな簡単に受け取るなんて。あんなのがほしいなら、いくらでも取り寄せてあげるのに!
「みなさんにお分けしてるんです。父が出資しているお店からたくさん届いて。父はよいものに投資するのが趣味みたいな人なんです」
な、なによ、あの子! 最下位クラスのくせに! 箔つけのために寄付で入学したくせに、さりげなく実家の事業を自慢して、レイをたぶらかそうとしてるのね。優良物件のレイを狙っているんだわ!
「素敵なお父さんですね。うらやましいな」
「あの、ぜひ子爵家に遊びにきてください。レイ様のことを優秀な魔術師だと話したら、父が興味を持っていて」
やっぱり。あんなおとなしそうな見た目をして、あの子は肉食女子ってやつね。これは絶対に阻止しなくちゃ!
そう思って、飛び出そうとしたとき、レイの静かな声が聞こえた。
「ありがとう。でも、もうすぐ教官について実戦に出るんだ。いつ戻るか分からないから、悪いけど」
その言葉を聞いた瞬間、まるで冷たい水を浴びたみたいな気がした。さっきまでカッカしてたのに、急に寒さを感じる。よく見なくても、手が震えていた。
教官と実戦に出る。それは、高位魔術師シャザードの弟子として、戦場や討伐に出るということ。教官が請け負う大きな仕事は、多額の報酬と引き換えに命がけの戦いを強いられるものだ。
「レイ! 何をしているの。ぐずぐずしないで、行くわよっ」
私はレイに向かって早足に歩きながら、そう声をかけた。子爵の娘とその取り巻きは、私の姿を見ると端によけて頭を下げる。
身分柄、彼女たちは王女の私には、声をかけられない。もちろん、私の前でレイに話しかけることもできない。あの子の目論見は、完全に失敗した。
でも、今はそんなことどうでもいい。レイが危ない目に会うなんて。実戦に出るなんて! そんなこと聞いてない。レイの主人は私なのに、なんでそんな大切なことも知らないの?
ずんずんと歩く私に、レイは黙ってついてきた。次の訓練に行く前に、どうしてもレイに聞いておかなくちゃ!
「王女、そっちは……」
訓練場と反対方向に行こうとしたとき、レイがそう呼び止めた。分かってるけど、どこか人のいないとこに行かないと、ちゃんと話せないでしょ。
「いいから付いて来なさい! 命令よ」
中庭奥の東屋に入って、私は周囲に結界を張った。声が聞こえないように。
「レイ、さっきの話、どういうこと?」
「さっきの話って……」
「実戦に出る話よ! 教官と一緒に」
「聞いてたんだ」
「聞いてないわよ! だから、聞いてるのっ」
思わず声を荒らげてしまった。どうして私は、いつもこんな風なんだろう。これじゃ、レイだってちゃんと話せないのに。
「特待生になる条件は、教官の弟子として実戦で学ぶことなんだ」
「なんでそんな条件のむのよ! 高位魔術師の仕事なんて、子どもには危険すぎるわ!」
「施設ができる前、魔術師は弟子を実戦で育てたんだ。ここの訓練だけじゃ、経験が不足する」
「だったら、もっと大人になってからでいいじゃない! もっと強くなってからでも」
「特待生じゃなきゃ、最上級クラスに入れない」
「別にいいじゃない。レイならどこでだって学べるわ」
「最上級クラスがいいんだ」
「どうしてよ!」
「どうしても」
「だから、なんでなの? 理由を言って!」
まくし立てる私に、レイはうんざりしたように目をそらした。どうしてそんな顔するの? 私には話せないことなの?
情けなくて泣きたい気持ちになったとき、レイがボソッとこう言った。
「あのクラスには、セシル王女がいる」
レイの言葉に、私は心臓が止まったかと思った。そして、次の瞬間には、逆に心臓が爆発した。
レイは今、何て言ったの? それはどういう意味?
誰かが呼びにくるまで、私は口を開くことすらできなかった。ただ俯いたまま、その場に突っ立っていた。私と同じように黙っているレイに、自分の心臓の音が聞こえないようにと。それだけを願いながら。
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