サキュバスの独白
私のご主人様は冒険者をされております。
槍を主に使われているようで、武器の中では一番安全だと言いますが、それでも体のところどころに傷跡が生々しく残っています。
冒険者の職業というのは過酷です。一度なって仕舞えば食いっぱぐれることはなくなりますが、その代わり毎日のように働かなければなりません。
その日その日で賃金が支払われるのですが、長らく出勤していないと迷宮に対する街の防衛の観点から危機が予想されます。
働く冒険者が一時的にも少なくなれば魔物が溢れてしまうので、一定数冒険者を確保することが町の運営には不可欠なのです。
だからこそ、冒険者になるにはそれ相応の体力や経験が必要であり、実技試験を乗り越えた後も街は冒険者に対し強制力を行使できます。
官人よりも過酷で、官人よりも見入りの少ない仕事だと主人様は自重しておられました。
それでも私は尊敬しています。誰かのために働く主人様を、誰にも頼らず一人で生きてきた主人様を。
人を頼れぬというのは悪徳です。しかし、誰かを頼るとは明確に他人に迷惑をかけることでもあります。
主人様に生きている親類がいれば話は変わったのでしょうが、周囲を赤の他人に囲まれた主人様にとってはそれは最善の選択だったのでしょう。
主人様にとっても、あるいは周囲にとってもです。
歪に鍛え抜かれたその体は迷宮において長らく武功をあげて働くために培ったと言います。
身体を鍛えているおかげか、主人様は夜の方も逞しくあらせられます。私を抱いてきた人間の中では一番と言っていいでしょう。
汗をよくかくからか、近くにいると体臭が香ります。私はその香りが大好きでした。
ほのかに鼻を突き刺すような、それでいてまとわりつく不快さはなく、男らしいといえばいいのでしょうか。
なんと形容していいかわからない好感を胸のうちに抱きます。
きっとそれは人間の女性にとっても変わらないでしょう。人にはよるでしょうが。
主人様によれば、主人様はほぼ毎日迷宮に通われているおかげで冒険者の中でも収入はいい方だといいます。
商人とは流石に比べられないでしょうが、それでも庶民の中では稼ぎがある方ででしょう。結婚相手としては好条件だと思います。
今まで世帯を持ってこられなかったのはひとえに主人様の過去と今ある恐怖からくるもの。
実際、これまで女性に揶揄いや遊びの類ではなく、誠実に言い寄られたこともあるそうですから、決して主人様が幸せな結婚をできないわけではありません。
……できれば、主人様には結婚してほしいと思っています。その方が私が安心できるからです。
きっと主人様は私に女性に対する恐怖心だけをどうにかしてもらおうと考えられているはずです。
しかし、主人様は人が良い分、誰かに利用される質です。女も、悪い人は悪いですから。
男の中でも異性を食い物にする人がいるように、人間の女性にも男性を破滅させてしまうような気質の人はいます。
私はそういう人を幾人も見てきました。無論、私が言えたことではないですが……
主人様は女性への恐怖は、かつて幼かった頃に自分が案内してしまったことによって、その女に故郷の村を焼かれてしまったことに起因すると言います。
なればこそ、女によって刻みつけられた恐怖は女を知ることでしか癒えません。
親も、親族も、友人さえも焼き殺され、何もかもを見捨てて逃げるように近くの村に逃げ込んだと言います。
その悲壮さは想像に容易いでしょう。
逃げた先で運よく優しい老人に引き取られ、体を鍛えてからは農作業に勤しみ、18歳になったところで貯めたお金で武器を買い、冒険者になったと。
そんな過酷な運命を強いられてきた主人様が、ただ恐怖心だけを取り除いて終わりでいいわけがありません。なんらかしらのお釣りが必要です。
私では、ダメです。
主人様はそれを望んでおられます。そして、それはとても光栄なことです。
もし、私が淫魔でなかったらとあれから何度思ったでしょうか。
それでもそんなことはありえません。否、ありえてはならないのです。
それは、私が主人様に対して胸の内に抱えた感情を全て否定することになってしまうのですから。
……壮絶な人生です。怪我の多い迷宮巡回の仕事で一度も冒険者生命に関わる傷を負わずに五年間働いてきたのですから、とても立派なことです。
犯罪も、悪事も働いたことがない。そんな人が幼いときに故郷を焼かれて、それだけでいいのでしょうか。
もう気にしてないからと、それだけで済むのでしょうか。
私はそうは思いません。
本人は運が良かったからだと言いますが、世の中はそう甘くないと思います。
飢えてお腹を空かせた夜もあったでしょう。
寒くて死んでしまいそうな冬もあったでしょう。
お金を盗まれたり、同業者に意地悪されたこともあったかもしれません。
自分が清貧を貫いていても、周囲はそうではないのです。
そんな中で主人様は人間としての真っ当さを貫いてきました。
それは人間として当たり前のことかもしれませんが、それをいったいどれだけの人が貫けているでしょうか。
少なくとも私は主人様ほど真っ当な人間をしている人を見たことがありません。
だからこそ、幸せになってほしいと願うのは私のエゴでしょうか?
だからこそ、良い人を見つけて幸せな家庭を築いてほしいというのは私の我儘でしょうか?
分かりません……でも、少なくとも私には答え合わせをする術などないのです。
自分しか道導がないのならば、せめてそれを信じて突き進むこと。最後までやり遂げること。人に恥じない生き方をすること。
私が初めて出会った人間の女性に教わったことです。
「……」
そっと自分の股に手を伸ばす。
淫魔としてこれが異常である事はわかっている。
それでもやめられない。
疼きが治らない。
おかしい。
「……主人、さま」
言葉に出して、呼ぶ。
いないから、淋しくて。
殺さなくてはいけない。
この胸の内からこぼれそうになる思いを決して主人様の前で花開かせてはいけない。
薄々勘づいている。
私の胸の内にあるこれは、きっと一度湧き出せば止まらない。
主人様を地獄の道まで引き摺り込んでしまう。
私と一緒になる未来など破滅しか待っていないのだから。
誰もいない部屋で敏感な部分に触れる。
主人様が前してくださったように、自分の道の中ほどまで指を入れて、穴のような場所を押す。
「んっ、んっ、んっ」
声は押し殺さなければならない。誰かに聞かれたら大変だ。
それは二重の意味で禁忌なのだ。自分のためにも、主人様のためにも。
「あっ、あぁ、あぁ……」
良いところが押される。こうじゃない。
もっと、主人様は良くしてくれた。
私は世にも珍しい動く淫魔、世間的にはそうなるだろう。
もし、私の存在がバレれば私は確実に捕まる。
その時に主人様が手放してくださればいい。でも、そうならなかったら?
……そうなる気がする。だから、絶対に自分の存在を漏らしてはいけない。
その目的のためなら、今の行動は好ましくないはずだ。
女としても、淫魔としても、主人様に仕える従僕としても。
──いつから女面するようになった? 私は淫魔だぞ?
「あぁ、主人様っ、主人様っ」
愛おしい言葉を口にする。名前は呼ばない。呼べない。
「はっ、もっと、もっとください」
妄想の中で攻め立ててもらう。してほしい。主人様の性欲をぶつけてほしい。
「シて、シて、シて……っ」
じんじんと疼く。波のような感覚が訪れる。
数百年、知らなかった感覚だ。
「あっ、あっ、あぁっ!」
小さく、声を漏らす。
地べたに横たわって、肘をつきながら
「……バカ」
絶対に言ってはいけない言葉を口にする。
淫魔としてあるまじき感情を抱えながら。
「……また──」
また、あの感情を流し込んで欲しい。
──一途に、私を女として愛す、あの感情を。
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